今回紹介する石があるのは次の地図の赤い点で示した場所です。

この地図は「外加法師の土塁」の紹介で使用したもので、①が館林二中入口の交差点になります。その交差点の西側の土地の隅に石があります。

 

その土地は県道館林藤岡線に面していますので、この道を市内の方(南)から辿りながら石を見ることにします。

 

館林市内から藤岡方面に向かって進むと、信号機に「加法師町」と書かれた交差点があります。その交差点手前の左側にプレハブ小屋が建っている土地があります。昔、一時期ですが学習塾などとして使用されていた時期もあったような気がします。

この交差点を右折すると館林第二中学校です。そして、交差点手前左側の矢印で示したところに紹介する石が置かれています。

個人の土地なので外から見るしかないのですが、看板や木の枝などと同じように雑然と置かれています。

遠くからですが、石は紛れもなく間知石の形をしています。

ちょっとアップにしてみますが、石質は他で見た間知石と同じような感じで、石の大きさも大きな違いはありません。

見易い配置で置かれているので、左側の石が間知石に多い楔形をしているのが分かります。

 

個人の方の土地で、持ち主の方が分かりませんので残念ながらここまでしか調べることができませんでした。(それをブログに載せていいのかという疑問もありますが、まあ外から良く見える風景ということでご容赦ください。)

でも、本当に他で見た間知石とそっくりなので紹介してみました。土地の所有者などがわかれば、もう少し詳しく調べてみたいと思います。ご存じの方がおられましたらご一報ください。

 

なお、この場所を江戸時代と現代の地図を重ね合わせた古環境復元図の上に示すと、次の図の赤い点のところになります。今は県道館林藤岡線が通っていますが、江戸時代の道は県道西にある教王院の前の道が東に進んで④に至り、そこで土塁と堀を越えて③から②更に北に向かっていました。このため、これらの石がこの場所にある理由はなかなか思い付きません。

石のある場所の向かいには「外加法師の土塁」で紹介したように土塁が残されています。

そして、古環境復元図でわかるように、石のある土地の所では堀が直角に曲がっています。その堀の名残りでしょうか、土地の西側にはコンクリートで囲まれた堀跡と思われる低湿地があります。これが堀跡とは誰も気が付かないような所ですが、探せばまだまだたくさんの「城跡」の形跡が残っているものだと改めて感じた次第です。

この堀跡から西に向かい、加法師口を通って朝日町土塁に達する間の、館林城北端の土塁&堀の跡はまだ紹介していません。それを紹介すると館林城と城下町を囲む総構えの土塁や堀の跡の紹介がほぼ完成することになります。(細かい追加はあると思いますが)

まだ時間がかかるものと思いますが、ご期待ください。

 

 

写真撮影:2024年4月14日

参考文献:

  館林市史 特別編 第2巻 絵図と地図に見る館林(館林市史編さん委員会編)

  地理院地図/GSI Maps(国土地理院)

  館林古環境復元図 館林城郭・城下町図 第3版

         (館林市教育委員会 文化振興課 編集・発行)