追加 2024.1.26

大工町から見える”ゴリラビル”ですが、通称かと思っていたら正式名称でした。その画像を追加しました。

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連雀町が南東部に含まれるかどうかは異論もあるでしょう。その3で紹介した片町より城下町の中心である大辻に近い、というか大辻のすぐ傍ですから...

 

今回、南東部に入れたのには理由があります。連雀町とそこに接する大工町を始め、それに連なる鍛冶町、更に金山の4つの町名表示板は探してもありません。正確に言いますと、旧町域の現地には見当たらず、市の倉庫の中に眠っています。一度は建てられたようですが、土地の持ち主が変わったり、建物が建て変えられるタイミングで撤去されたそうです。要するに居場所がなくなって、倉庫の中でお休みしている状態です。

もちろん私有地に置かせていただいているものが大半なので、住民の方の都合が最優先ですから仕方ない面もありますし、責められるものでもありません。

今回紹介する「町名表示板の立っていない旧町名」で、もし「ここなら置けるかもしれない」という場所がありましたら教えてください。

 

今回紹介するのは①連雀町、②大工町、③鍛冶町、④金山です。

北は大辻から東に延びて三角公園を目指す連雀町の通りで、東は三角公園から南に延びる片町の通り、そして南は館林駅から市役所方面に通じる、かつて観光通りと呼ばれた道に挟まれた地域です。

 

①連雀町

今は「かごめ通り」とも呼ばれ、ここの商店街では毎月第2&4土曜日に「かごめ六斎市」が行われ、往時の賑わいを取り戻そうと頑張っておられます。以前はその通りの中間くらいの場所に町名表示板がありました。

これから紹介する各町に共通していますが、町名表示板が実際に立っていたのを見ていません。そこで市が発行している「館林城郭・城下町図 古環境復元図」を元にして「立っていた場所」を紹介することになります。

連雀町の町名表示板が立っていたのは、山崎表具屋さんの隣の敷地と思われます。表具屋さんの隣とは、なかなか風情のある場所ですね。表具屋さんは無くならないで欲しいものです。

先に書いたように、この通りでは昔の「市」を再現して賑わいにつなげようと「六斎市」を開いているくらいですから、江戸の名残りを伝える連雀町の町名表示板も復活して賑わいを後押しして欲しいものです。

 

②大工町

連雀町と並行して走る一本南側の通りは鍛冶町の通りですが、これら2つの通りを南北に結ぶのが大工町です。大工町の西側に群馬銀行館林支店があり、東西に駐車場の出入り口があります。その東側の出入り口近くの大工町の町名表示板が立っていました。(道の左に緑の看板があるのが群馬銀行駐車場出入口です。)

小さな通りなので、住人と銀行に来た人が主に使う道路です。道の右側に道路標識が立っている辺りに町名表示板があったようです。

今は空き地になっていますが、何ができるのでしょうか?町名表示板を置いていただけると嬉しいのですが...

後ろに見えるビルは(一部で)有名な”ゴリラビル”です。複数の飲食店が入ったビルで、正面に大きく可愛いゴリラの絵が描かれています。良く見ると、ビルの後ろ姿には大きく「G」の文字が書かれています。そのビルの向こう側が片町の通りです。

”ゴリラビル”は通称かと思っていましたが、実は正式な名前でした。以前はキングコングのアニメのような愛嬌たっぷりな可愛いゴリラでしたが、現在はとてもリアルなゴリラの絵になっています。

 

③鍛冶町

鍛冶町の通りは片町の南の端から西に向かって旧日光脇往還手前まで続きます。

これは鍛冶町の通りの東の端ですが、道の右側は片町で、左側が鍛冶町です。この左側に見える美容室の南辺りに鍛冶屋の守り神である金山神社の広い境内がありました。

この通りを少し進んで八百屋さんを過ぎた辺りに、右に入る道があり、それが先に紹介した大工町の通りです。丁度、その道の入口の向かいに鍛冶町の町名表示板が立っていました。ここも今は空き地になっています。

空き地というか駐車場ですね。駐車場の隅にでも置かせていただけると嬉しいのですが...

 

④金山

金山と呼ばれた町の北の端にあるのが金山神社です。江戸時代には広い境内があったようですが、明治になって一度は長良神社に合祀されたこともあり、その境内はなくなりました。その後、改めて分祀して神社が戻って来て、今は小さな祠で祀られています。

金山神社については、2021年10月14日の本ブログで紹介しましたので、ご興味のある方はそちらもご覧ください。

金山の町名表示板は町の南の端にありました。館林駅から市役所に向かう道路の脇で、この交差点の左側手前の桃色の椿の花の途切れた辺りです。道路の右側に見えるのは館林第二小学校の体育館と校舎です。

今までの3つの町名表示板はその土地の使用者や用途が変わったために撤去されていますが、ここの表示板だけは理由が異なり、道路の拡張によるものです。少し前の地図を見ると、歩道の分は確実に広がっており、車道も歩道もとても広くなっていますので、とても歩きやすいです。その時に町名表示板のことも少し考えて頂けたら良かったのですが...街路樹の手前に置けるのでは?などと考えてしまいます。

 

今回は”消えてしまった町名表示板”の巻となりましたが、城下町の南東地区にまとまっているのが不思議です。

倉庫に眠る町名表示板が再び”あるべき場所”に戻ってくるのを切に願っています。

 

 

写真撮影:2024年1月7日

参考文献:

  館林市史 特別編 第2巻 絵図と地図に見る館林(館林市史編さん委員会編)

  地理院地図/GSI Maps(国土地理院)

  館林古環境復元図 館林城郭・城下町図 第3版

         (館林市教育委員会 文化振興課 編集・発行)