毎年大晦日に恒例となっているのが紅白歌合戦の裏番組というべきか、ベートーヴェンの全交響曲の連続演奏会である。今年が23回目とのことであるが、ここ5年ほどは毎年大晦日に足を運んでいる。上野の東京文化会館大ホールで午後1時開演で何回かの休憩を挟みながらベートヴェンの交響曲を1番から番号順に演奏していく。終演が午後11時半頃になり、帰りの電車の中で新年を迎える。ちなみに、同じ上野の東京文化会館の小ホールでは、これまた恒例となっているようでベートーヴェンの弦楽四重奏曲を、こちらは全曲ではないようだが、中期と後期をやはり連続して演奏している。大晦日には何かベートーヴェンを聴かなくてはならない空気感があるのであろうか。新年に向けた商戦で盛り上がっているアメ横の近くにある上野の文化会館でそういう営みが行われているのも興味深いところである。

 

12月31日(水)東京文化会館

ベートーヴェン 交響曲1番~9番

小川栞奈(Sop)、山下牧子(Mez-Sop)、笛田博昭(Ten)、青山貴(Bar)

ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団、武蔵野合唱団(指揮:秋吉邦子、佐藤洋人)

小林研一郎/岩城宏之メモリアルオーケストラ

 

コーディネートは作曲家の三枝成彰で、元N響の「マロ」こと篠崎史紀がコンサートマスターを務める。ライオンの元社長夫人の高橋恭子という方が発案し、三枝成彰が立ち上げ、2003年から開催されているという。最初は2つのオーケストラと3人の指揮者でやったが、岩城宏之が、オーケストラも指揮者も一人でやりたいと言い出したため、三枝が「マロ」篠崎に相談したところ、弦楽器は交代なしで大丈夫そうだが、管楽器は交代しないと大変であるということになり、N響メンバーを中心とした特別編成オーケストラを立ち上げることとなり2004年以降は名称は変化しているが(2004:N響メンバー達による管弦楽団、2005~2007:イワキ・オーケストラ、2008:イワキ・メモリアル・オーケストラ、2009~:岩城宏之メモリアル・オーケストラ)、一つの特別編成オーケストラでやっているという。2004年と2005年は岩城宏之が一人で指揮を担当し、2006年は岩城の追悼公演として9人の指揮者が1曲ずつを指揮し、2007年からは、2010年にロリン・マゼールが、2022年と2023年に広上淳一が指揮した以外は全て「炎のマエストロ・コバケン」こと小林研一郎が一人で指揮している。コバケンは今回で16回目となる。

 

マロ篠崎が中心となっている関係で、例年、オーケストラはN響のメンバーを中心に集められているが、その他のオーケストラからも、首席奏者クラスが参加しており、メンバー表を見るだけでもワクワクするようなスーパー・オーケストラである。ベートーヴェンの交響曲を一気に全曲演奏するというのは奏者にとっても何か胸躍るイベントなのではないだろうか。そんなわけで、普段では聴けないような水準のオーケストラで一気にベートーヴェンの交響曲全曲を聴くことが出来るので、その意味でも興味深い企画である。会場は満席に近い入りがあるようであるし、長時間の演奏会なので、チケットもそれなりにするが、経済界に顔が広い三枝成彰が企画していることもあり、多数のスポンサー企業も付いているようで、そこそこの価格に抑え込まれている(海外オーケストラのチケット代に比べるとかわいいものである。)。

 

指揮のコバケンは御年86歳ながら全曲を暗譜で立って指揮していた。なお、2025年はN響が創立100年ということで、紅白歌合戦に出演したとのことで(石川さゆりの「天城越え」で共演したのだとか)、残念ながら例年に比べるとN響のメンバーの参加が少なかったが、その分、N響アカデミー関係者など若手が多く参加していたのが印象的であった。なお、ファースト・ヴァイオリンには、日フィルの田野倉雅秋、東フィルの依田真宣といったコンサートマスターや、元ハンブルク州立劇場の塩貝みつる、ソリストの川田知子、瀬﨑明日香など個別に名前を目にすれば分かる奏者も参加しているし、コントラバスには都響の池松宏をトップに新日フィルの首席、東京シティ・フィルの首席、元読響首席など首席級が並ぶ。なお弦楽器は、14型で14-12-10-8-8となっていてやや低音が重めのバランスになっている。管楽器も在京オーケストラの首席クラスが並ぶ。ティンパニは、植松透が、マロの息子の篠崎史門と分担して叩いていた。

