東京で桜の開花が宣言されたせいもあってか、まだそれほど桜が咲いているわけでもないが、上野に多数の人が押し寄せている。その上野では、東京・春・音楽祭2026が行われているが、この音楽祭は、オーケストラ作品や、合唱曲、オペラも演奏するが、室内楽やピアノ独奏も盛んである。大人気の若手ピアニストの務川慧悟が、「日曜日の朝のフランシス・プーランク」というタイトルを付けて、午前11時からプーランク作品だけによるリサイタルを開催した。プーランク好きとして見逃せないので足を運んでみた。
3月22日(日)東京文化会館小ホール
プーランク
ユモレスク
フランス組曲
3つのノヴェレッテ
村人たち
バレエ音楽「ジャンヌの扇」より田園曲
3つの小品よりトッカータ
即興曲15番「エディット・ピアフを讃えて」
ナゼルの夜会
務川慧梧(Pf)
休憩なしの90分程度の演奏会ということであったが、これはパリで日曜の朝にシャンゼリゼ劇場などで行われているコンサートのイメージであるとのこと。会場は満席であったようだが、このような「プーランク好きの、プーランク好きによる、プーランク好きのための」演奏会であれば、世の中のプーランク・ファンが集まったのかと思うと、大半が女性であった。どうも、務川のファンが多かったようである。数少ない男性かつプーランク愛好家としては、これはやや釈然としない状況である。
務川は黒いスーツをきちっと着こなし、下は赤系のシャツで、胸のポケットには赤系のハンカチを入れており、ダンディに決まっている。最初に演奏したのが、ギーゼキングに献呈したというかなり技巧的なユモレスクである。朝早くからの演奏会ということでか、最初は少し指の回りが本調子ではなく、派手にミスタッチもしていたが、徐々に指が温まったようで、落ち着いてくると持ち前の鋭い技巧と見事なタッチ・コントロールで美しい音色でプーランクの動きの速い作品を弾き切っていた。
1曲目の後に、かなりまとまった時間を取って、マイクを持った務川がこの演奏会のコンセプトを説明した。まずタイトルの「日曜日の朝のフランシス・プーランク」というのは村上春樹のエッセイの題名とのことで、著者の許可を得てそのまま使ったとのことである。村上春樹がクラシック音楽に造詣が深いのは知っていたが、村上春樹の熱心な読者ではないので何も言う資格はないが(というか10代の頃に数冊読んで好みが合わないと思い、その後は読んでいない)、村上春樹がそんなエッセイを書いていたのは知らなかった。何でもプーランクは早朝に仕事をするのが日課だったのだとか。そして、務川によると、務川は元々はプーランクは苦手であったのだという。ひねくれていて、斜に構えたところが好きになれなかったのだという。他方、ここ数年、プーランクの作品を演奏する機会が多かったところ(チェロ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ、2台のピアノのための協奏曲など)、好きになって来て、最近はすっかりはまっているのだという。パリに10年くらい住んでいて、意外に珍しいパリ生まれでパリ育ちの作曲家であるプーランクの美学が理解できるようになったのだとか。
務川の話から少し脱線するが、プーランクはピアノの名手であり、協奏曲や歌曲の伴奏等の録音もあるし、独奏曲の録音もあるが、個人的にはプーランクの最良の作品はピアノ作品ではなく、まずは声楽作品であり、協奏曲であり、もう一つは室内楽、特に、管楽器を含んだものだと思っている。室内楽については、もちろん、ヴァイオリンやチェロのためのソナタも素晴らしい作品であるが、管楽器のためのソナタ群に比べると、プーランクの魅力が完全には出ていない気がする。プーランクは本質的に歌の作曲家だと思うので、吹く楽器の方がバイオリズムに合うのだろう。協奏曲は鍵盤楽器の独奏とオーケストラの、特に、管楽器の絡み合いが素敵である(管楽合奏とピアノのための「オーバード」などとても魅力的な作品である)。他方、務川が最近演奏する機会があったというヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタは(チェロ・ソナタは各地で10回くらい演奏したのだとか)、プーランクのバイオリズムとは少し違うかもしれないが、その分、少しプーランクにしては、重厚でシリアスな音楽に仕上がっている。逆に、そこが務川にとって、良い意味でのプーランクへの入門になったのではないだろうか。
