前回紹介したように館林城の二の丸跡は、現在の館林市役所東側の道路によって東西に分断されています。(昔のドイツのベルリンみたいな話ですが、それほど深刻な話ではありません。念のため。)

東側の二の丸跡は、現在は「館林城ゆめひろば」として各種イベントなどが頻繁に開催されています。時々、市役所北側の駐車場が何かで使われる時、停められている公用車が大量に移動してきます。そんな”便利な空間”ですが、やはり城跡としてこれからも大切にしていきたいですね。

 

今回はこの館林城ゆめひろばを南西の角①から時計回りに回り、四方から眺めてみます。なお、上の写真でわかるように現在のこの空間は主に「広場」ですので、南郭と同じように郭の四方から見た景色を紹介するだけになります。

 

今回も二の丸橋からスタートします。

橋を渡り、そのまま直進するとトイレがあり、その脇に坂があります。この坂を上ると館林城址です。

①の場所に着きました。遠くに本丸土塁跡が見えます。その手前に広がっているのが二の丸跡になります。次の写真で土塁跡の右の方に南郭門跡と紹介した金木犀の木が立っています。紅葉していない方の木がそれです。

①の直ぐ左脇に館林城ゆめひろばの看板が立っています。

そこから道路わきの歩道を進んで、②の角からゆめひろばを見てみましょう。写真の右奥が館林城ゆめひろばの看板が立っている①の場所です。こうして見ると、市の中心部にもかかわらず木が多くあって、それらの木で城跡がぐるっと守られているような感じを受けます。

市役所の東側の道路が館林女子高に突き当たる交差点です。交差点の向こう側が②の場所です。ここから東に向かう道の右側が二の丸跡のゆめひろばで、左側は稲荷郭跡の館林女子高になります。とはいえ、写真に映っている範囲はほぼ入江堀でした。遠くに見えるのは本丸跡に建てられている向井千秋記念こども科学館です。

これは1948年9月の航空写真ですが、入江堀はまず二の丸側が埋められ、写真に写っている堀跡はこの道路が造られた時に姿を消したようです。

次はその道路脇の歩道を進んで二の丸跡の北東の角③に向かいます。

春になると市役所東側の道路沿いに続く桜並木がまず満開になり、それが咲き終わるとゆめひろば側に植えられたつつじが咲くという豪華リレーが見物です。その頃はゆめひろばも緑一色になります。

最後に南東の角④からの景色です。館林市役所と館林女子高の建物が見えます。また、この写真の右下の辺りが南郭の二重櫓のあった場所になります。

そこから西の方を見ると、ここが城内と堀との境です、と教えてくれるように背の低い気が植えられていますが、館林城の古環境復元図を見るともう少し城内側のようです。

館林城を再建した越智松平家が城主の時代の一時期ですが、二の丸には馬場があったということを以前、このブログで紹介ました。下の写真の画面中央の白い土がむき出しになっている辺りがその場所で、道路の先の市役所駐車場の方まで続いていました。

 

これで館林城ゆめひろば側の二の丸跡の紹介は終わりです。ここではいろいろなイベントが行われますが、市民の安らぎの場としても大切に守っていってほしい場所です。

 

 

写真撮影:2023年12月2日

参考文献:

  館林市史 特別編 第2巻 絵図と地図に見る館林(館林市史編さん委員会編)

  地理院地図/GSI Maps(国土地理院)

  館林古環境復元図 館林城郭・城下町図 第3版

         (館林市教育委員会 文化振興課 編集・発行)