最近、自分の気持ちが本当に相手に伝わっているのか気にしだすようになった。
逆に、相手の気持ちが本当に自分に伝わっているのかも気になるようになった。
自分を振り返ってみる。
①今まで、自分の気持ちを相手に分かってもらえるように話していたか?
②相手がそのような言葉を発するのは、どうしてか考えた事があったか?
どちらもしてなかったように思う。
そこで、「言葉」とは何だろうかと思い出した。
最近、「ものそのもの」を大事にしなければとよく思う。
それは、「言葉」が付けられる前から存在していた「在るもの」のことだ。
「鉛筆」を例に挙げてみよう。「鉛筆」は日本語である。
では、人間全員が「それ」を「鉛筆」と呼ぶかと言えば、それは違う。
英語ではpencil(ペンシル)
フランス語ではcrayon(クレィヨン)
ドイツ語ではBleistift(ブライシュティフト)(Blei=鉛、stift=鉛筆)
イタリア語ではmatita(マティータ)
スペイン語ではlapiz(ラピス)
中国語では鉛筆(チィエンビー〔qianbi〕)
である。皆同じものを差しているのに、呼び方が全然違う。
これは何を意味しているのか。
それは、大切なのは言葉ではなく「ものそのもの」であるということ。
「鉛筆」と呼ばれている「ものそのもの」
「pencil」と呼ばれている「ものそのもの」
「crayon」と呼ばれている「ものそのもの」...
それを意識することが大切だと思うんです。
自分が「ものそのもの」から感じ取れることが大切だと思うんです。
そうすると、人との会話でもやはり同じようなことを意識するようになる。
①自分の本質(ものそのもの、心とも呼ばれているもの)が正しく伝わるように(表現されるように)、言葉を発しているか?
②相手の言葉の裏側にある本質を感じ取ることができているか?
とね。
この世の中には、心が繊細で、少しの悪い言葉にも傷ついてしまうような人がいるはず。
知らない内に誰かを傷つけているんじゃないかと思うと怖い。
そのような人たちの心を感じ取れないで、言葉を乱用するような人間にはなりたくない。
そう思います。
逆に、相手の気持ちが本当に自分に伝わっているのかも気になるようになった。
自分を振り返ってみる。
①今まで、自分の気持ちを相手に分かってもらえるように話していたか?
②相手がそのような言葉を発するのは、どうしてか考えた事があったか?
どちらもしてなかったように思う。
そこで、「言葉」とは何だろうかと思い出した。
最近、「ものそのもの」を大事にしなければとよく思う。
それは、「言葉」が付けられる前から存在していた「在るもの」のことだ。
「鉛筆」を例に挙げてみよう。「鉛筆」は日本語である。
では、人間全員が「それ」を「鉛筆」と呼ぶかと言えば、それは違う。
英語ではpencil(ペンシル)
フランス語ではcrayon(クレィヨン)
ドイツ語ではBleistift(ブライシュティフト)(Blei=鉛、stift=鉛筆)
イタリア語ではmatita(マティータ)
スペイン語ではlapiz(ラピス)
中国語では鉛筆(チィエンビー〔qianbi〕)
である。皆同じものを差しているのに、呼び方が全然違う。
これは何を意味しているのか。
それは、大切なのは言葉ではなく「ものそのもの」であるということ。
「鉛筆」と呼ばれている「ものそのもの」
「pencil」と呼ばれている「ものそのもの」
「crayon」と呼ばれている「ものそのもの」...
それを意識することが大切だと思うんです。
自分が「ものそのもの」から感じ取れることが大切だと思うんです。
そうすると、人との会話でもやはり同じようなことを意識するようになる。
①自分の本質(ものそのもの、心とも呼ばれているもの)が正しく伝わるように(表現されるように)、言葉を発しているか?
②相手の言葉の裏側にある本質を感じ取ることができているか?
とね。
この世の中には、心が繊細で、少しの悪い言葉にも傷ついてしまうような人がいるはず。
知らない内に誰かを傷つけているんじゃないかと思うと怖い。
そのような人たちの心を感じ取れないで、言葉を乱用するような人間にはなりたくない。
そう思います。