 

毎年詳細なスケジュール表が配布され、ほぼその通りに進む。最初に三枝成彰の挨拶があり、1番と2番が続けて演奏されて20分の休憩、3番が演奏され15分の休憩、4番が演奏されて、三枝の話が20分と休憩が15分あり、5番と6番が続けて演奏されて、夕食のための大休憩90分が入り、7番と8番が続けて演奏され、舞台上で合唱の準備をすることもあり長めの45分の休憩が入り、9番が演奏される。基本的に繰り返しはしないとはいえ、演奏している時間も長いが、指揮者や奏者の体力のことも考えて休憩も多い。とはいえ、15分や20分といった休憩は普通の演奏会でも入るので、そういう意味ではほぼ普通の演奏会のペースで10時間以上の公演をこなしているのだから、指揮者も奏者も大変だろう(元旦は消耗して寝正月なのであろう)。聴いている方もそれなりにしんどいので、一部の客は、途中で交代して同じチケットで途中から別の人が入ってきたり、興味のある曲だけを聴いて途中抜けるといった人もいるようである。

 

2025年は、最初の三枝の挨拶はなかった。後でわかったところだが、三枝が風邪をひいていて声が出ないので、挨拶と途中の話には登場せず、挨拶は割愛し、途中の話はマロ篠崎に託したのだという。しかも、コバケンも腰の調子が悪かったとのことで、特に前半は調子が悪そうだった。本番に出演できるか悩んだとのことだったが、やり投げの選手も担当している人に施術してもらったら大丈夫になったとのことであった。なお、さらに途中で遠方から駆け付けた主治医が何かをしたら元気になったと言っていたが、何をしたのだろうか。

 

説明が長くなったが、演奏はどうであったかというと、1番はテンポが少し遅めで妙に重々しく始まった。14型の弦楽器はベートーヴェンの、特に初期の交響曲を演奏するには少し大きいかもしれないが、コバケンは、その弦楽器をたっぷりと、レガート気味に弾かせるので、とにかくオーケストラの音の密度が濃い。他方、例年に比べると、腰痛が何か影響していたのか、若手奏者が多かったということもあってなのか、指揮が慎重かつ丁寧で、その分、少しテンポが遅くなり、一つ一つの音に時間がかかるのでさらに音が重くなり、その分、推進力が弱くなっていたように感じられた。コントラバス多めの低音成分強めな音作りもあり、重量感と立体感は凄いのだが、何となく前に進む力が弱いので、ベートーヴェンの音楽のダイナミズムが少し弱くなる。とはいえ、このような立派で稀有壮大な交響曲1番にはなかなかお目にかかれない。少し硬さがある演奏ではあったし、ここ何回かコバケン指揮で聴いた中では、少しアンサンブル内の息が合っていなかった部分もあったが、悪くない滑り出しである。

 

コバケンは、とても物腰が低く、振る舞いが丁寧である。演奏を始める前には、指揮台に登る前に客席に丁寧にお辞儀をし、オーケストラにも「お願いします」というように丁寧に礼をして、オーケストラの準備が整ったと思った頃に指揮台に登る。指揮台の前の方で足の配置を慎重に決めて、少し自分に気合を入れるようにしてから、振り出す。演奏が終わると、管楽器奏者を、トップ奏者を曲によってまとめてであったり、個別に立たせるが、必ず管楽器奏者の近くまで行く。そして、弦楽器もパート毎に立たせる。ベートーヴェンの場合は弦楽器がずっと弾いていて忙しいし、弦楽器中心の音楽作りということもあってかもしれないが、オーケストラ奏者へのリスペクトが高いのがよく伝わってくる。要するに素晴らしく良い人なのである。

