旧城内の町名表示板の紹介は前回で終わりました。いかがでしたか?

その中で、外加法師で館林城の土塁跡に出会った話を少ししました。実はそれは2か所もあります。そこで、今回と次回で外加法師の土塁跡(+堀跡)を紹介したいと思います。

 

今回紹介するのは館林市立第三小学校の北側の道を東に100メートルくらい行った所にあります。次の地図の③が前回紹介した外加法師の町名表示板の場所で、そのちょっと南の交差点の辺りです。地図に赤丸印を付けた所です。

ここにあった土塁は総郭と外加法師の境となったものです。

その場所を江戸時代の城絵図の上に表すと、次のようになります。総郭の北側の土塁で、そこを越えると外加法師になります。青い線で書いたのは現在の道ですので、上の地図と照らし合わせてみてください。赤く囲った上の所にある点線で表された部分も現在は道がありますが、堀がわかるように現在の道を書きませんでしたが、上の地図のようになっています。青い線と交わった所が十字路になっており、そこで少し右に折れています。

その十字路を南の方から見るとこんな感じです。道が右に折れているのがわかると思いますが、そこのところが交差点です。こうして見てみると、交差点辺りが堀跡なので、道は少し下り坂になっています。

その交差点を反対に北側から見ると、下り坂なのが更によくわかります。そして、左側にある枯れ草で覆われているのが総郭の土塁跡と思われます。(実をいうと、道を越えた右側の家の敷地にも土塁の名残りが感じられます。)

その土塁跡の全体の姿をご覧ください。この土塁は以前紹介した下外張口まで続くものでしたが、この場所を除けば今は家が建ち並んでいます。

土塁の断面からの角度で見てみましょう。右側が総郭側で、左側が堀跡になります。土塁跡の部分が一段高くなっているのがわかると思います。

「館林実記」には「惣曲輪 東外」の土塁の高さは「高弐間ゟ八、九尺、又ハ五、六尺迄」と書かれています。総郭(惣曲輪)の東の門である下外張門の周辺は2間(約3.6m)くらいはあったと思いますが、この辺りはどうだったのでしょうか?最も低い五尺とすると約1.5mですから現在の姿とそれほど変わらないのかもしれません。

それにしても、この土塁がこのような形で残っているのは奇跡に近いです。永久に残るのは難しいかもしれませんが、この土塁跡の存在を多くの方に知っていただけたらと思います。

 

 

写真撮影:2024年2月25日

参考文献:

  館林市史 特別編 第2巻 絵図と地図に見る館林(館林市史編さん委員会編)

  館林市史 資料編3 館林の大名と藩政(館林市史編さん委員会編)

  地理院地図/GSI Maps(国土地理院)

  館林古環境復元図 館林城郭・城下町図 第3版

         (館林市教育委員会 文化振興課 編集・発行)