興味深い作品を取り上げることで知られる下野竜也が日フィルの指揮台に立って、マイケル・ナイマンのピアノ協奏曲を演奏するという。最終的に野田清隆がピアニストに決まったが、最初はピアニストが調整中になっていたので、まず選曲が先にあったのだろう。下野の選曲だろうか。ナイマンをこよなく愛する身としては聴き逃せない。足を運んでみた。
3月13日(金)サントリーホール
ムーサ エリジウム
ナイマン ピアノ協奏曲(映画「ピアノ・レッスン」より)(Pf:野田清隆)
シベリウス 交響曲6番
下野竜也/日本フィルハーモニー交響楽団
どちらかというと渋いプログラムである。全国からナイマン・ファンが駆け付けたかどうかは知らないが、客の入りはそこそこで、場所によってはガラガラであった。
最初に演奏されたのは、サミー・ムーサという1984年にカナダで生まれた若手作曲家の作品。2021年にバルセロナのサクラダ・ファミリア教会で初演された作品とのことであるが、この初演をテレビで観た下野が気に入り、日本初演を行ったのだという。今回はその作品の再演とのこと。巨大編成のオーケストラを動員して演奏される15分弱ほどの作品だが、まるで教会の大オルガンの響きのような、管弦楽のハーモニーが、少し歪むように和声がずれて変化し、次の共和音に移るという不思議な音響空間である。基本的には、そのハーモニーの移ろいで作品が続いていくが、弦楽器が色々と動いていたり、打楽器が入ってきたりと変化もある。ブルックナーの交響曲の騒々しいところが、ゆっくりと続いているような音響ながら、その他の作曲家の作品のエコーのようなものも感じられる。教会で初演されたということもあるのだろうが、聖歌的な、コラール的な楽想も多い。そういえば、シベリウスの交響曲6番にもそういう宗教的要素がある。初めて聴いた作品であったが、聴いていて心地よさを感じさせる音響設計の作品であり、とても楽しめた。日フィルの演奏も気合の入ったもので、なかなか優れていた。
続いて1944年英国生まれのマイケル・ナイマンのピアノ協奏曲である。1990年代から2000年代に映画音楽の作曲家として一世を風靡したナイマンであるが、最近は名前を耳にする機会は減って来た気がするのが寂しい。元々は音楽評論を手掛け、「ミニマル音楽」の名付け親としても知られているが、バロック音楽からジョン・ケージなどの現代音楽までを研究し、その幅広い知識を活かして独特の作曲活動を展開していたが、実験的映画監督のピーター・グリーナウェイとのコラボレーションで一部の脚光を浴びた。自ら名付けたミニマル音楽の技法を使いつつも、疾走感のある独特の音楽的なセンスで、エッジの効いた作品を映画に提供していたが、その際に立ち上げたのがマイケル・ナイマン・バンドで、編成は時に応じて変化するが、サックス、弦楽器、木管楽器からベース・ギターまでも動員し、弦楽器は少人数でPAを使うなど、やや金属的な音も使いつつ威勢の良い音楽を展開していた。「英国庭園式殺人事件」「コック、泥棒、その妻と愛人」「プロスペローの本」といった作品については、映画のサントラもあるが、ARGOレーベルに映画音楽からのベスト・ナンバーを集めた音盤(The Essential Michael Nyman Band)などが出ていて、その独特の音楽世界に結構はまってしまった。
そのナイマンを一躍有名にしたのが、今回演奏された協奏曲の題材となったジェーン・カンピオン監督の映画「ピアノ・レッスン」(1993)の音楽である。口のきけない子連れの女性がオーストラリアに嫁ぐが、その気持ちを表すのは全てその女性の弾くピアノで、それがナイマンの音楽によって見事に彩られる。主人公はその後、理解のない夫ではなく、変わり者ながら彼女のピアノに耳を傾けてくれる男性と不倫の恋に落ち、とストーリーは展開するが、常にそれに寄り添うのがナイマンの音楽である。映画では、主人公を演じた女優がピアノを演奏したというが、サントラ盤ではナイマン自身がピアノを演奏していた。
