僕は 十六歳でこの世界に入り

 

大川橋蔵先生に弟子入りし

 

先生から本当にたくさんの事を勉強させて頂きました。

 

 

僕が今に至るのには

本当にたくさんの方のお蔭様なのですが

 

中でも

 

橋蔵先生と

高橋英樹さんの存在は

大変大きく

 

おられなければ

今日の僕はいなかったと思っています

 

 

 

橋蔵先生。

 

今見ても 本当に美しい照れ 

 

殺陣も所作も 何もかもが美しい方でした

 

 

先生につかせて頂き

 

僕が初めて作品に出演させて頂いたのは

 

忍びの者

 

という…昭和39年の作品でした。

今も台本を 大切に持っています照れ

 

 

先生や先輩方を見ていると

そつなくこなされるものですから

 

頑張れば自分にも できるものかと思ったりもしましたが

 

実際やってみて

 

まあー、、、、、叩き落されました(笑) 

 

 

そこからさらなる勉強、勉強、勉強、、、

 

 

やるごとに、勉強するごとに、

先生の偉大さを痛感いたしました。

 

 

そんな偉大な橋蔵先生は

 

このくらいで良い、などというものがまるでなく

 

あんなに素晴らしく 色んな事ができるのに

 

驕る事なく

さらに高みを求め

 

日々、稽古、稽古

ひたすら努力の人でした

 

休日の趣味までがお稽古のような方です。

 

 

そんな橋蔵先生の背中を見続けてきた僕も

 

今、殺陣などで 大変ありがたい評価を頂いても

それが山頂だとは 思いません

 

それを励みに 

ならば 次はもっと 良いものをお見せできるようにと

 

さらに勉強あるのみです

 

あんなに素晴らしい橋蔵先生ですら

山頂が なかったのですからね、、

 

 

 

橋蔵先生のお墓に 時折お参りいたしますが

 

今も、お墓の前に座し、

じっと 先生を見ていると

 

ふふ、まだまだですねえ、と

橋蔵先生のお声が聞こえるような気がします。

 

 

橋蔵先生

 

僕は、とっくに先生のお歳を超えてしまったけれど

先生を超えることなど なかなかできませんね

 

まだまだ努力してまいります、、、

 

生涯現役、生涯勉強。 

 

 

 

 

 

橋蔵先生におつきしながら

銭形平次に出させて頂いた 十八の僕です。

 

かわいいこと、、、、(笑)