あらためまして
蒲田行進曲
深作欣二 監督
つかこうへい 脚本
1982年公開
という 映画です
後々まで
たくさんの方に愛される
名作になりましたね、、、
ヤスの
階段落ち後の
「銀ちゃん カッコイイ、、」
や
「コレ が コレ ですから」
(↑文字にすると魅力が半減するので
ご存知ない方はぜひ作品をご覧ください)
は とても流行った台詞です
蒲田行進曲
大部屋役者が 主役のようなもので
作品そのもの
とても珍しい ものでしたが
当時は
特番があったりして
その中で
僕ら 役者や 殺陣師さんで
インタビュー&トークをする、
なんてこともあり
僕らにとっては
とても珍しい経験の 多いものでした
この作品を 手掛けられた
深作欣二監督
世間で
よーくご存知の通り
大変 破天荒な監督さんで
もし この現代に
この方が監督を されていたら
コンプライアンス云々で
やる事なくなってまうやろなあ、
っていうくらいの、、、(笑)
深作監督なら
「コンプライアンス?
うん、それが 何だ??」
なんて 聞いておいて
その説明には
一切耳を傾けない 気がします(笑)
僕ら 度肝を抜かれるような事が
本当に たくさんありましたが
僕はこの方から
たくさんの事を 学びました
深作監督の 作品に携われた事は
僕の 役者人生を形成する
太~い骨に なっていると思います、、
番組のトークなどでも
お話したのですが
蒲田行進曲は
恐らく、
深作監督が
一番 愉しんで作ったであろう
という作品です
映画を撮り始めると
まさに やんちゃな子供のような
深作監督
監督自身が 銀ちゃん
僕らはみんな ヤス なのです
各キャラクター、
誰がモデル、というのは ありませんが
当時の
スターさん、
大部屋俳優、
現場、スタッフさん
こんな人いる
こんな事ある
を 全部
ガツンと混ぜて
塊にしたようなお話なのです
この
蒲田行進曲における
深作監督との 思い出で
一番 印象に残った
出来事が ありました、、、
池田屋の 大階段。
言わずと知れた名場面です。
蒲田行進曲での
あの大階段は
大袈裟でなく
えげつない 大階段でした
最上段まで 上がり切ると
建物の 3階と
目線が ほぼ並ぶ高さでした
30㎝×39段、、、
単純計算 1,170㎝、、、
あれを
てっぺんから下まで落ちるなんて
考えただけで ぞっとしますね
作品中で
廃墟ビルのてっぺんや
この大階段から 落ちたのは
JAC(現JAE)の人でしたが
(クレジットに”スタント”としてお名前のある方です)
訓練されているとはいえ
本当に
大変な技術と勇気のいる事ですね、、
高所恐怖症の僕、
心から尊敬します、、、
さて、
少し 話が脱線しましたが
クライマックス、、
池田屋の大階段
両手を広げた 銀ちゃんが
階段下から ずんずん 上がってくる
あのシーン
僕らも
上から 駆け下りてきますが
(↑僕、向かって左端から降りてきています)
このシーン、
僕ら 普段の時代劇ほど
殺陣を やっていません
銀ちゃんを前に
階段を
じりじり下がるばかりです
監督が「斬ってくれ」と
仰らない限り
殺陣師さんは当然
その手を つけはいたしません
僕ら、殺陣のプロですし
”階段落ち” は
僕らにとって
やはり
誇りある 一大イベント
大階段での殺陣は
ここぞ!
のシーン、なのです
せっかくの こんな
大立ち回りのシーンで
存分に 殺陣ができないのは
やはり 正直
とっても不満です、、
そこで 殺陣師の菅原さんに
「なんで このシーンで 殺陣が少ないんですか
僕ら もっと殺陣で使ってほしいです!
大階段で 斬られたいです!!」
直談判 いたしました
すると、、、
菅原さんが
そのまま
僕らの想いを
深作監督に
直訴してくださいまして、、、
翌日、、
菅原さんから告げられた
深作監督の ご回答、、、
「階段の途中で お前さん達斬っちゃったら
ヤスが 階段落ちした
後の芝居は 誰がやるんだよ」
、、、、
ガツーーーーン!!!!!
超特大の撞木で
思いっっっ切り
ドタマ 突かれた気がしました
確かに、、、!!!
この時 監督は
僕ら 全員
斬られ役
ではなく
役者 として
扱ってくださっていたのです、、
殺陣 に とらわれ過ぎて
芝居 に 意識が 向いていなかった、、、
そこに 気づけていませんでした
こんな 大事な事に 気づかされ
大・大反省した 出来事でした
余談ですが、、、
そんな深作監督が
ある日
大遅刻して 現場に入ってきた
ある役者さんに
大声で 放った言葉
「役者は
上手いか 早いか
どっちかにしろーーーーー!!」
こんなに 解りやすくて
胸に響いた名言はなく
僕は今でも ずーっと心に残っています(笑)
深作監督との 思い出は
手記一冊 出来そうなくらい
溢れております、、、
では
さらなる続きは
次に したためます、、、