■11/10、クァルテット・カルド

先日11/10、「クァルテット・カルド 珠玉のベートーヴェン」を聞いてきました。

どんな方々なのか全く知りませんでしたが、個人的になかなかLiveで聞く機会のなかった弦楽四重奏、そしてViolaの目立つプログラムもあるということで聞きに行ってきました。

チケット販売先が限られるので、先に問い合わせ先へメールして当日チケット確保してもらえることに。見てみれば鳥取出身Viola奏者の方と同じ名字の問い合わせ先となっていたので家族の方々?本人?かな。


■プログラムについて

プログラムは以下の通り。

第1部

・ショスタコーヴィチ: 弦楽四重奏第1番ハ長調 Op.49
・ベートーヴェン: ヴィオラとチェロのための二重奏曲変ホ長調 WoO.32「Eyeglass」
・プロコフィエフ: 2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調 Op.56

第2部

・ベートーヴェン: 弦楽四重奏第8番変ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」


一目見て思ったプログラムの印象。「なんなんだろう。何がしたいんだろう。」
結局、各曲を選び、一つの演奏会の「プログラム」とした理由は分かりませんでした。

でも「ヴィオラとチェロのための~」や「ラズモフスキー第2番」という聞きたい曲があったのでソレを楽しみに現地へ向かいました。


■「クァルテット・カルド」について

この演奏会で初めて存在を知り、初めて演奏を聴きました。
ただ一回だけではありますが、この演奏会を聞いて色々思うところあります。そのうち、ハッキリと言えることが二つあります。


一つは、「この弦楽四重奏団はチェロの人あって初めて成り立っている」ということです。

とにかく、うまかった。不安定要素が無いし、空気を見ているし、それでいて存在感がある。いい音出していました。

あのチェロの方がいるから、他の3人は安心して好き勝手(コトバはアレですが)出来るのだと思います。チェロ一つで全てのメンバーをカバー仕切れる。

もしチェロの方がいなくなって別の方に変わると、、、この弦楽四重奏団は存在し続けることができるのかな?それくらいこの弦楽四重奏団にとっては重要な役割・存在になっていると思います。


もう一つは、「1st Violinと2nd Violinは交代した方が、断然、弦楽四重奏団としての"存在感"が変わってくる」ということです。

「ラズモフスキー」以外、男性のViolin弾きが1st Violinを勤めていました。いい音を出しており、不安定要素はありません。

ただ「味が無い」と思うのです。常に同じ音色というか。

例えて言うなら「どんな料理もこの調味料一つで味付けしました!」みたいな感じ。しかも少し薄味。

じゃあ、2nd Violinを弾いていた女性の方が1st Violinをやると良いのか?と言われると、今の段階はまだ
不十分な状況。

若干、音程に揺れがあるし、まず弓が真っ直ぐで無い。よくあの弓の傾きでああいう音が出せるなと逆な関心を持ちました。

今まで誰も教えてあげなかったのかしら。

「人生、全て演奏は録音でやります!」とかそう言うのなら良いんでしょうが、「人に見られる」ことを考えた場合、早いうちに弓のクセは師匠が指摘してトレーニングしてあげるべきだったでしょう。そのままでは本人にとって、「恥」になってしまいますからねぇ。

Violin/Violaを教わり始めたころ、私の師匠がよく言っていました。

「お客さんはヒマである」

たとえいい音を出していても、下を向いて弾いていたり、弓が曲がっていたり弾き方にクセがあると、お客さんはそういった人の「アラ探し」を無意識にやってしまう。例え弾けていない場合があったにしても、弾き方には気をつけろと言うことを何度も何度も聞きました。


ただ、この弦楽四重奏団は今2nd Violinを弾いている女性の方が基本スキルを上げて1st Violinへ行くこと、「1st Violinと2nd Violinは交代した方が、断然、弦楽四重奏団としての"存在感"が変わってくる」とは(個人的に)断言出来るのではと思います。


それくらい、他の曲と「ラズモフスキー」の演奏は違って聞こえたのです。
プロフィール写真を見ても、キャラクター(内面)は今の編成と逆のキャラクターやと思いマスヨ。


■余談

「クァルテット・カルド」で検索すると一番初めに出てきたBlog。

・カルテット・カルド - エコなムジーク
 http://echomusik.exblog.jp/19189477/

しまいの部分に写真が載っているけど、一眼カメラで演奏中に何度も撮影するから、やかましくてしょうがなかった。

あと、演奏中にも出歩く客か係の人の足音が聞こえて、それが非常に残念。

この地区(倉吉や鳥取)の「客質」の無さ、悪さに呆れました。