春、友達と京都に桜を見に行ったときにお昼をいただいたお店、上七軒の
小きみ。
これはわからん。という小道の先に、かわいらしい入り口。
北野天満宮の大通りに面したお店は長蛇の列だったのが幸いして、こちらのお店を目指して本当に
よかった。
カウンターだけの席で、アタシ達二人の左には嵐山に住むという平原綾香似の美人ライターさん。
この八月に本を出すと言っていたけれど、もう出版されたのだろうかしら?
夢いっぱい溢れた、ほんわりとした笑顔忘れ得ぬ、素敵な女性だった。
お昼の定食は申し訳ないほどリーズナブルで、ホンモノのおばんざいを堪能できる意味でもとても
お勧め。
おかみさんの手際の良さと落ち着きはどこから?と思ったら、もと芸妓さんだったのですね^^
小きみのおかみさんのファンなのね^^的な、沢山の常連?!おじ様方が席を立ち、出てゆく際の
"ほな、おかあさん、いってきます"
→おかみさん
"おはようおかえりやす"
の言葉もとっても京的で、お店を出てから友人と真似してしまったほど印象深かった。
アタシの右隣には、着物をすっと着こなした芸妓さんらしき女性。
とても美しく、けれど相当年齢の高いのではないかと思われる方だった。
聞くともなしに、おかみさんとその女性の会話が入ってきて、京言葉の美しさにほうっとなる。
居ても立ってもいられなくなり
"あの、失礼ですが芸妓さんでいらっしゃいますか?"
と聞いてしまう。
"へえ。"
と気さくに答えてくださったその方の、一歩引いていながら美しく年齢を重ねた女性だけが持つ気品。
柔らかいけれど強い、その両極が滲み出ていて、身体の中心に一本筋の通った、それは美しい佇まい。
だけれどかわいらしさを兼ね備えていらして、心底、これが本当の女性なんだなーと思った。
引きの美だった。
お顔にしわ一つシミ一つなく、器を持つ手の所作の、また美しかったこと。
何十年にわたる日々の精進。
想像を超えた苦労や我慢。
きっと筆舌に尽くしがたい様々な事を乗り越えてこられたからこそ、なのだろうなぁ。
お隣に座ることでもなかったら、けして声をかけることなど出来ないであろう女性。
あぁ。本当の日本女性とはかくも美しく。
今日この場で目に、耳にした事を吸収できたなら、少しでも美しく年を重ねられるだろうか・・・。
出会えた事を機に、丹田に力を入れて・・・!(真似出来るとしたらこのくらい。)と頬染めて
思った事を、ここに今書き出すまですっかり忘れてしまっていた。
こりゃ、だめだー^^;
子供の頃は、お年を召している人というだけで人格者で尊敬に値する。と思っていたけれど、自分が
年齢を重ねるにしたがって、重ねるだけでは人間に厚みが出る訳ではないのだわね^^;とやっと気づいた。
アタシの心の中は、小さい頃とさほど変わっていない。
このままでは、成長できないアホのまま天に召されてしまう~。
まぁ、そんな気づきの場でもあった(さっきまで忘れていた訳だけれども。)小きみなのだった。
その場でお名前は伺わなかったけれど、いくつか聞いたお話の中であの方は
この方だったと思うのです。
ね、ちえちゃん。そうじゃない?
何度も足を運んでいる京都だけれど、あれほどのほんものの京を体験することはそうそう出来る事
ではないなー。と今更ながらご縁と出会いに感謝する次第。
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さっき、夏の営業最後のダイドコ帖へ行ってきた。
ダイドコ図書をめくっていて書かれていたこと、「近頃食べ物も人も、全体を丸ごと味わう事が少
なくなり、一口くちにして、すぐ評価する癖はどうか。もっとゆっくり、大らかに、全体を味わえる
人間に。ぼんやりとした人間に。」
耳が痛いな。
これもまた、気づきである。