 

続く2番も1番と似た印象があり、重厚無比であるが、少し前進力に物足りなさを感じた。ただ、あまりにも弦楽器が濃厚に弾くし、管楽器なども細かいパッセージの音まで全て分離して聴こえるような解析度になっていたので、曲の構造はよく分かるし、1番に比して対位法的にベートーヴェンが凝った手法を用いている2番には、よりその演奏の凄みが合っている。他方、弦楽器に例年にない乱れが見られたところがあったり、和音が少し濁るところがあったように感じられたのは、新しいメンバーが多かったためであろうか。あるいは、事前の練習がコバケンの腰痛で少し少なかったのであろうか。2番はベートーヴェンらしい、他の曲でも似たパッセージがよく登場する、半音階的な旋律が1楽章で特徴的に登場するが、これが一切胡麻化さずにきちっと弾かれているのが妙に爽快に感じられた。とはいえ、何となく音楽が気持ち滞留気味に感じられるところがあったことも事実であるし、ここぞというところで見栄を切るようなコバケン節は少し控え目であったかもしれない。

 

休憩を挟んでの3番「英雄」は「炎のマエストロ」と称賛されるコバケンによく合った作品である。ところで、この岩城宏之メモリアル・オーケストラであるが、先に紹介したように、特にファースト・ヴァイオリンとコントラバスに人材が揃っている。他方、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロについては、N響のメンバーを中心にそれなりの奏者がもちろん集まっているのだが、どうしてもファースト・ヴァイオリンやコントラバスほどの陣容ではない。ソリストやコンサートマスター級が揃っているファースト・ヴァイオリンはやはり音量も大きくよく響く(楽器も良いものを持っている人が多いだろう)し、コントラバスは名手たちが轟々と激しい低音を繰り広げる。それに比べると、セカンド・ヴァイオリンからチェロが少し控え目に聴こえてしまうし、N響メンバーが少なめなのも影響していたのかもしれない。その辺の、バランスの悪さが少し目立ったのが3番で、冒頭の和音の後にチェロの旋律が入ってくるところが、繊細に歌っていたのは良かったが、音のテクスチャアが薄く感じられて、少し残念であった。心の中でもっと頑張って朗々と歌えと応援してしまった。1番や2番に比べると、オーケストラの奏者が弾き慣れている3番については、奏者の側が音楽の流れを滞留させないようにしていたようで、しっかりとした演奏に仕上がっていたが、コバケンの燃焼度は少し低めで、1楽章で冒頭主題が回帰するところなど、ここぞというところで魅せる、コバケンの大見栄があまり登場せず、2楽章の葬送行進曲は稀有壮大な演奏に圧倒されたが、3楽章も4楽章も推進力が少し弱く、ここはもっと一気阿世に行くだろうというところも、大人しい安全運転に終始していた部分もあったのが、少し物足りなくもあった。3番はいつも前半のハイライトになる名演を聴かせてもらっていたので、その期待値が高過ぎたのかもしれない。

 

続く4番は逆に前半のハイライトとなる素晴らしい演奏であった。演奏後にコバケンがマイクを持って語っていたが、この作品は弦楽器がとにかく難しいとのことである。「英雄」と「運命」に挟まれているせいか、少し地味な印象もあるが、かのカルロス・クライバーやムラヴィンスキーも愛奏した傑作である。そして、この曲からのコバケンはいつもの調子の良いコバケンになっており、指揮台上のアクションも少しスムーズになっていたように感じられた。それを受けてか、オーケストラもより滑らかに、そして、細かいところまでよく互いの音を聴き合ってきっちりとしたアンサンブルで演奏していて、細かく書き込まれた作品の精巧な設計図を丁寧に音化していた。しかも、それが音楽的な流れがとてもよく、ようやく推進力の高い、炎のマエストロの燃焼度のベートーヴェンになったと感じられた。これぞベートーヴェンという快演に仕上がっていた。4楽章が終わった時の奏者とコバケンの表情から出ていた完走感が出来を表していたように感じられる。

