篠笛奏者:朱鷺たたら 笛吹き道中記 -8ページ目

篠笛奏者:朱鷺たたら 笛吹き道中記

篠笛奏者:朱鷺たたらの公式ブログ。コンサート,スケジュール,プロフィール,篠笛教室。


篠笛奏者:朱鷺たたら 笛吹き道中記


朱鷺たたら門下生の発表会です。


発表会後には朱鷺たたらミニライブも御座います。


=入場無料=
どなた様もどうぞご自由にお入り下さい。


▼日時


平成25年11月3日(日)
午前11:00~


▼場所


【川崎能楽堂】
〒210-0024 川崎市川崎区日進町1-37(電話044-222-7995)
JR 川崎駅東口より徒歩5分


▼門下生発表会(11:00~16:30)


第一部 独りで頑張る!の部(11:00~12:00)

第二部 独り、ないし2人で頑張る!の部(12:30~13:45)

第三部 仲間と一緒に頑張るの部~合奏曲~(14:00~14:45)

第四部 ゲストと一緒に頑張る!の部(15:15~16:30)


▼朱鷺たたらミニライブ(17:15~18:00)

【出演】
朱鷺たたら (篠笛)
佐藤誠 (ギター)
石川智 (パーカッション)


▼お問合わせ


http://shinobue.com/ (朱鷺たたら公式サイト)

邦楽器で、最近いろんな西洋の曲やること多いですね。

楽器やってる側の気持ちとしては、篠笛でもこんな曲吹けるのよ!という楽器の可能性紹介の気持ちが強いように思います。

でも、気をつけな危険やな、とわたしは思います。

もともと篠笛という楽器自体が、あまり知られてないところへ、西洋音楽という、篠笛としては不得意とする他人の畑へ出かけて行って、演奏するということは、

「あちゃー、ダサイ!篠笛って恰好わるー」
「ピッチ悪い楽器なんやなー」
「やっぱフルートでしょ」

という、篠笛を愛するこちら側の意図と真逆の結果を招きかねません。

やるからには、

「あれ、これってフルートの曲やん?でも篠笛でやった方が恰好いい!」

とか

「これは絶対、篠笛ならではだよね!」

という肯定的な結果を出せるような演奏にしなければ、わざわざテクニック的にもかなりハイレベルなものを要求される、西洋の畑へ出かけて行った意味がありません。

ただ、篠笛でも吹けるんだよねーみたいなのって、なにか価値があるとは思えないのです。

篠笛の恰好よさ、音色の素晴らしさを存分に発揮できる曲を選ぶところから、演奏家の仕事は始まっていると思います。

マイナーな楽器だからこそ、ついつい、こんなのだって吹けるんだから!っていいたくなる気持ち、すっごく共感しますけども、でもだからこそ、篠笛の魅力を人よりずっと知っているんやという自負をもって、選曲し、演奏していきたいと思います。
指揮者の斉藤一郎先生を見て感じたこと、いろいろあるけど、なかでも鮮やかな印象だったのは、「アスリートや・・」ということ。

本番前の袖で、黒い燕尾服姿の長身の先生が、ひたすら柔軟体操して、準備運動なさっている。

長~く逞しい腕や足をぶんぶん振り回して伸ばしてはるので、直径3メートルほど近寄れない。

燕尾服じゃなかったら、陸上のトラックが背景に見えてもおかしくない。

最近、ミュージシャンはアスリートと共通項多いなと思っていたのだけど、自説の確信深めてしまいました。

本番って、その瞬間しかないのに、そこへ至るまでにかなりの道のりがあるのは、誰しもわかっていること。

練習の段階でできていることはみな了解しているけど、でも、本番でできなければ、意味がない、というのが厳しいなあ。

フィギュアスケートを例にすれば、わあ~っ、ジャンプ失敗したー!

まあなあ、練習で一回も成功したことないしなー、ってありえへんわけで、練習ではもちろん何度も何度も成功しているわけです。

でも、本番でできひんかったら、評価されない。

たった一度の本番の舞台を成功させねばならない。

そこへの集中力や覚悟、といったものが、演奏家には必須なのではないかと思うのです。

だから、音楽家とアスリートは似てると思うのです。

他には、日々の地道な訓練の繰り返しが欠かせないというところも、似てますね。

加えて、勝負師のような度胸も。

これにすべて賭ける!みたいな。

普段すべてを賭けるなんてこと、あまりないですね。

しかも、その現場を大公開している。

うわ、考えたら怖ろしい・・・


お客様は一度きりの場合も多いですから、そこでコケると、「なに、この人ー。あかんやん。もう一生聴かへん~」ってなります。

だから、失敗はものすごい損失を生みます。

あまり考えると怖いから、もうこのへんで考えないように、軌道修正していくのですが、これもまた、イメージトレーニングで、アスリートと似てる。

アスリートのインタビューなんて読むと、わかるわかる~とうなづいてること多いです。

絵の場合は、本番で絵を描いていくとこ公開する、ということはあまりないでしょうけど、でも素晴らしい絵というのは、画家の描いているときの、息遣いや感性が生々しく、鮮烈に絵の上に表れていて、集中の高い生演奏を聴いているような、そんな印象を受けませんか?

絵を描いている画家に、たったいま共鳴していくような感覚をわたしは受けます。

たとえ、もうすでに亡くなっている画家であっても。

いくらでも描きなおせるわーと思って描いてはらへんはずですよね。


で、はじめの斉藤一郎先生の話に戻りますと、「音楽家には集中力が大事だと思ってる」とお話しされました。

そのために、なにか運動、というか、集中力を高めるためのものがきっと必要だ、と。

わが意を得たり!で膝を打ちました。

嬉しかったな~

それにしても、本番での一体感はすばらしく、気持ちがよかった!

