読響の桂冠指揮者のカンブルランは5月に3つのプログラムを指揮した。定期演奏会ではデュティユーなど凝ったプログラムを指揮し、予定が合わず聴きにいけなかったが名曲シリーズなどでは、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークの交響曲8番を演奏していた。そして、土日のマチネーでは、チャイコフスキーの交響曲6番をメインに据えたプログラムを披露した。鬼才カンブルランがチャイコフスキーの「悲愴」を振るとどうなるのか。凄い名演の予感がする一方で、妙に軽妙な不思議な演奏になりそうな予感もしたが、ここは名演の予感に賭けて足を運んでみた。

 

5月31日(日)東京芸術劇場

ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」

サン=サーンス ピアノ協奏曲2番(Pf:シモン・ネーリング)

チャイコフスキー 交響曲6番「悲愴」

シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団

 

最初に演奏されたのはベルリオーズの「ローマの謝肉祭」である。カンブルランはフランス出身でパリ国立歌劇場でよく指揮していた印象があるが、オーケストラ指揮者としては、南西ドイツ放送響との関係が深く、ギーレンの後任としてシェフを務めている。この南西ドイツ放送響とは、メシアンの管弦楽作品全集という偉業を成し遂げているが、実は意外に録音しているのがベルリオーズで、「イタリアのハロルド」、「ロミオとジュリエット」、序曲集、管弦楽伴奏付歌曲集などが出ている。実は得意な作曲家なのだろう(なぜか幻想交響曲の録音は見付からなかった)。

 

この有名な序曲も録音していて自家薬籠中のものであろうが、その演奏は素晴らしかった。読響の弦楽セクションが驚くほど艶のある、密度の濃い音色を出し、引き締まったアンサンブルで、活き活きとリズムを刻む。管楽器もよく音が出ており、音色がとても鮮やかで、リズム感のよく、切れ味の鋭いアンサンブルで応える。そして、とにかく音楽の見通しが良い。全ての楽器が出す音が、あるべきところにぴたりとはまっており、それでいて窮屈なところはまったくなく、音楽全体がよく躍動する。ベルリオーズらしい派手なオーケストレーションを、外連味はなく、色彩感を強調したものもでないが、音楽の骨格をしっかりと組み上げつつ、十全に鳴らし切る。ある意味では淡々とした演奏なのだが、不思議とベルリオーズの過剰な表現意欲がストレートに伝わってくる。実はカンブルランのベルリオーズは凄いのではないかと思ってしまった。幻想交響曲を聴いてみたい。

 

続いてポーランドの俊英ピアニストのシモン・ネーリングを迎えてのサン=サーンスのピアノ協奏曲2番である。5曲あるサン=サーンスのピアノ協奏曲の中でも最も有名な作品であり、ルービンシュタインがレパートリーにしていたことでも有名だが、闊達な指回りが要求される華やかで技巧的な作品のため、若手ピアニストに人気があるようだ(選曲とは関係ないと思うが、ネーリングはルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールで優勝している)。

 

ネーリングは、確かな技巧とクリアなタッチを持つピアニストで、低音を派手かつ豪快に鳴らすなど、迫力のあるピアニズムを披露してくれたが、サン=サーンスの持つ華麗な色彩感のようなものはあまり出ておらず、少し独特の歌い回しと、真面目ではあるが、やや愚直でストレートな表現が、サン=サーンスの持つエスプリとは少し方向性が違う印象がある。1楽章はバッハ風のパッセージで始まるが、敢えて色々と表現に工夫を凝らしているが、少し不自然に感じるところもあるし、管弦楽が入って来ても、音量を抑えたりするところも必ずしも必然性が感じられない、恣意的な感じもあった。2楽章も技巧的には見事であったが、フランス的な軽やかさではなく、指回りは良いが、少し音楽の重心が低い感じがしていた。3楽章は迫力があって良かったが、もう少し軽重、緩急を使い分けて音楽の面白さが出せた良かったのではないかと思ったところである。この演奏だけ聴いても何が向いているピアニストかはよく分からなかったが、他の作曲家の作品で聴いてみたい感じがした。カンブルランは手堅い伴奏でソリストにしっかりと合わせていた。アンコールは1曲で、帰りに作品名を確認するのを忘れてしまったが、聴いた感じではショパンのマズルカか何かであろうと思われた。歌い回しが少し独特で、何か個性的な方向性を持っているピアニストなのだろうと思われたが、まだその方向性は見極められなかった。

