さて、前回ではこのブログの意義と新人ライブのお話をしましたよね。

自分のブログはDr.スランプ方式で、一話一話で完結式にしようと思っているため、読んでないからと言って焦るでない。

さぁここからは自分がどうしてお笑い好きになったのか、そしてなぜ漫才を始めるようになったのかを説明しよう。


幼稚園時代、自分の中の記憶で1番昔の頃だ。

ブロックで作ったカメラを先生に向け、「先生のパンツ透けてみえる!」など、エロガキ丸出しだったのを覚えている。

幼少期はエロ=おもしろだと思っていた。

典型的なクレヨンしんちゃん型少年だった。

小学生になると、「ダウンタウンが俺の師匠」、「キングコングとダウンタウンって同い年くらい?」と先生や親に聞くくらい芸人の基礎を学び始めた。

小学五年生になると当時の親友とコントをした。

当時流行っていた、フースーヤの言葉を入れながら大麻を持ってる人を捕まえるというコントだ。

今思えば小学生だなぁと思うことだが、これが人前でのお笑いの1歩目だった。

しかし、ここまではただのおふざけ少年と言うべきだろう。


中学二年生になったころだ。

クラスの面白いやつ5人を集め、文化祭の演し物で漫才をさせることになった。

漫才メインではなく、劇の最中に含まれる穴埋め要素だった。

自分は隣のクラスのダンスが得意な女の子とスペイン風ダンスを人前で披露したり、理科の時間中先生に呼び出され色んな無茶振りをしていたこともあり、先生からの推薦に選ばれた。

そのネタは5人用だったため、ザプラン9のコント漫才からいくつかを参考にし本番に向けて練習した。

当日緊張感など全くなくマイクに顔を近づけるアドリブなどを勝手に入れ5人全員が楽しんで漫才をした。

会場は3年生の女の子達がとても笑ってくれるため、滑る瞬間はなく、保護者席からの笑いがかなり嬉しかった。

漫才は成功し、また来年もやりたいなんて思っていた。


12月インフルエンザにかかった。

雨の中友達の誕生日動画を撮っていたのが原因だった。

M-1グランプリという聞いたことがある、和牛のための番組だと思っていたテレビを初めてフルで見た。

ミルクボーイはGyaOの3回戦か何かで見たことがあったが、やはり面白かった。

自分は衝撃を受けた、出てくる芸人のほとんどが面白い、、、そしてあの和牛がおもしろ荘で見たことはあったがそれ以外で見た事のなかったペコパという芸人に負けているのを見て鳥肌が立ったのを未だに覚えている。

その日、インフルエンザで昼も寝ていた自分は夜寝れなかったのでもう一度M-1グランプリ2019を見たのを覚えている。

次の日もトイストーリー3を挟み2回見た。

次の日も別映画を挟んで2回見た。

この時自分の中のお笑い本能に火がついたと言っても過言では無い。

M-1に出たい。

来年は受験だから高校生になったら絶対に出てやる。

高校受験は私立の学校が集まる説明会でM-1に出ていいと許可した学校に行くことにした。

それくらいM-1に出たかった。


中学三年生の頃五木模試の前日だった。

友達がなんばグランド花月に連れていってくれた、彼は自分たちの反応を見たいがためにチケットを買っていてくれたのだ。

今思えば凄い博打だと思っている。

実際に博打は失敗し、来たのは俺とQ介の2人だけだった。

彼に連れられて行った花月にはブラマヨ、やすとも、ウーマンラッシュアワーなど、そして吉本新喜劇ここで初めてちゃんとしたお笑いを生で見た。

未だにブラマヨの釣りのネタは覚えているそれくらい自分にとって薄く、大きい存在だった。


自分のお笑いしたい欲は爆発寸前だった。





書き始め10:23 途中休憩11:11

再開15:53 書き終え16:08