身体の内側から、エネルギーが弾けて突き破って、飛翔していって、って、どんななっちゃってんの?って感じですけど、そういう感じ。

ほとんどアニメの世界やがな・・

ほんで、会場に満ちていく感じ。

お客さんも一体になって、一緒くたになっていく。

音楽って、すごいわ。

「音楽は神の言葉」って、ほんまにそうや思います。

今回はわたしのオリジナル曲が2曲あったのですが、本番の前日の練習で、はじめて音になってるわけですから、オーケストラの方も探っている。

わたしも探っている・・。

斉藤先生は・・わかりません。(見切っている?)

前日探ってたのに、翌日の本番の演奏は、ほんまに良かった。

すごいなー。プロやなー。

わたしはわたしで自分の役割を、直前のゲネプロでついにつかめた気がしていて、もうこれでいく!みたいに腹をくくりました。

学生時代、居合道に入ったのも、そういえば、切腹願望が強かったからですが、結局、居合の技のなかに「切腹」がなく(だって死んじゃうからね)

その代わりに「介錯」が抜きんでて得意だったことを思い出しつつ、そして舞台には笛の神様がいる!と信じてでていきました。

斉藤先生の背中が、こちらにすごく集中して、感じ取ってくださっているのがわかり、すごい安心感を得て、演奏できました。

絶対、大丈夫やと思ったのです。

かなりデカイ大船に乗った~みたいな感じです。

で、その大船が出力全開~!面舵いっぱ~い!という指示に、迅速に反応して、一点に向かって突き進んでいったのでした・・・。



音楽の喜びは、平和にじかに繋がると思う。

ほんま、戦争とかやめよう。

アホらし。

もともとわたしたちは一緒くただったのに。

常ならぬたくさんの音楽家の方々と演奏して、強く確信しました。


篠笛奏者:朱鷺たたら 笛吹き道中記


左から、わたし。中央が指揮者・斉藤一郎さん。そしてコンサートマスターのギオルギ・バブアゼさん。
9月22日「関西フィルハーモニー管弦楽団 with 朱鷺たたら」コンサートが、大盛況のなか無事終幕しました。

遠くは東京、埼玉、京都、神戸からお越しくださったお客様もいて、本当にたくさんのお客様に恵まれました。

ありがとうございました!

今回、わたしの乗った曲は4曲。
「ふるさと」
「山の神」たたらオリジナル
「タタールの砂」たたらオリジナル
「サリーガーデン」

篠笛はまだあまり知られていない楽器ですから、もちろんオケとよくやる楽器でもないため、関西フィル側との相談のなかで、笛を知ってもらうためにも、耳馴染んだメロディの曲は必ずやりましょう、ということになっていました。

その上で、わたしからの「笛は元来、抒情歌を吹いてきた楽器ではない。

お囃子でも見られるように、野外でも遠く通りぬけていく野性的で強い音色を持ち、かと思えば神事や葬送に携わってきた神秘性を兼ね備えたものであって、そういう笛の面を意識して表現しようとしてきたのがオリジナル作品であるので、可能であれば、オリジナルをやりたい」という強い希望を、深い理解でもって、受け入れてくださり、このたびのプログラムが実現することとなりました。

オリジナルはオーケストラバージョンへの編曲が必要であり、そこも関門でしたが、主催の新見市の肝いりで実現し、関西フィルのトランペット奏者である川上肇さんが、今回の編曲をすべてしてくださいました。

22日本番。

なんという幸せな一日だったこと!!
(あんまり幸せだと、おなかも減らないので、このままダイエットに突入しようかと調子のいいことを目論み中)

実をいうと、めちゃくちゃ緊張してたんですよ。

まあ、想像してみてください。

オーケストラと一緒にやるなんて、もう意味がわからん!なにが起こったんや?

自分は音楽高校時代に派手に挫折していて、40人の精鋭クラスメートたちはほぼもれなく音大へ進学しくなかで、実はわたしともう一人音大受験せえへん、と言い出したものがいて、学校始まって以来かというくらい、大問題の学年になってしまったのでした。

練習漬けの日々から、突然解放された怖さのなかで、大学時代は刀をひたすら振っていたのですが、その間も音大へ進んだ友たちは練習漬けの日々が継続しており、それが実を結び、オケに入団したりしていくわけですから、自分とはもう比べものにならない世界の住人たちです。
そういうプロ軍団と共演させてもらえるのか・・・。

やばい・・・
でも、すごい。
うれしい。
でも、やばい・・・
すごい。
うれしい。
でも、やばい・・

クローバーの葉がたくさん散っていきました。

かなりクラシックへの挫折感強いなーと今回発見しました。

自分探しってやつでしょうか。

自分探しって胡散臭すぎて、大嫌いなんですけど、ついそんなこと、思いました。

笛のピッチが、442のオケとのアンサンブルのときに、一体どうなるのか、激しく心配だったり、心配しだすと尽きることがありません。

ところが、リハーサルに行ってみて、なんでしょうか、関西フィルの方々のすごく暖かな懐のなかで、育ててもらったような、そんな感じでした。

いやー、オケってもっとツンツンしてて怖いイメージ(ごめんなさい~!)だったんですよ。

ところが、やっぱりみなさん一人一人がミュージシャンなんですね。

考えたら当たり前なんですけど。

特にフルートパートの先生方は、同じ横笛なので強い興味を持って聴いてくださり、「吹きだしで、タンギングしないのねー」とか、「いいわ~日本人だわ~」「音がすうっと通っていくんだねえ」とか純粋に、感じたことを言葉にしてくださって、わたしの笛への情熱を共有してくださいました。

また、チェロパートにはに10年以上前に共演した大町剛さんがいらして、思いがけない再会に、旧交を温めることができ、オケメンバーでもある彼からの励ましの言葉がまたとても力になったのでした。

また、リハのあと、感動して泣いてるメンバーの方がいらして、少女のような雰囲気の美しい方でしたけど、絶対凄腕の彼女が、自分が次にソロ吹かなあかんのに、感動して泣いてたりすることあって、感動屋さんだというお話でしたけど、自分もそういうとこあるし、またそれがオリジナル曲でそういってくださったので、大変に有難く、励みになっていきました。

