岩手県知事・たっそ(達増)拓也ブログ

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原敬が、総選挙で与党ポピュリズムに敗れた話

 

 5月10日、立憲民主党岩手県連の定期大会に来賓として招かれましたが、来賓あいさつで、原敬総裁率いる立憲政友会が、解散総選挙で大敗した大正時代の話を紹介しました。今年の1~2月、日本政治に起きた事と似た話です。

 

 原敬が政友会の総裁になったのは、大隈重信内閣の時でした。大隈内閣は、長州閥のリーダーである山県有朋の支持を受け、官僚や軍との結びつきが強く、欧州大戦(第一次世界大戦)への参戦を決め、対華二十一カ条を中国に突きつけるなど、対外強硬策で国民の人気を得ようとしていました。

 

 そして解散総選挙となったのですが、大隈重信は、「であるんであるんである」という独特の結び方をする演説で人気を博しており、この選挙では、鉄道で移動しながら、駅で停車中に、窓から身を乗り出して演説する手法で、大隈ブームを巻き起こしました。さらに、行けない地域には、演説を吹き込んだレコードを送るという、新技術を取り入れた戦術を展開しました。

 

 さらに、与党側は、内務大臣が先頭に立って、全国の府県庁を使いながら、与党に有利になるように、選挙干渉と買収を行いました。

 

 このように、権力を利用した権威主義的な選挙手法と、新奇なポピュリスト(人気優先)手法を合わせた大隈選挙に、原敬の政友会は、議席が約半減するほどの大敗を喫したのでした。

 

 しかし、敗れた政友会は、原敬総裁の下、組織の強化、政策調査機能の強化、地方での集会・演説会の強化を進めました。内務大臣の選挙不正を国会で追及し、辞任に追い込みました。やがて、大隈内閣は総辞職し、次の衆院選では、政友会が議席大幅増で第一党となり、原敬首相誕生へと進んでいきました。

 

 日本政治は、自由民権運動以来の在野勢力を主力とする政党(民党)が、薩長藩閥政府が作った政府密着の政党(吏党)に挑戦し、原敬内閣の成立で民党が強力な与党となったために、下野した吏党が民党化を迫られ、与党も野党も民党として政権交代を競い合う、「大正デモクラシー」が成立したのでした。日本は今でも、政権交代が当たり前のデモクラシーの下で与野党が競う段階ではなく、与党で居続けようとする吏党と、政権交代があるデモクラシーをめざす民党が、競っている段階なのだ、という理解が、重要なのではないでしょうか。(終)