みなさん、お元気ですか?

たすくです

今回は、私の不登校の時についてお話ししようかと思います。

 

 

 

 突然の不登校

 

1回目の記事でご挨拶した通り

私は中学1年生の3学期になって学校へ行かなくなりました。

行かなくなったのか、行けなくなったのかは

今の自分ですらわかりません。

ただ誰にも会いたくなかったし

何もしたくなかった

何かから逃げたかったのかもしれません。

 

当然、母には

学校に行け、どうして行かないんだ、何が嫌なんだ

などと怒られましたが

行きたくないし、理由はわからないし

反抗していました。

 

部屋に引きこもって

昼夜逆転した生活

起きている間は親のノートパソコンを使って

ずっとアニメを見たり音楽を聴いたりパソコンをいじったり

 

たまに

同級生や1つ年上の幼馴染、先生が家を訪ねてきました。

当時の私は誰かが来るのがとっても嫌で

内心、ありがた迷惑だと思っていたし

それを許容する母も嫌でした。

 

 

吹奏楽部員だったので、卒業式の演奏のために

その日は必ず行こう

そう思ってても行けず

 

 

2年生になったら後輩ができて

部活にはよく行けるようになり

特別教室や保健室登校をしていました。

この年が中学生活で一番楽しかったと思います。

卒業式の演奏に先輩はいないので

絶対に行かなきゃ

と思いながら就寝したはずが、当日になっていけなくなりました。

 

 

3年生進級前

顧問で恩師と思っている先生が

別の学校へ移ることになりました。

先生にはとてもお世話になったし、感謝しています。

 

 

3年生、全く学校へ行かなくなりました。

担任の先生は怖いとよく言われていた先生でとても不安でした。

ですが、今までの担任の先生より一番親身になってくれたし優しかったです。

部活へは行かなくなりました。

部活での自分の居場所がなくなったからです。

先生も変わったし、同級生も後輩の態度も違うし

外部の先生から

頑張ろうと思って決断したことに対して

とても心に刺さる態度と言葉を言われたからです。

「え?あなたがやるの?」

何もちゃんとできない癖に重要なことをするのが貴女なの?

そんな風に聞こえたし、

先生本人が否定したとしても

誰もがそう思うことだからです。

 

私は先輩にパートリーダーを任せられた

同級生もファーストを譲ってくれた

気合い入れて今年も頑張ろう

 

そう思っていたのに

 

私じゃダメなんだな

出来ないと思われてるんだな

どうせまた来ないと思ってるんだろうな

途中でいなくなるなら最初からやらないでほしいとか

その日はとても落ち込んで帰りました。

 

それから練習には行かなくなりました。

定期演奏会でも私はソロを一曲、それも誰でもできるくらいのもの

それだけで後は私の意見など最初からないし

パートリーダーは先頭に座るはずが、やはり

そんな役などとうの昔に消え去り

ソロコンテストでも出てやろうと決めたくさん練習したものの

伴奏は顧問の音楽の先生じゃない

知らない人と

演奏を合わせるのだっていつできるか

こんな何もうまくいかない現状に

心が折れました。

 

修学旅行だけ参加して

学校は全く行かなくなりました。

卒業式にぶっつけ本番で出て

中学生活の終わり

 

何度も死にたい消えたいと思った

中学時代

惨めな気持ちを味わった

あの時

人に対する不信感

被害妄想

 

 

何をやってもうまくいかない

そんな苦しい気持ち

 

今となっては刺激のある人生経験だったと思えます。

 

 

だから皆さん

不登校の学生さん

ゆっくり無理せずとも生きれます

死ぬなんて面倒なことしなくても

案外どうにかなることを知ってください

保護者の方

大丈夫と思ってサポートしてあげてください。

 

 

 長くなってしまいましたが

こんな話でも

心にゆとりができればと思います。

 

また会いましょう。

 

 

たすく