もう関西フィルの演奏家のみなさまや素晴らしい事務方のみなさま、無駄な動きのない裏方スタッフのみなさまに心から感謝です。

ついて行きたい~気持ちです。

そしてそして、指揮者の斉藤一郎先生。

指揮者のいないアンサンブルの場に大抵身を置いていますので、指揮者の先生と交わる経験がほぼありませんでしたが、絶大なパワーと集中力と、カリスマ性で、ぐいぐい音楽を生きたものに具現化していかはります。

すごいなあ~・・・

いいなあ~~・・・

一言でいえば、久しぶりにわたしは音楽の先生に教えをいただいた、という気持ちでした。

いま、師匠についているわけでなく、独学に近いため、わたしにとって大きい恩恵でした。

まだ書きたいことあるんですけど、長くなってるから、また次回にします。

マニアックな音楽ファンの方は次回もぜひお楽しみに!

リハーサル風景写真公開!!

関西フィルの練習場です。

私服がものすごいと事前に話題になっていた斉藤先生ですが、この日はそんな派手派手ではありませんでした。

しかし、細部に気がいきとどいていて、かなりおしゃれ。

恰好いい!

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なんで伝統的に篠笛にはタンギングの奏法がないのか?


伝統的なジャンルの先生が、「篠笛でタンギングは下品です」と言わはったと聞き、笑いつつ、ちょい腹も立ち(だって、「タンギングしないわたちたちこそが上品」と言っているようで)、そのあと、ものすごい疑問が生じている。

なんでタンギングないの?!

西洋楽器の管楽器はまず、おしなべてタンギングするよなあ。

西洋以外はしないのかな・・?

韓国のテグムはどうだったかな?

ああ、もっとタンギングに注目して聴くんだった。

以前、共演した韓国の横笛奏者はめちゃくちゃうまかったし、楽曲もとても洗練されていて、ふんだんにさまざまなテクニックが駆使されていた。

そう感想をいうと、「俺はね、韓国の伝統的なジャンルからいえば、異端児なんだ」といわれた。

そっかーー。

なんや、あたしと同じやん。

ってことは、伝統的にどうなのかは参考にならないわけだけど、聞いておけばよかったなー。
悔やまれる。

しかし、あのときはタンギングは篠笛では伝統的にはしないのよ、と思っていただけで、なぜそのテクニックが選りすぐりされた上で、捨てられたかのようにないのか、疑問を持っていなかった。

さあ、疑問に戻ろう。

日本の横笛、ジャンルが分かれてるけど、竜笛、神楽笛、篠笛、能管・・・

すべてタンギングしないっていうのは、一体なぜ?

それぞれジャンルが違ってて、あまり交流ないようなくせに、タンギングの代わりのように、指打ちという特殊な技法が共通してるって、どういうこと?

指打ちとは、同じ音が連続して続いたときに、伸ばすのではなく、音を区切るために、指孔を打ち、間にもう一音入れる奏法のこと。

これやると、一気に「わあ、なんか民族楽器っぽい!」って感じになれる。

フルートでやっても、同じ効果が得られる。

この指打ちをすると、間に入ってくる音が、ピッチよりも、竹の素材の音っぽくて、なかなかエキゾチック。

どんな音を入れるかは決まりがないので、奏者がセンスで入れていくのだけど、派生して一音どころか、いっぱい装飾音のように入れてもいいし、この辺りは即興的。

(伝統的に即興性が高いというのは、日本の伝統音楽に限らずよくみられるけど、クラッシックにはない要素だな。)

管楽器吹いてて、音の立ち上がりを鮮明に聴かせたいな、と思う場面、いくらでもあるはず。

そうしたら、なんだかいろいろ工夫しているうちに、唇でプッとかやってみたり、舌でトゥッなんて、やってしまいそうなんやけど。

一度、やってみたら、「お、なんやこれ、使えそう~~!」ってなるやろ、普通。

ところが、それが何百年もの間、日本の横笛に皆無って、それって一体どういうことなんやー?

いや、横笛だけやない、篳篥も笙もしてへんかったんちゃうかいな。

尺八もやろ。

あ、これは確認しときますね。

同じ高さの音をどうやって区別して吹こうかと考えたときに、舌でトゥッって区切るのは、指で指孔を打つより、ずっと自然に思える。

指打ちは、区別して吹きたい同じ高さの音と音の間に、必ずもう一音入ってくるのだから、ある意味、フレーズが変化してしまう。

さらにスピードが落ちる。

だから速いパッセージを同音で粒そろえて、区別したい場合、指打ちの奏法ではもう対応できない。

これって致命的だと思うわけ。

ところが、舌で区切れば、余計な音が入らず、そのフレーズをそのまま吹ける。

高速でも対応できる。

指打ちの方が、かなり特殊な区切り方だと感じるのだけど、タンギングが皆無で、日本の笛のタンギングに代わる奏法が、横笛も尺八も指打ちであるというのは、なにか特別な秘された理由があるんやろうか。

実は、昔の日本にも、もともと、タンギングという奏法があり、指打ちという奏法もあり、両方あったのだけど、両方比べてみて、「タンギングはやっぱりお下品ね!わたしたちはこんなの使わないでおきましょ。」って、選んだわけでしょうか。

つまり、

1.知ってて捨てたテクニックなのか

 そうでなく、もともとないなら、

2.こんな自然発生的にあっておかしくないタンギングがなぜなく、
もっと作為的に感じる指打ちばかりが常識的にあるのはなぜか、と問いたいわけ。

うむ~~・・・

知ってて捨てたなどという経緯があるなら、めちゃくちゃ興味深いな。

そうでなく、なぜか舌を使うという手だてを思いつかなかったというのなら、理由としては、タンギングでないと演奏できないような曲がなかったから、とかそういうちょっと消極的で残念な訳だったりして・・。

タンギングが下品や、と言わはった長唄の先生はご存じかなあ?

