今住んでいるシリコンバレーの近所で出会う人たちはとにかく多様!

近所で新しく出会うママさんたちとの会話はたいていまずこの2つの質問で始まる

「お子さんは何歳ですか?」

「お子さんとは何語で話されているんですか?」

そこからあれやこれやと話が弾んでいく。


面白いのが子ども同士の自己紹介も同じような要領で進んでいく

ある日公園で出会った5歳の男の子がうちの息子4歳に話しかけ、

What is your name? I am ...
(息子答える)

How old are you? I am ...
 息子:Four!(指でも見せる)

What do you speak? I speak ...
 息子:Japanese!

Do you want to play?
 息子:Yes!

そしてジャングルジムへと走っていった2人


こんなやりとりの繰り返しからの気づきが2つ

①大人も子どもも、まずは共通語である英語を話せることは大前提

日本では見た目が日本人ぽくなかったり、苗字がカタカナだったり、日本語以外の言葉を使っているだけで、「日本語できますか?」と聞かれる。相手は親切のつもりなのかもしれないけど、その人の外国語へのある種の「恐怖」、そして「拒絶」がこの質問からヒシヒシと伝わってくる。
そして聞かれた方はなんだか見下された気分で決して良い気分ではない。
「日本語できますか?」と日本語で聞くくらいなら普通に日本語で話しかけてほしい。

②英語の他に何語を話せるのかがものを言う

「なに人ですか?」、「どこの国の人ですか?」という質問はほとんど使われない
日本では良く耳にする、いつも私が答えに困っていた質問で、いかにも「あなたは外国人でしょ?」と、こちらの見た目や話している言語からそう判断した相手のある種の期待が伝わってくる。期待を裏切らないように「ブラジル人です」と答えると「日本語上手ですね!」とか「日本の〇〇って知ってますか?」といった反応が返ってくる(相手は外国人に出会えたことにワクワクしている様子)
でも移民の国のアメリカでは見た目や話している言語で国籍や出身を判断することは危ういし、別に外国人であることが珍しいことでもない。外見や紙に書かれた国籍より、「何ができるのか」がものを言う。つまり、英語以外に何語を話せるのかが人々の関心どころ


あっ、でもここのシリコンバレーが少し特殊であることは断っておきます
アメリカ国家をスペイン語で歌ったコマーシャルへのバッシング(アメリカの国家を英語以外で歌うのはあってはならないという主張)、移民への差別の話はまだまだ絶えないというのもアメリカの現状ではあります…