私は未熟児として生まれ、母乳を飲む力が無かった為、
産婆さんは私を片手に載せ脱脂綿に砂糖水を湿らせ飲ませたそうです。
子供の頃は銭湯に行くといつもボリボリ体を掻いていました。
アレルギー体質で皮膚が弱かったのか植物などにすぐかぶれていました。
偏食も激しく、肉、人参、ネギ、ピーマンなど多くの野菜が食べられませんでした。
デパートの地下の食品街に行くと臭いで上げてしまうぐらい。
母も、料理に苦労していたことでしょう。
親戚の家に泊まるときもおばさんたちが困っていました。
ただ、納豆、長芋、生卵などが一緒だと大量のご飯を食べていました。
学校の給食も肉が入っていると他のものも食べられなくなるほど。
給食の時間が終わるとトレイを机の下に入れ午後の授業を受け掃除をして
放課後またトレーを机の上に出しにらめっこ。
これが小学6年生まで続いたのです。
学校の勉強も後ろから1~2番。
身長はクラスで一番低く球技がかなり苦手でした。
長距離はすぐ横っ腹が痛くなりクラスで一番遅かった。
遠足はいつも皆より少し遅れて歩いていました。
しかし鉄棒は得意な方で、相撲は一度も負けたことは有りませんでした。
何故相撲が強かったのか、大人になって気づいたのですが、
8歳年上の兄のプロレスの相手をさせられ一日一回は泣かされていたのです。
中学生になり先生が怖かったせいで給食は残さず食べるようになりました。
小学校低学年の頃は本当に受け付かなかった食べ物も
小学校高学年の頃には食べられる体質になっていたのでしょう。
中学校は土曜日は弁当だったのですが、
一年生、最初の土曜日、それを理解していないで弁当を持っていかなかった事があります。
弁当を二食分持って来ていた池太郎君が弁当を分けてくれのですが、
カリフラワーが緑色になったような野菜が入っていて食べられなかった事があるのです。
それが私が初めてブロッコリーを目にしたときでした。
池太郎君は「何だよ~せっかくあげたのに~」っと言っていました。
池太郎君は小柄でいつも笑顔で明るい勉強の出来る少年で水泳部でした。
そんな池太郎君は自衛隊で大出世をしています。
舞鶴地方総監部幕僚長 海上自衛隊幹部候補生学校長 教育航空集団司令官海将 呉地方総監
校長時代の映像をいくつか見ましたが、小柄なままですがとっても怖そうな厳しい表情ばかりでした。
現在の私は、食べられないものはほとんどなく、インドネシアの田舎で牛の皮の煮たもの、
オーストラリアでは、芋虫の焼いたもの、ワニ、カンガルー、何でも食べてきました。
ブロッコリーは好きな食べ物なのですがブロッコリーを見ると池太郎を思い出すのです。
昨日、大根を買ったので、今日は大根の葉っぱご飯にしました。
米一合、大根の葉、塩、酢、みりん、醤油、それぞれほんの少し。
鍋には、順番に、人参と大根の短冊切り、油揚げの短冊切り、鰹節、わかめ、鶏むね肉200g、
塩、胡椒、ガーリック、バジル、岡崎市カクキュウ八丁味噌、酒粕、ネギ、白菜、ブロッコリー、
みりん、酢、ごま油、ナンプラー、醤油、最後にお湯を入れ蓋をして沸騰させます。
基本的に毎日同じメニューなのですが、入れる野菜がちょっと変わるのと、
ガラムマサラ、ウコン、ナツメグなど、たくさんの香辛料を入れることもあります。
毎日、美味しいものを食べられ幸せです。
私は基本、一日二食。
夜は外食ですが、それぞれのお店の味を楽しんでいます。
店主が年配のお店が多いのですが元気にお店を続けていただきたいものです。