話を戻すと、務川はいろいろと話していたが、しばらくラヴェルのピアノ作品に集中的に取り組んでおり、逆に少しラヴェルから離れたいので、今はプーランクにぞっこんであるとのこと。そして、朝に仕事をするプーランクを、学生時代にパリで通った週末の休憩なしのコンサートの形式で弾いてみたいと思ったとのこと(早朝から駆り出された関係者には迷惑であったろうが、という配慮も見せていた)。
その上で、作品を解説していった。ユモレスクはギーゼキングに捧げたので意外に弾くのが難しいこと、フランス組曲は古い作曲家の旋律を使って作曲された作品であること、3つのノヴェレットは若い頃の2つの曲に晩年に1曲を足してセットにされたものであること、村人たちは、子供のための作品のようにシンプルながら、きっちりとプーランクらしい毒気が入っていること、田園曲は元はバレエ作品で、ジャンヌという舞踊家が10人の作曲家に舞踊のための作品を依頼し、その際に扇の骨組みに依頼文を付して依頼するというお洒落な方法を取ったもので、管弦楽のための作品をプーランク自身がピアノ用に編曲したこと、トッカータはホロヴィッツが愛奏した作品で難しい作品であることなどである(実際にはもう少し丁寧に説明していたが)。
一応、プーランク愛好家を自負しているが、ピアノ作品には不案内であったので務川の解説は面白かったし、勉強にもなった。そして、フランス組曲から務川は弾き進めて行ったが、基本的に(紙の)楽譜を見ながら弾くのだが、自分で全て譜をめくって弾いていたのが凄かった。近くに譜めくりがいるのが嫌なのかもしれないし、練習時に自分でめくっているので、大丈夫だと思ったのかもしれないが、小品が多いプーランクとはいえ、曲の途中で譜めくりが必要なこともあるが、ペダルを使っての持続音の最中などにさっと手際よく譜をめくるのが凄かった。もっとも、凄い勢いで譜をめくるので、紙を動かす、バサッという音が派手に鳴るのは止めようがなく、そこは譜めくりの人がいれば、静かにめくってくれるので、痛しかゆしの感があった(そういうことを考えると、タブレットの楽譜になるのかもしれないが)。
演奏は、磨き上げられたタッチで、ダイナミックな表現を付けつつ、スピード感もしっかりとあり、技術的な完成度は高かった。そして、プーランクの施しているいろいろな工夫についても、積極的に強調して弾いてみせていたので、作品の仕掛けがとてもよく聴き取れた。他方、務川は、本質的には真面目な人だと思われるところ、プーランク独特の斜に構えた、軽みを帯びた洒脱なところについては、まだまだ真面目な務川が、感覚ではなく、頭で考えて、理解して、そういうものを作ろうとしている感じがあり、その結果、演奏が少し重厚で、説明調になっていた感じもあった。言い方は悪いが、もう少し肩の力を抜いて、不真面目に演奏した方が、プーランクの雰囲気はより出るのではないだろうか。10年パリに住んでいるという務川が、かなりフランスの風を感じさせてくれたことは事実ではあるが、プーランク愛好家の端くれとしては、その努力に敬意を表しつつ、より深くプーランクの世界を表現してもらいたいと感じてしまった。
その意味では、フランス組曲は、技術的には極めて高い水準で仕上げられていたが、敢えて古い旋律を使いつつ、モダンな作品に仕上げたという、古い感性を無理やり新しくしてしまったような歪さと諧謔を表現するには、務川は少し真面目にまっすぐに弾き過ぎていた感じもした。
他方3つのノヴェレッテは、1曲目と2曲目の若きプーランクの才気溢れる楽想を、十全に弾き切ってくれて、特にスケルツォ風の2曲目の演奏は切れ味が鋭く秀逸であった。3曲目は1曲目と2曲目とは作曲時期が違うこともあり、少し雰囲気が変わっていたが、そこもよく表現していた。
村人たちは、単純なフレーズを、ちょっと重厚過ぎて感じられたタッチながら、楽しそうに務川が弾いており、シンプルで可愛らしい小品に、時折、強烈な和音などが差し挟まれるコントラストを大きく取っていたのが楽しかった。聴いていて、この作品集を弾いてみたいと思った人も多かったのではないだろうか。もう少し、力を抜いて、小洒落た感じに仕上げてもらえるとなお良かったように思う。