 

ここで少し長めの休憩が入る。例年、三枝成彰が20分程度語るのだが、今年は風邪で声が出ないとのことで、マロ篠崎が代理でマイクを握る。9曲のコンサートマスターを務めるだけでも大変であろうに、MCまでやらせてしまうとは。マイクを持って登場したマロ篠崎であるが、最初に、自分は話すのが苦手で、通常60くらいの心拍数が180くらいに上がっている、ということを、実に冷静に、低くてよく通る声で話す。三枝は会場には来ているが、風邪で声が出ないので代理として出て来たとのことで、最初に、これは必要なことなのでと前置きをした上で、スポンサー企業の名を読み上げる。トヨタ自動車を読み上げた時だけ、「自分もトヨタに乗っています」と付け加えていたのがお茶目であったが、とても心拍数180の人の気の回し方ではない。続いて、コントラバス奏者を舞台に呼び込もうとしたが反応がないので諦めていた。一人で話すのは大変だから相方をさせようと思ったのかもしれないが、突然のMC指名だったので根回しが出来ていなかったのだろう。やむを得ないという感じでベートーヴェンについて少し語ったかと思うと、世界の歴史の中で、現在は何度かある大きな変革期にあるとして、ルネッサンスやらアールヌーヴォーやらを挙げた上で、AIなどが登場してきた現状について思いを馳せていた。続いてベートーヴェンは全てのオーケストラのヴァイオリンの入団試験で弾かされる作曲家であるという話をする。理由は、ベートーヴェンを弾かせると、その奏者の流儀、スコアの分析・解釈力、音楽性、洞察力などが一発で分かるのだという。そして、今回出演していた20代の若手奏者を10人程度集めて(こちらは根回ししてあったようですぐに出て来た)、交響曲9番の3楽章のファースト・ヴァイオリンが長く旋律を担当する部分を演奏させた。全員暗譜で弓順も完全に揃っていたのが凄かったが、コンサートマスター希望なのか(あるいは経験者か)動作の大きい人から、いかにもオーケストラの後ろの方で弾ければ幸せというタイプの動作は小さく、音楽に没入しているタイプから、いろいろな奏者がいたのが興味深かった。意外に長く弾いていたが、揃い過ぎていて各奏者の力量の違いを見極めららなかったのは残念であったが、マロらしい企画であった。

 

語りの後にさらに休憩を挟んで交響曲5番と6番が続けて演奏された。なお、1番から4番まではティンパニを篠崎史門が担当していたが、5番からは、8番以外は全て植松透が担当した。開演前にティンパニの音程の調整をするために、軽く叩いていたのが聴こえてきたが、植松のティンパニの音があまりにも美しく驚いた。大御所と若手を比べるのは良くないがティンパニ奏者の力量というものは、軽く叩けば一発で分かるものだなと感じ入ったところである。なお、交響曲5番の演奏を始める前に、マイクなしで、コバケンが客席に向かって、「もしかすると、ご心配をかけているかもしれないが、遠方から主治医が駆け付けてくれて、ポンポンと叩いてくれたら腰がすっかり良くなった」という趣旨のことを話していた。痛み止めを打っただけということでもないとは思うのであるが、心配をかけているという認識はあったのだろう(あるいは、スタッフが何か言ったのだろうか)。

 

交響曲5番は基本的には放っておいても熱演になる作品であるが、コバケンが的確に指示を出し、要所要所を締めていたので、素晴らしい熱演になっていた。全体的にテンポは決して速くはなかったが、推進力が凄く、オーケストラの音が、特に弦を中心に密度が濃いので、何とも重厚で濃厚な演奏になっていた。繰り返しを履践しないこともあり、凄い勢いで音楽が進んでいったような印象で、あっという間に1楽章が終わり、2楽章は少し落ち着きを見せるも、3楽章からは4楽章まで一気に突き進んだようなイメージで、4楽章に入るとここまで出番のなかったトロンボーンがようやく俺たちの時代が来たといわんばかりに激しく吹き鳴らし、凄い迫力になっていた。ピッコロやコントラファゴットなど、5番は実はかなり革新的な楽器が使用されているのだが、出番を待ち構えてた奏者達が嬉しそうに吹くので、4楽章は壮麗なお祭り騒ぎ状態になる。コントラバスが時々、弓が弦に当たる音を大きく響かせて弾いていたりしたのも迫力を増していた。力のある奏者が集まっているためもあって、凄い破壊力の演奏に仕上がっていた。