その音楽の評判に気を良くしたのか、コンサートでも演奏できるようにということか、その「ピアノ・レッスン」の音楽を協奏曲として仕立てたのが、今回演奏された「The Piano Concerto」である。プログラム冊子にはきちんと説明されていなかったが、この敢えて「The」を付けた作品の表題は、映画の原題である「The Piano」(「ピアノ・レッスン」は邦題)と、「Piano Concerto」を合わせたものである。なので、敢えて日本語に訳すと、「ピアノ協奏曲」ではなく、もう「ザ・ピアノ・コンチェルト」とするか、ニュアンスを出すと「映画ピアノ・レッスンに基づくピアノ協奏曲」とでもすべきであろう。プログラムではカッコ書きで「映画「ピアノ・レッスン」より」と入れていたし、英語表記には「The」が付けられていたので、全く理解していなかったわけではないだろうが。表題にこだわってしまったが、ここからは便宜上ピアノ協奏曲と書いてしまう。
このピアノ協奏曲はマイケル・ナイマン自身の指揮、ヨーヨーマとのコラボレーションで最近は有名な名手キャスリーン・ストットのピアノで録音され(Argo)これが作品も演奏も素晴らしい。もっとも、作品の素晴らしさに比して、意外にその後の新しい録音には恵まれず、湯浅卓雄指揮のナクソス盤とロイヤル・フィル・レーベルから出たくらいであった。理由はよく分からないが、ピアノがかなり難しく(苦労して楽譜を入手したが難しくて手が出なかった)、リズムも難しく、弾きこなせるピアニストが意外に少ないのかもしれない。ちなみに、録音はないがラベック姉妹が2台のピアノと管弦楽用の編曲を委嘱して作ってもらったという。ちょっと聴いてみたい。
ナイマンは、その後も作品を発表し続けているし、自らのレーベルを立ち上げて、体系的に録音を整理したりもしているが、最近は年齢が上がったこともあってか勢いは落ちていて新録音を見掛けなくなってきた。他方、ナイマンの音楽を聴いて育ったであろう世代がピアノ作品を取り上げたりしており、例えば、動画でバズって有名になったが、ウクライナ侵攻以降ロシア支持を表明したといわれているため名前を見掛けなくなったLisitsaがナイマンの作品集を録音したりしている(Decca)。Lisitsaは優れたピアニストだと思っていて、十八番のリストの死の舞踏のピアノと管弦楽版とナイマンのピアノ協奏曲など録音してくれないかと期待していたのだが。下野も恐らく全盛期のナイマンを知っていて、この作品を演奏したいと考えたのだろう。何せピアニストが決まらないうちに演奏すると決めてしまったのであろうから。ナイマン愛好家としては、こういうナイマン・リヴァイバルは大歓迎である。なお、ナイマンであれば、まずはマイケル・ナイマン・バンドの録音がお薦めであるが、弦楽四重奏曲も良いし(マイケル・ナイマン・バンドのメンバーによる名演がArgoから出ている)、サックス協奏曲「蜜蜂の踊る場所」(複数の録音あり)、廃盤であるがサックスとチェロのための協奏曲やトロンボーン協奏曲(EMI)などがある。そして、ストットとナイマンによるピアノ協奏曲の録音に併録されているMGVという作品が絶品である。英仏を海底トンネルでつないで誕生した鉄道ユーロスターの開通を祝って書かれた作品であるが、まるで鉄道に乗って旅しているような感興がある。随分前になるが、バレエになっていたのをテレビで観て驚いたことがあった。
それで演奏である。ピアノ協奏曲は4つのパートからなる単一楽章の作品で30分強の作品である。ピアノと弦楽五部と2管編成のオーケストラにハープが入り、打楽器は入らない。ナイマンは普段から打楽器は使わず、リズムを低音楽器やベースギターで作るので、この作品でも、ピアノのみならず、ファゴットやバス・クラリネットなどでリズム感を作り出している。冒頭からオーストラリアの浜辺を思わせる弦楽器のミステリアスな和音で始まる。野田は楽譜を見ながらの演奏であったが、今回の演奏についていえば、ピアノとオーケストラの音量バランスが異常に悪かった。野田の繊細なタッチでの演奏は、あまりにも音量が小さく、繊細に弾いているので、ピアノのみで演奏しているところでも、少し耳を澄ませないとピアノが聴こえず、オーケストラが入ると、ほぼ独奏の音をかき消してしまう。作品の性質上、主要な旋律などはピアノが奏でるところが多いのだが、肝心のピアノが聴こえず、伴奏のみが耳に入ってくる。幸い、作品を聴き込んでいたから、その中からピアノの音を拾ったり、頭の中でピアノ・パートを再現し、補正しながら聴いていたので、何とか曲全体のフォルムを楽しむことは出来たが、多くの人からしたら、伴奏音型だけが突出して聴こえる、謎めいた作品になっていたのではないだろうか。実際、周囲を見ると、見事なまでに熟睡していた人が多数見られた。目を爛々とさせて必死で音を拾っていたナイマン愛好家はそうはいなかったようだ。
