TASUKUたすくです。
今回は "8月9日" への想いを打ち明けてみよう。

おばけくんやあ、おばけくんだよ。
このブログは自閉スペクトラム症当事者であるTASUKUの内面世界をひたすら紹介しているよ。

詳しくは初回記事へ。

 

宇宙人くん宇宙人くんもときどきコメントするよ~。

 

"県民祈りの日"ってなあに?


今日は2024年8月9日。
九州の
長崎県では、毎年8月9日を「県民祈りの日[↗]」と定めているそうだよ。

――1945年8月9日午前11時2分、
長崎市松山町の上空で、原子爆弾が炸裂した――

この1発の爆弾でもたらされた被害やその影響は、はかり知れないものだよね……。

 

宇宙人くん1945年末までに亡くなった人だけでも、7万人をこえると発表されているんだ。

人類史上、原子爆弾が人々の暮らすまちに落とされてしまったことは、この長崎と、その3日前、8月6日の広島での出来事の、2度。

とくに長崎は "最後の被爆地" として発信を続けている。
「長崎市民平和憲章」には、次のような言葉が掲げられているよ。

(前略)長崎を最後の被爆地にしなければなりません。


「祈り」とは、原爆犠牲者を追悼する「祈り」であると同時に、平和を願う今から未来へと向けられた「祈り」なのだと考えてみたよ。

 

知る機会ある今だから。

79年前。
28855日前は、遠いのかな、近いのかな。


ぼくは小学校の平和学習で長崎について学んだとき、永井隆さん[↗]の言葉の解釈などについて考え込む自分に対して、どうしてそんなにこだわってしまうのだろうと興ざめしていた日々があったんだ。

修学旅行で長崎市内を訪れたときには、"これ以上何を考えたらいいんだよ……"という気分になるくらいだったと言えば、想像もつきやすいかな?

しかし、ぼくは "被爆前のまちのすがた、暮らし" や "被害を受けた地域の範囲" についてよく知らないまま過ごしていて、それこそが "知りたかったこと" の大きな鍵を握っているのだと、ここ数年で気がつくことになった。

宇宙人くん東京大学大学院 渡邉英徳研究室の取り組み[↗]片渕須直監督作品「この世界の片隅に[↗]」との出会いがきっかけで、広島や長崎により関心を持つようになったよ。今年の8月5日、初めて広島市を訪れて被爆遺構を見に行ったりもしたんだけれど、その話はまた今度!

 

79年前。
28855日前は、ほとんどの人が、何が起こったのかすぐには知ることがなかった。

 

"今は、たくさんの情報に触れて考える機会がある" 
……記録が残っているから、記憶を語り継ぐ人々がいるから、情報化社会だから、"知る権利"や "言論の自由"といった概念があり、それらが保障されているから、平和だから……

 いろいろな理由の挙げ方があると思うけれど、今もいつか歴史の1ページになるとすれば、どんな今を過ごして未来へとつなげていこうかな。

そんなことを考える、2024年8月9日のTASUKUでした。

 

 

おばけくんここまで読んでくれてありがとう。
いいね、コメント大歓迎~!


大伯父が長崎市内で被爆していたことを、数か月前に知ったときは、とても驚いたよ。
これからも、平和をつくっていきたいな。                                                                               TASUKU
より