 

その5番のテンションから6番の「田園」に移行する。6番は勢いでは演奏できない、非常に精緻に構築された作品で、アンサンブルが良くないと何をやっているのかも伝わりにくくなる。ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが同じようなフレーズを交互に演奏したりするが、どうしてもファーストにパワーがあり過ぎると掛け合いの妙が見えにくくなるところもあるが、今回の演奏は、いつもよりファーストに名手が過多になっていなかったことも手伝ってか、比較的パート間のバランスも良く、上手く掛け合っていた気がする。コバケンのレガート気味に音楽を進めるところも、少しベタベタして響く部分もあるが(そこがコバケン節でもあるのだろうが)、この6番には合っているようで、滑らかな音楽の進み方が印章的であった。優しい包み込むようなコバケンの愛の溢れる解釈も作品によく共鳴している。そして、2楽章の、正に小川がたゆたうような美しさ、そして3楽章は切れ味鋭く演奏し、少し乱れ気味な時もあったホルンが完璧なアンサンブルを聴かせてくれていた。そして嵐の4楽章は思ったよりも抑制を効かせ、単に迫力で押すのではなく、ベートーヴェンがどのように音楽を盛り上げて嵐のような迫力を作ろうとしていたのかをクリアにえぐり出すように演奏された。細かい音までよく聴こえるのが凄いが、他方、コントラバスが演奏至難らしい音の動きを凄い迫力でゴリゴリと鳴らしていたのも印象的であった。そして、まるで天国の誘われるような、なかなか終わらない長大な5楽章で心が癒される。ベートーヴェンの交響曲の中でも屈指の穏やかさと美しさと感動がある楽章を、コバケンがこれでもかと感動を誘うように演奏するのが、ここまで聴き続けて来ると、何とも心に染みる。古典的形式で畳み掛けるように端正に彫刻された5番から、写実的で起伏に富み、穏やかさのある6番に続くベートーヴェンのある意味で対照的な創作意欲・展開が実に興味深い。

 

ここで夕食のための90分の大休憩が入る。会場で無料で配布されるスケジュール表には、近隣のレストランなどが紹介されている。90分といわれると長いようにも思われるかもしれないが、お店までの往復と注文、提供されるまでの時間などを考えると、決して余裕のある長さではない。大晦日の上野ならではの人の出もあり、同じ会場から流れ出て来るライバルもいる。コロナの頃は開いているお店も少なく、特に会場の近くの飲食店には行列が出来ていたが、お店の選択肢はかなり広くなったので、少し遠くに行けば、そこまで人は殺到しないだろうと考え、素早く会場を出て、足早にお店に向かい、素早く注文して食べる方針で何とか時間内に食事を終えて戻る。今回は初めてお店を予約してみたが、やはりすぐに混み出すので(そこら中から「ベートーヴェン」「コバケン」といった声が聞こえてくる)、素早く注文してしまうところまで勝負であった。

 

アルコールも入り、満腹したところで、睡魔に負けない作品といえば、やはり交響曲7番である。何という絶妙のスケジュールであろうか。これまた主要オーケストラのメンバーであれば目を瞑っても弾けそうな人気作であるが(どうしても「のだめカンタービレ」のオープニングがフラッシュバックしてしまう)、コバケンは単なるお祭り騒ぎにせずに、むしろ硬派なアプローチで勢いに任せず緩急をきっちりと付けて丁寧に演奏する。旋律線だけではなく、他のパートも力強く弾いているので、意外によく作り込まれた、立体的な音響が実現されていてベートーヴェンの円熟の書法が際立つ。とはいえ、爽快な1楽章から、重々しい2楽章は少しテンポを速めにさらりと振り抜き、3楽章のリズムの面白さを強調して、最後の4楽章のお祭り騒ぎに結び付けて音楽の運びはさすがのコバケンの風格である。そして、8台のコントラバスが、まるで他の弦楽器を煽り立てるように、リズムの基礎を弾く4楽章の後半は、まるで右側のコントラバスセクションの方からうなるように風が吹きつけて来るような迫力である。ヴァイオリンなどが主要旋律を必死で弾いているのに、コントラバスのリズムしか聴こえないと思わせるほどの、熱い煽りに(毎年のことながら)圧倒される。