田園曲は、元が管弦楽作品であることがよく分かる作りであったが、務川の演奏がシンフォニックな部分も巧みに引き出していたのが良かった。
そして、唯一暗譜で弾いていたのが、ホロヴィッツが愛奏していたというトッカータで、確かに、非常に技術的であり、これは完全に暗譜していないと弾けないだろうなと思ったが、細部まで丁寧に仕上げられた佳演であった。そう、務川の演奏は、全体的に丁寧過ぎるのかもしれない。プーランクはもっといい加減な雰囲気が欲しい気がする。
最後の2つの作品の前に改めて務川がマイクを持つ。残りの2つの作品は、朝のプーランクではなく、夜のプーランクなのだという。お酒を飲みながら聴いてもらいたいような作品で、自分も聴く側であれば飲みながらにしたい、終演後に飲んで下さいとのことであった。即興曲15番は偉大なシャンソン歌手のピアフを讃えての作品で、プーランクは面識はなかったようだが、ピアフを尊敬していたとのことで、ピアフが歌うような作品を作ったのだという。確かに、それは夜の音楽であろう。そして最後に演奏されたのが題名から夜の音楽であり、小品が多いプーランクの中では規模の多い作品である「ナザレの夜会」である。これは、プーランクが親戚のおばさんの家に行った時に参加した夜会の印象を作品にしたのだという。いろいろな客が来ている様子を、前奏曲と終曲の間の変奏曲として描写しているのだという。そう言われると、エルガーのエニグマ変奏曲のような感じもするし、ムソルグスキーの展覧会の絵のようにも感じられる。務川は、各変奏曲の内容も、プログラムの紙のフランス語訳では分かりにくいとして、細かくて丁寧に説明してくれた。確かに、日本語訳を読んでも意味が分からないところが、務川の説明でクリアになったような気がしたものも多かったが、一気にしゃべられたので、覚えきれなかったのは残念である。
即興曲の演奏は、務川が、シャンソンの歌の声部をクリアに浮かび上がらせつつ、お洒落な夜のパリの雰囲気を醸し出そうとしていた。やはり真面目な性格が出てしまい、夜のパリにしては折り目が正しい感じもしたが、その表現意欲がよく出ていて好感を持って聴いていた。
最後の「ナザレの夜会」は20分程度を要する大作であるが、務川がかなり変奏曲部分の曲の性格を描き分けようとしていたのは分かったが、一番気負って演奏していたように感じられたが、全体的に表現が重くなってしまっていたように思われた。プーランクのような斜に構えて、ユーモアの溢れる紳士が、夜会で観察した結果をピアノ作品にまとめ上げたのである。やはり軽妙洒脱に演奏してもらいたいし、プーランクならではの暗い情念のようなものは、むしろ軽やかに演奏することであぶり出されるように思う。務川は、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲か、ブラームスのヘンデル変奏曲でも演奏するように、気合を入れて弾いていたので、プーランクが作品に込めたユーモアが薄れてしまっていたようにも感じられていた。なかなかその力の抜き加減は難しいことはよく理解できるのだが、そこは気になってしまった。とはいえ、技術的には極めて高く、洗練されたピアニズムで演奏されていたのであり、このレベルでプーランクを弾きこなせるピアニストは決して多くないと思われる。
最後に、アンコールとして歌曲「愛の小径」をしっとりと丁寧に演奏して、この意欲に溢れる演奏会は終わった。企画も良かったし、(いろいろと注文も書いたが)演奏も水準が高く、プーランクの音楽を堪能させてもらった。務川が、素晴らしいプーランク弾きになることを楽しみにしたい。ピアノ独奏曲もいいし、室内楽もいいが、オーバードとピアノ協奏曲を弾いてもらいたい。
ちなみに、東京春の音楽祭では、同じ日の夕方に、プーランクの管楽器とピアノによる室内楽の演奏会も開催していた。残念ながら、既に別途、新日フィルのマーラーを聴きに行く予定を入れてしまっていたので、プーランク連戦はできずに涙を飲んだが、最近、プーランクの作品が取り上げられる機会が増えている気がする。次は、傑作「カルメルは修道女の対話」の本格的な上演をお願いしたいものである。