報道は正義の味方を気取る。国民の知る権利を守る、権力を監視する、

社会の木鐸である、そんな言葉を並べて、誤魔化している。だが現実はどうだ。

 

報道機関は、スポンサーに金を握られた時点で、その口は真実を語れなくなっているのだ。

語るのは“都合”と“演出”だけだ思いませんか。

 

企業が不正をしたとしよう。パワハラ、環境破壊、下請けいじめ、労働搾取。だが、

その企業がスポンサーだった場合、報道は沈黙する。あるいは、名前を伏せて「大手企業が」「某社が」と濁す。

 

なぜか?広告費が減るからだよ。提携関係が壊れるからだ。上層部が止めるからだ。

 

記者が干されるからだ。つまり、報道機関は“真実”より“金”を選んでいる。

 

それでいて「報道の自由」「知る権利」などと語る。笑わせるよな。

弱い個人の不祥事は容赦なく叩く。顔写真を晒し、過去を掘り返し、家族まで追い詰める。

 

だが、強い企業や政治家には“配慮”する。報じないことを「判断」と言い換え、

責任を曖昧にする。これが報道か?違う。これは“選別された情報の演出”だよ。

 

報道の名を借りた情報操作だよ。

諫早湾の漁師がどれだけ苦しもうと、成田の農家がどれだけ土地を守ろうと、報道は「居座り」「迷惑」と刷り込む。

 

奪った側の論理が“公共の利益”とされ、抵抗する者は悪者にされる。

なぜか?国がスポンサーだからだ。大企業が協力しているからだ。だから、

 

報道は“正義の顔”をしながら、加害者の側に立つ。

この国の報道は、もはや“情報”ではない。 それは“麻酔”だ。 国民を眠らせ、怒りを鈍らせ、

矛先を弱い方に向ける 悪者に仕上げる

 

「まあ仕方ない」と思わせるための装置だ。本当に正義を語るなら、

スポンサーだろうが、政治家だろうが、警察だろうが、 名前を出して、事実を突きつけろよ。

 

それができないなら、黙ってろ。 中途半端な正義感で、 国民を“知った気にさせる”な。

報道は卑怯者だ。 そしてその卑怯さが、 この国の腐敗を支えているのだ。

気が付てるのがどれだけいるのか知らないが、知らないふりか、声が聞こえない