 

そのまま少し間を取って舞台を整えて交響曲8番が演奏される。なお、この演奏会では弦が気はトップ奏者は固定されているが、それ以外の奏者は毎回席が変わる。見ていると表と裏は普段の役割分担もあるということか変えていないようにも思われたが(譜めくりは意外に技術が必要である)、2024年だったかに確か、マロ篠崎が、若手を中心にいろいろな人と組んで演奏することが勉強になるということで、席を変えているとのこと。その結果、出て来てみたら、違う場所にいて、他の人に指摘されて席を移っていたりといった微笑ましい事象も生じていた。こういう教育的配慮も興味深い。他方、コントラバスは楽器と椅子の移動をホールの人がやっているが大変そうである。無理して毎曲位置を変える必要があるのだろうかとも思った。

 

交響曲8番は7番と9番に挟まれた作品で、やや小ぶりながら密度の濃い作品である。特に、リズムが非常に複雑に組み立てられており、そのトリッキーなリズムの中で、いろいろな楽器が掛け合いをするなどアクロバティックなところもある。ベートーヴェンが真面目な顔をしてふざけているような面白さがある。演奏はひたすらハイテンションで常にボルテージ最高で突き進んでいくような熱いもの。作品からしたらもう少し遊び心があってもいいようにも思うが、そろそろアドレナリンが脳内を駆け巡っているせいか、コバケンのキャラか、7番の後に同じテンションで突入するせいか、非常に直線的に剛毅に演奏されていた。演奏後にコバケンが、この作品は、コバケンもよく分かっていない曲であること、しかも、演奏が非常に難しいことを語り、改めて奏者への温かい拍手を求めていたが、コバケンも分かりにくいと思っているということ、それをそのまま口に出してしまう素直さが素晴らしく、また興味深かった。素敵な曲だとは思うのだが、いつも少し謎めいて感じていたので。よく通の聴き手が(あるいは通を気取っている聴き手が)8番を褒めたりするが、まだその域には達せていない。失礼ながら(全くレベルは違うだろうが)コバケンも同じ思いであるというのは嬉しいところだ。

 

合唱団用の舞台の設置もあるし、大曲9番の前には45分の休憩が入る。そろそろ、聴き手も疲れてくる頃であり、コーヒーを飲んだり、少し外に出て外の年の瀬の冷たい空気を吸ったりと各自で「第九」に備える。合唱団は最初から入っていて、独唱者と打楽器のみ後から入るシステム。コバケンの第九の演奏は非常にオーソドックスなもので、解釈も極めて自然体で、その意味では特徴的な演奏ではない。他方、演奏陣の多くは、何度も第九を12月にいろいろな指揮者で演奏して来た強者達である。そんな猛者を相手に、コバケンが実に調和の取れた解釈で、全員のベートーヴェンの思いを真っ直ぐに受け止めて、皆が最も弾きやすい解釈で導いているのが印象的である。そして、1番から8番までを積み上げて来たオーケストラが弾く9番は、何回にもわたって連日演奏した慣例の「第九」とは違った、初めて到達したベートーヴェンの晩年の境地のような感興がまとわりついている。つまり、何か特別な第九演奏なのである。細部にまで集中力が込められていて、実に丁寧に仕上げられている。事前にたっぷりと何回もの本番で「練習」を積んできているので疲れているだろうが、この難曲を余裕で弾いてしまう。ややテンションが高すぎる印象もあった1楽章、植松透のティンパニの妙技が冴え渡った2楽章も捨てがたいが、何か例年にも増して祈りの込められたような3楽章にコバケンの何か熱い思い入れが感じられた。