実は知ってて、歴史的な経緯を踏まえた上でおっしゃったのかなあ。

又聞きなので、聞きにくいっす。

どなたか知らはりませんか?
あるいは、憶測でもいいので、タンギングを使ってこなかった理由について、推理を教えてください~

お待ちしてます。
本番への心構え、アドバイスです。

わが門下では、年に一度わたしの主催する発表会があります。
これはもう恐ろしい現場でして・・・
っていうのは、出る側の方々で、聴く方は年々アップする演奏内容に、
長時間にも関わらず、楽しんでいただいているのではないでしょうか。

で、会が終わるとですね、
出演した何人かの方が

「もうアカン、死ぬ~!」
「何年やってるんだか、もうなんであんなとこで間違えるねんわたしのアホ~」
「どないしたら緊張せんですむかいな」
と、天を仰いでらっしゃいます。

で、言いたい!

あのですねー
本番に向けて、間違わないようにちゃんと練習したの?!むっ

そうかそうか、そのためにいっぱい練習したか・・
・・・それが間違いなのだ!!叫び

ていうのは、「本番は、間違うもの」なのです。
前回、失敗したから、今回はもっと頑張って絶対失敗しないようにしようと、
普通はこう考えるかもしれないんですが、
いいんですか、これで?
このやり方で毎回、失敗してるんじゃありませんか?

よく聞かれるのは、
本番は、普段の力の50パーセントだせたらいい、と。
それで、そのパーセンテージをちょっとでも挙げるべく稽古するのだ、と。
確かにそうなんです。

でも、それって「できる方」に意識向けてまへんか?
そうじゃなくて、
残念ながら、「できない方」が50パーセント近い確率であるってこと。
本来の力を十分発揮できないのが、本番っちゅうもんや、ということです。

まず、事実をぐぐっと飲み込んで・・・

さあ、本番だ、やばい。メラメラ
まず、前提としてトチルよな、緊張するで。
下手したら暗譜が全部すっ飛んで真っ白に燃え尽きるで。

と、思ってください。
すると、稽古方法がちょっと変わりませんか?

間違うんですからね、
間違えたとき、どうするか?ですよ、大事なのは。

あっ・・とかいって、
いま、わたし間違えました、と声も顔も大にアピールするのは、一番やっちゃいかんですね。
もうめっちゃ聴いてる方の心臓に悪いです。
ほんまにやめてー
そして、演奏止めるっていうのも、選択肢として選びたくないですね。

そうしたらもう、ごまかす!しかないじゃないですか。
そのために即興の練習が生きてくるんですよ。
稽古の時に、さあ、即興しようというと、
大ブーイング起きますけども、
なにもいじめてやろうなんて思って言ってるんじゃないんですえ。
その逆ですわ。
不測の事態に備えている、といっても過言ではないのです。
本番で間違えそうな人には、即興の練習は不可欠ですよ~~
それから、ブレスするの忘れちゃった(えへっ)って人には、
循環呼吸の練習も必要ですよ~~

そして、ぜひとも身に着けたいのが、「何事にも動じない不遜な態度」。
即興もできなかった、ごまかしようがない、という事態に陥れば、
もうここは、わたしお休みなの、休符なのよ、はじめっから。
と、開き直って、聴こえない音に耳を、自分だけでも澄ませてみる。

しかしそれでは合奏の時、相手に迷惑かけるのでは?と
おっしゃいますけど、
いえいえ、そんなことありません。
二重奏の相手が間違えたとき、確かに身を切られるような痛みを覚えますが、
実際、重傷を負っている相手が、倒れてしまって、
手をさしのべなきゃならん、とこちらまで共倒れになるよりは、

「え、わたしどっか斬られてる?」べーっだ!

と素知らぬ顔で、動じない相手の方が、ずっと安心ですよ。
そのうち、復活しはるやろ、と思えます。

それでも復活しない、しかも最悪なことに、いなくなった相手がメロディラインだ!!
というケースでは、仕方ないからメロディを自分が急きょ、代役するしかありません。
ここから、第二パートの人が主旋律になることになっててん、みたく。

リハーサルでは、間違えるというケースも踏まえて、相手の人間性を見定める、という
大事な時間でもあります。
相手に信用が置けたら、安心感が生まれ、本番が楽しめますよ。
相手にとっても、安心してもらえるような、そんな余裕を持てるよう、
普段から、追いつめられたらどう切り抜けるか、という視点も入れて、
稽古しましょう。

あらー、考えてみたら居合と通じるなあ。
居合は、絶体絶命の状態から、いかに相手を倒す、とこまでいかなくとも、
自分の命は守るか、という身体術なのです。

本番というのは、追いつめられる現場です。
だから、緊張します。
本番で緊張しない人がいるとしたら、
追いつめられてないってことじゃないでしょうか。
真剣勝負に身を投じてない演奏なんて、推して知るべし、です。
わたしは緊張して、ガクガクブルブルしている生徒さんたちが、
大好きです。

普段、緊張しようと思ってもできない、でもそれができてしまうのが本番なのです。
緊張してきたら、
よし、追いつめられてきたぞ、いい感じアップと構えてみましょう。
本番は大変に深い経験をする機会です。
プロはしょっちゅう追いつめられまくってますから、
だからうまくなるんですよー。

主催者としては、これでもか、というくらいに緊張できる場を作ってやろうと
目論んでいます。
ははは目(鬼)

だから、発表会、ぜひ参加しましょう~!
あ、だれかうまくなってから出るって言うた?

