こちらや ツイッターの
各コメントで
僕が 橋蔵先生に
弟子入りしたキッカケが気になる、、
との ご意見を頂いておりましたので
今日は その事を
少し お話したいと思います、、
まず
僕が 橋蔵先生を知ったのは
小学校 2年生頃、、
かな?
富山の 田舎で
お袋と 通った
映画館での 出会いでした
僕は 物心ついた頃から
お袋と
映画館に通っておりました
母は 当時
長谷川一夫さんが 大好きで
僕の手を引いて
頻繁に 映画を観に行きました
確か
素うどん一杯 25円
映画一回 90円前後
、、かな?
といった 頃です
けっして
お安くはなかったのですが
当時の お袋には
唯一の娯楽
やりくりしても
映画だけは 欠かせなかったのでしょう
当時の映画館は
上映作品が
ほぼ 週一回のスパンで
交代になっておりましたので
僕らも そのスパンで
通っておりました
田舎町の
小さな小さな劇場、、
幼い僕は
映写室にも 遊びに行ける境遇でしたので
映写機や フィルムにも
自然と 興味を持ちます
そして
映画を観て帰りますと
子供がやる事といえば
お決まり
チャンバラごっこ
です(笑)
鞍馬天狗や
赤胴鈴之助が
僕らのヒーローでした
そうして
映画のヒーローを観て育っていく中
長谷川一夫さんの
次世代俳優として現れたのが
大川橋蔵先生 でした
キラリ 現れた新星に
お袋も すぐに
心 奪われました
ここで 僕が観たのは
確か
若さま侍 です
キレイで カッコ良くて
チャンバラも 美しい、、
子供心にも
憧れの人となるのに
時間は かかりませんでした
こんな人に なりたいなあ、、、
橋蔵先生を 観たくて
お袋と 映画を観るのが
楽しみで 楽しみで、、
そんな日々を送っていた ある日、、
十ほど上の 姉が
結婚する事に なりました
お相手は
東映京都の
スタントアクションをしていた
大部屋俳優さん でした
富山から 京都に
嫁ぐ事になったのです、、
そして
それを機に
お袋も 京都に
移る事に したのです
富山にいた頃から
和裁を 得意とし
生業としていた母
姉が
東映の役者さんと
結婚した ご縁から
東映の 衣装を縫う
お針子さん として
働きはじめました
当初は 自宅で
衣装を 縫っておりましたが
数年後
東映の 衣装部さんに
入部する事となりました
僕が言うのも 何なのですが
母の 和裁の技量は
かなりのもので
母が製作した 衣装には
定評が ありました
当時
名だたるスターさんの
衣装を 手掛けておりましたが
その 評判から
市川右太衛門さんの 私服まで
依頼された事もありました
そうして
実績を 積んでいく中
大川橋蔵先生の
衣装も 縫うようになりました、、
一方 その頃
僕はもう
中学校になっておりました
当時は 一般的に
中学校卒業後は
進学か 就職かという
選択肢 でしたが
当時
決して 裕福でなかった僕は
就職をしようと 決めており
就職先を 検討しておりました
そんな中
働くなら 役者になりたいな、、
という思いが
ふつふつと湧いてきておりました
憧れの 大川橋蔵みたいになりたいな
スターさんと お仕事してみたいな、、
割と単純に
憧れひとつでの 志です
進路選択も 差し迫った頃
お袋に
これから どうするの
と 問われ
僕は 安直ながら
その思いを 素直に
話しました
お袋とて
以前からの
橋蔵先生の ファンです
意外と 喜んでくれまして、、
じゃあ、ちょっと話してみようか、、
橋蔵先生の
衣装を手掛けたご縁もあって
マネージャーさんに
声かけを 試みてくれました
そうして
本当に
中学校を卒業したら
橋蔵先生に 弟子入り
という 流れに なったのです
今では 考え難い事ですが
先生に 会う事もなく
特に 試験や面接もなく
弟子入りが 決まりまして、、
4月1日
東映の門をくぐり、、、
弟子入り初日が
橋蔵先生 初めまして
でした
橋蔵先生 初対面
最初に 思ったのは
本当に 大川橋蔵、、、?
この日 初めて会った
「大川橋蔵」 は
素顔 だったのですが
映画などで
扮装姿しか 拝見した事がなかったので
俄かには 入ってこず
それから 扮装された先生を見て
初めて
ああ、、
ほんまに大川橋蔵先生に弟子入りしたんや、、
と
しみじみ感じたのでした(笑)
しかし
最初の第一印象は
優しそうなお方
物凄く
柔らかい笑顔で
ニコニコ~っと 笑って
うん、頑張るんだよ
と 言ってくださいました
学生服で
”初出勤” した僕が
先生には
よっぽど
かわいい お子ちゃまに
見えたのかもしれません、、(笑)
そんな こんなで始まった
僕の お弟子さん生活、、
通い弟子から 始まり
そこから
実にいろんな経験をし
勉強させて頂く事と なりました、、
ほぼ 憧れで
入った この世界は
大変
厳しく 奥深く
とても複雑に
曲がりくねっておりましたが
僕は この世界に入れて
橋蔵先生の
お弟子さんとして
お勉強させて頂けて
殺陣を やることができて
とても 幸せだなあと思います、、
もし お袋が
衣装部さんに いなかったら
僕は あのまま
普通に 就職をしていたのやろうけど、、
役者一本で ここまで来たので
役者以外の道で
何してたかな?なんて
想像すら つきません
弟子入りからの
色々なお話は
また ぼちぼち
してみたいと 思います、、