 

4楽章は、総勢120人くらいいたように見えた合唱団が凄い迫力で歌っていて、それに押されるようにオーケストラも最後の力をふり絞って大熱演をしていた。合唱が入る前の低弦の長大なソロ部分も、チェロとコントラバスが渾身の唸り声を上げるような裂帛の気合を入れて演奏していて、チェロが薄いと思った3番での感想を覆す迫力であった。声楽出身のコバケンは合唱が入る作品になると少しウキウキするようで、オーケストラにもやっていたが、手を客席の方に向けて伸ばし、こっちの方に声を飛ばしなさいと何度も指示を出していたが、コバケンがその仕草をすると、確かに、合唱の声がぐっと伸びて来ることに驚く。

 

独唱陣は、最初に歌い出す青山貴は最初は少し音程が不安定であったがすぐに立て直していた。アルトの山下牧子はしっかりと中間声部を支えていたが、テノールの笛田博昭が入ってくると、一人だけ妙に艶のある声で、突然、色男が乱入してきたような声だけで個性をしっかりと出していた面白かった。ソプラノの小川栞奈は、よく通る声で高い声部を縁取っていたが、声量を上げると少し絶叫するように響くところがあったかもしれない。決して、万全の独唱陣のアンサンブルというわけではなかったが、その辺は全て合唱団の圧倒的なパワーで気にならなかった。聴いていた姿勢が悪かったのか、ずっと同じような姿勢をしていたせいか、最後の方は、少し首や肩が痛くなってしまっていたが、その辛さもコバケンと合唱とオーケストラが吹き飛ばしてくれたようであった。4楽章のコーダはそこまで速くはせずに音の輪郭が聴き取れるスピードながら、凄い迫力で締めていた。お疲れ様としか言いようがない。

 

終演後に鳴り止まない拍手を止めてコバケンが少し話をしていた。コバケンが音楽に目覚めたきっかけが、子供の頃(正確には失念してしまったが10歳にはなっていなかったような話であったと思う。)にラジオで第九を聴いたことであり、それに感動して自分も音楽をやりたいと考えて、親に、紙に5線を引いてもらって、それに音符を書き付け始めたのだという。そういう意味ではベートーヴェンに誘われて音楽の道に入り、このような仲間と、素晴らしい客席の方々と一緒にベートーヴェンの生涯を交響曲を通じて一緒に体験出来て嬉しい、といったような話をしていた。最後に、会場の東京文化会館が明日から閉じてしまうので(注:正確には確か夏頃)、それも一年(注:後で三年と訂正)、来年は別の会場になるが、このベートーヴェン全交響曲連続演奏会はまたやります、三枝さんが会場を探してくれています、と力強い宣言をしつつ、来年はコバケンじゃないかもしれないが、と弱音も吐きつつ、必ずしも降板するわけでもなさそうな含みを持たせていた。マロ篠崎にもマイクを渡したりしつつ、演奏会が終わることを惜しんでいた。もっとも、時間的には少し遅れていて11時半を回っており、帰りの電車が気になる人もいたようで、熱狂している客の中で、慌てて帰ろうとする客もいた状態である。

 

コバケンや企画をしてくれた三枝成彰の健康面が少し気になるが、2026年も元気に活躍されることを祈念したい。そして、また年末にお会いしたいところである。仮に他の指揮者がやるとなると誰であろうか、また会場がどこになるのだろうか(何となく池袋の芸術劇場のような気がするが、違うかもしれない)、など気になる点は多々あるが、まずはコバケンと岩城宏之メモリアル・オーケストラの完走を称えたいところである。(もしもコバケンがこの企画から引退するのであれば、藤岡幸夫か沼尻竜典に期待したいところだがどうだろうか。あるいは企画もの好きの佐渡裕か。)

 

いずれにしても、2026年が多幸な年となることを祈念したい。