それ、禁句。
日頃の成果を単純に発表する場じゃない、と。
それなら、日頃から録音しといて、最高の出来のを持ってくればいいんやから。

真剣勝負の映画を鑑賞するんやなしに、
自分がその勝負の現場に放りなげられる、そんな場です。
(笛だから、死なないから大丈夫。)
場を踏まないと、経験になりまへんで。








篠笛におけるタンギングについてお話したいと思います。

タンギングとは、タン=舌で音を区切ることです。

篠笛では伝統的にこの技法は使わない、といわれています。

同じ高さの音が連続してでてきた場合、舌の代わりに指を打って、ピロっと別の音を挟むことで、音を区切ります。

これを指打ちといっています。

指打ちをすると、ちらっと挟まれる短い音は、旋律として認識されにくく、絶対的な音の高さとしてよりも、竹の音として聴こえるという不思議な効果が得られます。

西洋人が聴いても竹の音、と思うのか、雑音と感じるのかは興味のあるところですね。

さて、伝統的にはタンギングは使わないのですが、帰属のジャンルに属さないわたしの場合は、多用しています。

わたし以外にも、同じような立場の演奏家は大抵の方が使っているように見受けられます。

伝統の世界にいる先生のなかにも、使う方はいらっしゃいますが、わたしの生徒は、ある長唄の先生から、篠笛でタンギングは下品です!(!?)と一喝されたと話していました。

真意はわかりませんが、伝統的な流儀を学ぶ際には、そこでよしとされていないテクニックを学ぼうとする姿勢は、歓迎されないという例だと思います。

篠笛、というと、古くからあるというイメージですよね。

それはそうなんですが、かといって、童謡や抒情歌を演奏してきた、というのは幻想なんです。

けれども、篠笛の稽古では、そういった曲をする場合が多く、童謡の「ずいずいずっころばし」や「あんたがたどっこさ」などは、いかにも篠笛で演奏したら合うやろなあと思われると思います。

こういった曲は、テンポが速く、指打ちで演奏すると、間にもうひとつ音が入ってきますから、
なんだかメロディラインがぐちゃぐちゃになって、だんごに聞こえ、こどもが跳ねて歌っているような、かわいらしい感じも出せない、とわたしは思うのです。

そういう訳で、わたしはこういう曲の場合には、曲の良さを活かすために、タンギングを使って演奏しています。

atnから出版している「横笛&和太鼓アンサンブル曲集」という曲集に、わらべ歌メドレーを収録していますが、多分にタンギングを使っています。

クラシックを学んだ経験が大きく影響しているのだと思いますが、曲に出会ったとき、その曲をどう解釈、吟味するのか。

そしてそれを表現していくのに、一番ふさわしい表現方法はどれか、ということを一番優先して考えます。

すると、そこから必要なテクニックが浮き彫りになると思うんですね。

たとえば、音程の離れた2音があり、呂の低い方から、ずいぶん高い音へいっぺんに移行しなければならない。

そして、そこは力まかせに出すような箇所でなく、とてもなめらかに、2音目ははかなく消えるように、出したい。

そういう場合、求められるテクニックはとても高度です。

横笛で、離れた音をなめらかに出す、というのはとても難しいのです。

そして、単音でも高い音、というのはみなさん、苦労なさっているのではないでしょうか?

苦労してます!と力いっぱい表現するわけにはいかないので、そうなれば、やはりここをさりげなく、難なく、そして美しく、演奏したいのです。

自分の表現したいものが確固としてあって、それに己のテクニックが足りていない。

そうしたときに初めて、テクニック練習が生きたものになってくるのだと思います。

できるまで、必ず、やり遂げるしかないという気持ちになりますもんね。

フルートを学んでいたころは、溺れるほどに課題を与えられ、なんでここまでせなあかんのか、と疑問を覚える暇もないまま、練習していましたが、ひとつひとつのテクニック練習が必ずしも、曲を演奏するときに、結実していってなかったなあといまから思うと感じます。

この曲のこの部分は、もう絶対、こういう音色で、やわらかく演奏しないと!という気持ちがあってこそ、ではそういう音色で出せるような、特別強化テクニック練習を積まねば、という逆からの発想を持つことが、練習に効果的ではないかと思います。

他に、楽器の持ち方では、長唄の福原流では、左手の人差し指を笛にくっつけて構えます。

ちょうどフルートの構えに似ています。

それに対して、わたしは離しています。

ちょっと見ると、いさましい構えです。

福原流では、能管は指を離して構え(笛の頭に錘が入っていてバランスをとるため)ますが、篠笛は違うのです。

見た目が優しく、美しいからだと伺いました。

こういう美に対する型を守る、というのは徹底していますね。

わたしの構え方はそれとは違うのですが、両方試して、笛の響きを観察した結果、自分としては、指を離したほうが、音の響きが開放的でよい、と思ったのです。

また、七のトリルが簡単にできる、というのも大きい理由です。

指をつけていると、七のトリルはずらすことになり、ずらすという動きでは、速い連続したトリルはとてもじゃないが、無理です。

生徒さんにおいては、先生のいうことは絶対と思いますが、どちらが間違っている、正しいということでなく、目的が違うのだ、ということで理解してもらえれば、と思います。

わたしは、いろいろな楽曲を演奏したいし、そうでなければ存在価値がないので、楽器としての篠笛のスペックを最大限に生かすということを、価値として捉えています。

そういうわけで、わたしの門下にいらっしゃると、タンギングも、ダブルタンギングだのトリプルタンギングだの、果てはフラッタータンギングまで、やらされます。

循環呼吸もやりますよー。

たくさんの技を身に付ける。

その身体で、奏でてください。

まず、身体のテレーニングだ、と楽器の習得を位置づけています。

伝統を学びたい方には、適した流派が門戸を開いていますので、そう考えたら、いろいろ選べて楽しいですよね。

ただし!

