33番地からの手紙
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記憶に残る昭和の3曲

1.老人と子供のポルカ

左卜全とひまわりキティーズ。ごぞんじ、ズビズバー~パパパヤーである。

老人とこどもという社会的弱者の組み合わせで、唄うは世相を批判したもの

交通スト、学生運動の内ゲバ、交通事故などの社会問題を嘆いた名曲。

ポルカとは、後に知ったがテンポのよい舞踊曲らしい。

コーラスを務めた、ひまわりキティーズはリズムを的確につかみ歌もうまい

ボーカルをつとめる左卜全老人は、すでに唄いだしから遅れ気味で、とても

歌詞をおぼえて本番に臨んでいるとは到底思えず、コーラスに聴き耳を

たて、あとから声をかぶせるというスタイルを終始つらぬく...。

今にも入れ歯がはずれそうだが、そんなことはおかまいなく堂々としている。

後に、この老人が日本映画の名脇役である事を知り、ずいぶん気持ちが楽になったものだ。


2.365歩のマーチ

チータこと、水前寺清子お姉さまが、演歌チックに歌い上げた行進曲。

大ヒットし、当然の如く運動会に採用された....注目すべきは歌詞であった。

人生はワンツーパンチ...汗かき、ベソかき歩こうよ...3歩進んで2歩下がる......


この歌詞を聴いたとき、今後の人生に一抹の不安を覚えた事は確かだ。

そして、50を超えた今、本当だったんだとしみじみ思うのである。

定かではないが、もしかしてこの詩を書かれたのは天才星野哲郎先生か?

学校では、教えてくれない本当のことを教えていただき感謝している。


3.帰ってきたヨッパライ

学校で大評判となり、ジャケットにはハレンチと英語で書かれていると兄の

いる友人に教えられたと記憶している。

TV出演があると聞いた日、かたずをのんで見守ったが、出てきたのは

人形劇だった。無理もなかろう、レコードの回転数を変えてつくられていたのだから.....

ブームが去るのに時間は全くかからなかった。

しかし、その後フォークルの実力をほかの数々の名曲で知ることとなり、

いまだにときどき、ユーチューブなどで聴き入ってしまう。

考えてみると、サザンがシンドバットから、つづいていとしのエリーを発信し

あまりのギャップとすばらしさに感動したのと類似した体験であった。

銀色の道は、なおも続く

初登場です! まずは、紹介を兼ねて初回記事を投稿します。

ぶろぐタイトル:33番地からの手紙

私が昭和33年生まれだから33番地、選んだプレートは、東京タワー。

高さ333mの同級生であり、高度成長時代のシンボルでもある。

スカイツリーの建設もすすんでいるが、その存在感は健在である。

いや、そうあってほしいのだ。良き時代を共感した人々の想い出と共に...

だから、気持ち的には、東京タワーの先端から全国の同世代に向けて

記事を発信するつもりでいる。


初回記事タイトル:銀色の道......

子供時代に聴いた、ダークダックス歌唱の昭和歌謡の名曲である。

運動会の行進曲365歩のマーチの一節“3歩進んで2歩下がる”と共に

人生の苦難をそれとなく教えてくれた曲であり、応援歌そして愛唱歌である。


33番地からの手紙
先日の寒波で数年ぶりに雪化粧した地元の風景、まさに、銀色の道でした。

50を過ぎ、人生折り返してもなお、険しい坂道はつづく......

登りきったそこには、何があるのだろう? わからない.....

わからないから登ってみようか、どうやらそれしかないみたいだな。


無縁社会の拡大、親の介護、不安定な雇用、こどもの将来、老後の生活、

同世代の直面している問題は多い。私にもいくつかあてはまります。

そんな世知辛い世の中でも、だてなおとのような人たちも存在している。

大いに感激し、世の中すてたものじゃあない。と20年ぶりぐらいに思った。

消えたと思った昭和の人情は、健在だった。そこで私は気づいたのです。

活気あふれるあの時代を回顧し、今と比較検討することで対応していけば

苦境の現代を生き抜く術を見つけられるはずだ!

たわいない出来事にもなんらかのヒントが隠されているに違いない!

そうだ!そうしよう。  いつもの思いこみに違いないが、やろうかな。

そういう動機でこのブログを始める事にしました。

要するに、難しい事は語れないので、たわいのない話を綴ろうという事です。

今後の記事が、どんなものになるのか、まったく自分でもわかりませんが、

出来る限り更新し、継続したいと思いますのでぜひ、また読んでください。

大阪万博時6年生のみなさまは特によろしく。

若い世代の皆様には、近代史(俗社会篇)の学習としてぜひよろしくね。


それでは、最初から長いのもなんなので、今回はこのへんで、BAI NARAグッド!