オーケストラは下野の熱い指揮の下で、比較的しっかりと演奏していたが、ピアノが小さいのでリズム感が取りにくかったのか、管楽器については少し乱れていたところもあり、トランペットの入りが合っていたのかよく分からなかったり、木管のアンサンブルにも時折乱れがあったように思われた。元々少しずれたリズムを使ったりしているので、合っていたのかもしれないが。正直にいえば、ピアノの音量を考えて、オーケストラの勢いを殺してでも、もっとオーケストラの音量を抑えるべきであったと思うのだが、そこも含めてかなり残念な演奏になっていた。ピアノがかなり大変なのはよく分かったし、もしかしたら調子が悪かったのかもしれないが、あまりにも音量的に非力なピアノと、それとバランスを合わせられない管弦楽とで、最後まで作品の魅力が引き出せていなかった。
野田は以前に下野指揮する神奈川フィルと尾高惇忠のピアノ協奏曲を演奏していたことがあり、その時はそこまで不満がなかったので、やはり不調だったのかもしれない。そもそも、ピアニストがしばらく調整中になっていたので、見付からない中で下野と親しい野田が引き受けたのかもしれない。ストットのような名手とはいわないが、誰かもう少しパワーフルな人は見付けられなかったのだろうか。それ以前に、失礼ながら、ナイマンへの共感のようなものがやはり足りなく思えてしまった。
なおアンコールは1曲。楽譜を見ながら弾いていたが、リゲティのムジカ・リチェルカータから7曲目の「Cantabile, molto legato」とのこと。ひたすら同じ音型を繰り返す左手の上に、右手がいろいろな音を加える作品で、ややミニマル的である。ナイマンとはミニマルつながりで演奏したのだろうか。やはり音が小さく繊細なタッチで弾いていて耳を澄ませないと聴きにくかったが、少し指がもつれかけたところもあったが、闊達に弾いていた。
後半はシベリウスの交響曲6番である。下野のシベリウスを聴くのは初めてであったが、古くは渡邊暁雄やネーメ・ヤルヴィ、最近もインキネンというシベリウス指揮者の薫陶を受けているオーケストラであるので(やはりシベリウスを得意とする藤岡幸夫とも関係が深い)、シベリウスの語法をきっちりと理解している。特に弦楽器の音色が本当に澄んでいて、フィンランドの冷たい空気感が出ていたのに驚いた。シベリウスの交響曲6番は祈りに満ちた音楽であるが、ある意味では分かりやすい交響曲5番の後に、一気にシベリウスが内向的に純化して行った印象があり、素晴らしい瞬間が多くあるものの、全体としてはよく分からないところのある作品である。どうも底が浅い人間であるので、交響曲も6番や7番、あるいは最後の管弦楽作品のタピオラといったシベリウスの創作後期の作品の深奥がまだ理解できていないようである。シベリウスの交響曲6番は深く評価する人が多くいるのはよく知っているつもりだが、作品が理解しきれているとはいえないが、下野と日フィルの演奏が実に見事だったのはよく理解できた。
特に1楽章の雰囲気の作り方が、最初から見事で、一瞬でシベリウスの世界観に引き込まれた。弦楽器が美しかったが、木管や金管もシベリウスの語法をよく分かって演奏しているので、フレーズの歌い方や、オーケストラの音の重ね方などがとても洗練されている。つまりシベリウスらしく演奏できている。2楽章も合わせにくそうなところも完璧なアンサンブルでなかなかの迫力を出していたが、秀逸だったのは3楽章で、この祈りに満ちた音楽を、あまり宗教的な薫りはしない指揮台の上の下野が、まるで聖職者に見えるように、何か静謐で神々しい雰囲気を作り出していた。下野がこれほど見事なシベリウスを振るとは期待していなかっただけに思いがけない発見であった。
とはいえ、期待し過ぎていたこともあるかもしれないが、ナイマンの演奏への不完全燃焼感が残り、シベリウスの秀演だけでは、そのもやもやは収まらずに帰途についた。ナイマンを見事に弾くピアニストを求む!!(弾いてくれないとは思うが、映画の印象からかつい女性陣、例えば、小菅優、上原彩子、松田華音といったパワーと抒情を併せ持っている奏者辺りに期待したくなる。もちろん、男性陣にも期待したいが)