 

休憩を挟んでチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」が演奏された。カンブルランの指揮は引き締まっていて外連味はない。作品をくっきりと明敏に描き出す。最初の最弱音からそこまで小さくはしない。低弦の音もしっかりと聴こえるし、ファゴットのソロもくっきりと吹かせる。テンポは速くはないが遅くもなく中庸で、基本的にインテンポであまり伸び縮みはさせない。決して暗くはなく、むしろチャイコフスキーの書き込んだスコアがクリアに聴こえる。ダイナミクスはきっちりと付けていて、カンブルランが全身を使ってかなり細かい動きも交えながら、強奏から弱音まで縦横無尽に変化させる。チャイコフスキーのセンチメンタルな側面はぐっと背後に退き、むしろ論理的に組み上げられた作品の構造がしっかりと組み上げられる。そう、解釈としては、少し乾いた、理知的なものであるが、不思議と音色が鮮やかで、ふとした瞬間に情感がまとわりつく。何という絶妙なバランス感覚であろうか。全てが精妙に整理されているのだが、そこに不自然さはない。凡百の指揮者であれば、つい思い切りおセンチに、テンポを落として演奏してしまいそうな、1楽章のクライマックスの後の、弦の歌から金管が引き継いでいくところなども、テンポは落とさず、それでいて情感はしっかりと出て来る。淡々としながら劇的で、艶めかしいのに理知的で、構造的なのに色彩的な演奏である。

 

2楽章もリズムの面白さをきっちりと出しながら、楷書体で演奏していくが、指揮者は踊るように指揮しているが、決して舞曲風にはならず、独特の推進力をもって楽章をさらりと、しかし、思いのほか彫りの深い表情で演奏する。

 

3楽章は、落ち着いた足取りで進めて行くが、この無駄にテンションの高いスケルツォ風の楽章を大いに派手に鳴らしつつも、バランスが精妙に取られる。読響がとてもよく鳴っており、ホールの残響も効果的に使いつつ、大変な迫力なのだが、決して野放図にはならない。カンブルランのコントロールが全体にしっかりと及んでいる。畳み掛けるような推進力のある演奏に、意外に最初に演奏したベルリオーズとチャイコフスキーの音楽には、少し無理をしたような明るさがあるところに類似点があるなと不思議なリンクを感じたりもした。

 

派手に終わる3楽章の後は、少し間を取って4楽章に入るが、読響の弦楽セクションが艶のある素晴らしい音色を出していて、チャイコフスキーが重ね合わせる弦による精妙なハーモニーが見事に表出される。決して嫋々とした情緒的な演奏にはならないのだが、冷静に進められる音楽の中から、チャイコフスキーの慟哭が滲み出て来る。無理に笑顔を維持しているが、その笑顔を見ていると、不思議とその人の内面の悲しさが伝わってくるような、ストレートではない悲しみの表現が凄い。1度だけ叩かれるタムタム(銅鑼)の音を意外に大きく叩かせるが、そのまま畳み掛けるように次の音を開始し、とにかく妙な余韻は残さないのだが、それが逆に効果的に聴き手の気持ちを沈殿させていく。

 

このように書いても、カンブルランの紡ぐ音楽の凄さが伝わるとは思わないが、とにかく絶妙なバランス感覚で、素晴らしいチャイコフスキーの演奏であった。この作品を何度も演奏しているだろう読響も、まるで初めて演奏するかのような新鮮な感動を導いていた。ギーレンから引き継いだ南西ドイツ放送響と現代作品をしっかりと演奏した乾いた理知的な部分と、パリの国立歌劇場で活躍した劇場人としての経験と、それに尖った、(良い意味で)少し変態的といっていいかもしれない音楽性が見事に有機的一体として結び付いた名演であった。カンブルランの振る名曲は意外に聴きものである。カンブルランの鬼才振りを改めて堪能させていただいた。そして、読響の底力も再認識した。

 

1948年生まれのカンブルランはもう80歳近いが、まだまだ元気そうであるし、読響との結びつきもさらに強まっている気がする。毎年来日してくれているので、このコンビの深化した芸をまだまだ堪能させてもらいたいものである。凝ったプログラムも良いが、カンブルランは有名曲も良い。マエストロの健勝を祈念したい。