門下の移動は基本的にタブーです。

同じ流派のなかで先生を代わる、というのはおそらく最大のタブー。

というか、たぶん教えてくださらないかもしれません。

流派が違っても、同じジャンルだと、たぶんいい顔はされないでしょう。

これには説明はいらないと思います。

また、わたしのような根なし草の先生同士の間も、すっかりク鞍替えするならともかく、同時に就くというのは

お勧めできません。

フルートの学生時代には、いつも見てくださる先生のほか、たまに大きい先生に見てもらっていました。

わたしの場合は東京芸大を目指したので、東京芸大の先生のとこまで、東京まで通いました。

これはいつもの先生から紹介いただいて、必ず、密接な関係のなかで行っていました。

密接な関係というのは、レッスンで見てもらう曲をあらかじめ、いつもついてる先生によくレッスンしてもらい、大きい先生のレッスンのあと、すぐに報告し、受けた注意点などを先生と一緒に確認していく、というようにです。

ですので、生徒の勝手な判断、というのは入る余地があまりないのです。

生徒というのは、まだ未熟なのですから、先生を判断する、というのは危険なことだと思います。

そこで、複数の先生から、先生同士のつながりのないなかで、同じ曲について、違う解釈を提示されたとき、最終的に同じ地点を目指す解釈であっても、音楽的な素養が未熟なため、判断できません。

先生同士で言ってること違う、となってしまいます。

そこで、いや、わたしは絶対にこちらが正しい、ともし判断できるならば、すでに誰にも習わんでいい、と思います。

とにかく、楽器を習得するときには、まず一人の先生について、その先生の音楽への取り組み方、技法の練習方法、曲の解釈の仕方などを鵜呑みにしようと心がけてください。
長く、真剣にやっていますと、どこかで鵜呑みにできない部分が必ず出てきます。

そういう疑問点を、大切に、いつも問いながら稽古を積んでいけば、やがてなんらかの答えを掴めるのではないか、と思います。

いつもいつも、疑問点を教えてもらおう、と思わないことも、上達のポイントかもですよ。

だから、わたしは生徒さんが壁にぶつかると、お、悩んでるな。

悩め、悩め~と思ってます。

悩む人は上達します。

そして、とても品のある音楽を奏でてくれます。
わたしは篠笛吹きで、プロですが、
唯一の既存のプロ集団である歌舞伎の世界にはいません。
ではどこにいるか。
わたしの生息する篠笛界とは・・・
どこにも属さず、根なし草のように、ただ漂っているんですね~

最近、こういう笛吹がだんだん増えてきたようです。
喜ばしいことです。
篠笛という楽器が、愛されているということでしょう。

わたしの場合は、ただ笛を吹きたかっただけで、
お囃子やりたいわけでも、歌舞伎の音楽やりたいわけでも、
雅楽でも、能楽でもなかったという悲劇的な在り様でした。
どこにも習いに行く場所がない、ということに気付いたのが、
ずいぶん経ってから、なんです。
ただの楽器として、なんらかのジャンルに帰属していない笛、というものが
歴史的に存在していないんですね。
そのことがわかるまでに、だいぶかかりました。

ですから、笛のための独奏曲というものが、ひとつもないのです。
合奏曲は雅楽にはありますけども。
ただ楽しみのための音楽だったり、芸術作品としての笛の楽曲、というものがない、と
いえばいいのでしょうか。

わたしはもともと西洋のフルートを学んできた経験がありますので、
楽譜やに行くと、一生かかってもできないほどの
練習本や、曲のかずかずを目にしてきました。
それが篠笛には皆無、ということです。

ライブやりたい、でも曲がないよ、と。
江戸囃子の一部分を、しかも笛のパートだけだけど、やってみる?とか、
歌舞伎の一場面の、主旋律なくって、飾りのフレーズなんだけど、その笛の部分だけやる?
とか、そんな具合。
ですから、それってコンサートとして成り立たないじゃないですか。

がびーん・・・(ふるい?)ですよ、ほんまに。
断崖絶壁に天を仰いで、立ち尽くす、という心境です。

わたしに課題をください!
めっちゃ練習したいんです~!!
みたいな。
心から叫んでました。

で、気づきました。
ないにゃから、しゃあないやんって。
作ったことないけど、作るしかないか、と。
というのは、いくつか作曲家の先生が書かれたという篠笛の曲に
触れる機会あったんですけど、
これが訳のわからん感じで、全く面白くなく、
全く笛の良さも出てないし、
全編効果音ですか?的な笛の扱いのものだったのです。
(とりあえず、わたしの感性から見て、です。あくまでも)
もちろん、そういう曲を書きたくて書かれたんだと思うので、そこは批判するようなものではないのですが、
自分にとっての笛ってこうや!
笛の恰好よさはこれやねん!とか
笛の想像を絶する美しさやで、これは!みたいな世界に触れることができなかったのです。

で、気づきました。
笛をめちゃくちゃ好きなのって、(作曲家の先生より)私の方が絶対そうやんと。
笛のこと、知ってるのはわたし!!みたいな。
いや~、断崖絶壁で立ち尽くしていたところから、
にわかにこの世界の中心で、
わたしが一番!(いや、独り?)みたいな心境に、反転した瞬間ですよ。

もうなにしたってええのや、わたしの前に道はない、わたしの後ろにけもの道!
開拓者としてのハートが燃えさかってしもたのです。

はあ、なんだったっけ?
あ、教室の選び方だった。
まあですからね、楽器として笛をやりたい!って方には、
わたしとかのように、根なし草で既存のジャンルに属してない先生につくのが、
きっといいと思いますよ。
(既存のジャンルかどうかは名字みたらわかるから。)

こんなわたしも「名前くださらないんですか?」といわれたことありますよ。
まさかこんな経歴で、守るべき、伝えるべき伝統もないのに、
名前売った日には、ミュージシャンとして終わるな、と思ってますよ。
「朱鷺ひよこ」ちゃんとか、
「朱鷺うずら」ちゃんとか、
そうはいってもちょっと考えて、楽しかったんですけども。
篠笛はじめたい方への教室の選び方ガイド、
2回目です。

篠笛のなかにも、いくつか住み分けがありまして、
まずひとつが各地のお囃子です。
いわゆる祭り囃子ですね。
これやりたい!という方は、そこのお囃子の連の門を叩きましょう。

お囃子の笛は、古典調と呼ばれています。
格式高い感じしますね。
でも、そういう意味ではなく、ドレミに合わせて調律した笛を歌用と呼ぶのに対して、
古典=もっと古いねん、というような意味で使われています。
だkら、ドレミには合ってませんから、なんか知ってる曲を吹いたろーと思っても、
難儀します。
日本中にお囃子が細々と残っていますが、それぞれ使う笛が違いますので、
古典調子の笛持てばお囃子が吹ける~という訳でもないため、
とにかく参加したい祭りの連の方に、
聞いてみてくださいね。
太鼓もさせてもらえることが多いはず、です。

地域の行事にどっぷりと参加できて、土の香りのする民族楽器やってるなあ~という
実感をひしひしと感じられるはずです。
お囃子はプロの世界ではありません。
だからといって、レベルが低いとかそういう話ではなく、
祭りと一体化しており、それは宗教儀礼の一部であるわけで、
その土地ごとのメンタリティと深く、繋がっているものです。


さて、もうひとつは、歌舞伎の音楽です。
長唄、というジャンルです。
これはプロの世界であり、現在、笛でプロとして、
どこかに属したいというのであれば、ここしかありません。
長唄で使う笛は「唄用」といっています。
が、ややこしいのですが、たとえばわたしが使っているような笛は
同じく歌用なんですが、平均律に調律してもらっています。
これと、長唄の唄用とはちょっと律がずれます。
長唄用の唄用調子だと、平均律で書かれた曲を吹くと、
少し調子っぱずれになってしまいます。

長唄用の唄用調子と、平均律に調律した歌用とは違う、と考えてください。
この見分けは素人にはつかないと思います。
わたしたちは笛師さんで、区別つきますし、まあ吹けばわかるんですけども、
はじめは楽器は先生に選んでもらうのがいいですね。


長唄では、実は能管も使うんですよ。
能が武家社会の加護を受け、式楽として次第に格をあげていったのですが、
庶民たちの楽しみとして、河原での阿国歌舞伎が有名ですが、
能を真似て、もっと庶民らしい、楽しめる感じのものとして
発達してきたのが、歌舞伎です。
そういう経緯があるので、能で使う能管も歌舞伎で使うんです。
長唄は唄というだけに、実は唄が主役です。
三味線の伴奏で唄われ、そこに笛は飾りのように奏でられます。
残念ながら、主旋律ではないんですね。
カルチャーでも横笛の教室は最近、都会で増えてきています。
「望月」「福原」「藤舎」といった名前の先生だと、
長唄の流儀だと考えてください。

唄が主役ですから、人間の声の高さは日々、体調によっても変化します。
というわけで、大変合理的でびっくりすることに、
その日の唄の先生の声の高さに合わせてあげるそうです。
その代り、笛はたくさん用意してないとなりません。
平均律ではドとレの間は、半音があり、ドの#がありますが、
長唄はそんな機械的に分けられたって、人間のすることですさかい、とばかりに、
ドからドの#の間をさらに2つくらい区切ってしまうのです。
ド、ドのちょっと高いド、それよりもうちょっとだけ高いド、そしてドの#、というように。

一応、篠笛はドから上のドまでのオクターブの間に、ピアノ黒鍵と白鍵を数えると、
12個ありまして、基本的にそれに即して12本の調子があります。
しかし!
長唄ではそのひとつの音をさらに細かく分割しているわけですから、
全部で30本余りの調子があり、それを持ち歩くといいます。

本格的に長唄を勉強したい、というのでないなら、
教室でまず30本買いなさい、ということはないと思いますから、
ご安心ください。

わたしの教室には、長唄を勉強していたという生徒さんが少なからず、
いらっしゃいます。
教室にもよりますが、はじめてすぐは童謡や抒情歌も習うようですが、
やはり先生が長唄の専門の方ですから、
やがて生徒も長唄を習うことになるようです。
篠笛はあくまでも、主旋律ではない、ということは
主体があって初めて、己の役割が見えるということであり、
全体像が見えなければなりません。
つまり歌舞伎の勉強を深める、というのが教室の主旨だと考えたらよい、と思います。
流儀を守り、伝えていくということがとても重要視され(当たり前ですね)、
楽器の技法についても、西洋楽器にはないような制約があります。
楽器の構え方にも、お約束があります。
また、お名前をいただくことができる、というのは特徴かもしれませんね。
聞いたところによると、3年くらいお稽古すると、名前を勧められるそうです。
100万円くらいで、名前を付けてもらえると聞きました。
でも、その時点ではまだ下手ですから、(稽古はじめて3年だとまだまだそんなもんです)
素人名取といって、いただいたお名前を公にしてはいけないとか、と聞きます。
その辺りは各先生方によって、考えが異なるかもしれません。


そういう訳ですから、
耳なじみのある曲を楽しみたい、とかバンドやってるんだけど、
笛を入れてみたい、とかいった気持ちで笛をやりたいという方には、
長唄の教室は、お勧めできません。
楽器の性能的に無理があるということもありますが、
技法の面からも、独特な流儀の美学を守るための制約があり、
また、長唄というジャンル以外の音楽をやる、という行為にたいしても、
流儀を守る、という観点からでしょうか、歓迎されない、ということを耳にします。


ここまでお囃子、長唄とふたつのジャンルを見てきました。
いよいよ次回、わたしの生息する篠笛界をご紹介しましょう。






これから笛をやってみたいな、
という方のために

教室の選び方について、お話します。

西洋楽器と違って、邦楽の世界というのは、
「まるで見当がつかない。お金がものすごくかかるのではないか?」
と、おっしゃる方が多いです。
いや~、わからんと言いながら、ようわかってはるじゃないですかー。


今回は笛を吹いてみたい、でも、どこで習えるん?
邦楽って敷居高そうで怖い・・という方々のために、
経験談も入れつつ、ちょこっとアドバイスできたらな、と思います。

さて、日本の横笛に心を奪われてしまいました。
さあ、どうしよう。
習いたいな~
ところが、日本の横笛には実は大きく3種類あるんですよ。

順不同で並べます。

1.竜笛 りゅうてき
2.能管  のうかん
3.篠笛  しのぶえ

竜笛は「雅楽gagaku」で使う横笛。
能管は「能楽nougaku」で使う横笛。(ドラマだと幽霊が出るときに、めっちゃ活躍している)
篠笛は各地のお囃子や歌舞伎の音楽、さらに最近のアニメやドラマ、ポップスなどでも聴かれるようになった横笛。


これ、なにが違うって、ジャンルが違うんです。
スポーツにたとえれば、バスケ、サッカー、バレーって感じ。
全部、球技なんだけど、ルールも違うし、使うボールもちょっとづつ違う。
選手は、みんな運動選手であるのは同じですけど、
今日はサッカーして、明日はバスケってことはない。
それぞれ専門性を備えていますよね。
それと同じで、横笛と一口にいっても、
それぞれ別の、違う世界なんですね。
記譜法も違うので、畑違いのジャンルの笛の譜面は、まさに暗号です。
読めません。


ですから、自分がなにを吹きたいのか、でまずジャンルを(楽器の種類)を選んでくださいね。

①の竜笛は雅楽で使われる横笛です。
雅楽はその昔、中国から伝わってきた音楽で、結婚式で流れるのを聴く機会があるかもしれません。
本格的には、宮内庁楽部で演奏されています。
結婚式で奏されるあれは、越天楽という曲で、
「黒田節」の元といわれ、黒田節をながーく引き延ばしたように、ゆっくり奏した感じの曲です。

合奏で、リズム楽器のほか、管楽器があと2種類、弦楽器もあります。
ちょっと聞くと、大陸っぽい、エキゾチックな響きで、
あまり日本的な感じはしないかも、です。
知っているメロディ吹きたいなーというのには、あまり適した笛ではありません。
古物商などで、古い笛が出るとしたら、大抵はこの竜笛です。
義経や敦盛といった、歴史的に名手として知られる人物の笛がいまも残されていますが、
すべてこの竜笛なんですよ。
また、神社や天理教でもよく奏されています。


②の能管は能楽囃子で使われる横笛です。
これはかなり特殊な響きを持っていて、
知っているメロディを吹きたいな~という方には
全く向いていません。
めちゃくちゃテクニックを持つ吹き手なら、吹けますが、
あえて、チャレンジする方以外は、馴染みのある曲吹きたいという人に、
お勧めする笛ではありません。

ドラマで幽霊が登場するシーンで聴くことができますが、
それより、能楽堂でぜひ本物を聴いてくださいませ。

ドレミの音階とは無縁の律を持ち、
しかも笛一管、一管ごとに律が微妙に違いますので、
能管持ち寄って合奏しよう、という訳にはいきません。
古典では、大小の鼓と太鼓、そして謡とともに合奏しており、
唯一の旋律楽器です。

③の篠笛が、知っているメロディを吹くのに適した横笛です。
とはいえ、古典的にはそうでもないので、
それは次回の項で詳しくお話ししますね。


さて、わたしは、全く笛のことを知らないのに、とにかく篠笛だー!(篠笛という楽器名だけは、突き止めていた)
絶対、篠笛吹きたいっ!!の一心で燃え上がっていたのですが、
さて、どこで習えるねん?
周りの人に聞こうにも、誰も知りません。
とにかく、電話帳開きました。
(ネット、なかったんでしょうか・・?覚えてません)

そこは住まいが京都だったこともあってか、「邦楽器博物館」なるものが近所にあることがわかり、早速電話して、原付バイクで行ってみましたよ。

個人宅でして、おじいちゃんが迎えてくださいました。
身動き取れないなかで、丁寧にいろいろな楽器を説明いただきましたが、
うすうす、
これ、篠笛ちゃうんちゃう・・?
と気づいていました。
おじいちゃんは、山田全一先生という雅楽の笛を作る職人さんで、
かなり高名な方だというのが、だんだんわかってきました。
雅楽の笛には管楽器が3種類あり、横笛である竜笛のほか、
ダブルリードの篳篥、吹いても吸っても鳴る、パイプオルガンのような笙があります。
それらすべてを作ってる方だったのです。

とても面白かったのですが、しかしわたしは篠笛に興味があったんですね。
で、伺ってみましたところ、
「日本の笛には習う順番がありましてな、竜笛、能管、最後に篠笛ですにゃ」
と言われました。
確か、そのように聞いた気がしていますが、ずいぶん前の話です。
篠笛は最後?
なんという・・と思いましたが、なにがなんでも吹きたいもんだから、
竜笛をせなしゃあない、という訳で、
ほな、竜笛はどこで習えるんでしょうか?と伺ってみたら、
わしが教えとる!
・・・・で、入門させていただいたわけです。

いまから思えば、学んだこと多く、とても有意義な時間でしたが、
篠笛が横笛のなかで最後に学ぶもの、というのは、違います。
ジャンルが違うのですから、べつに最初から篠笛したって全然、誰も困りませんのです。
わたしの聞き間違いだったのかなあ・・
いまとなってはもうそれはどうでもよく、雅楽をちょっとかじれたことは、
とてもいい経験になっています。

さて、これから篠笛したい!と思っているみなさん。
みなさんはどうぞ最初から篠笛を手にしてくださって構わないんですよ。
篠笛といっても、またこれがいくつか流れがございまして、
目指す流れを見間違うと、あれよあれよとまったく違う目的地に向かっていきます。
どこの門を叩くのか。
ここからがご用心ですよ。

次回、篠笛のなかのいくつかの流れ(流儀といってもいいかな)について
お話しましょう。