みなさま、こんにちは。

昨日から雨で何も書く事がないので幼少期から小学6年生までの話します。


小野寺の実家はなかなか金持ちで歪んだ家庭環境で育ちました。

一流になれ。医者になれ。弁護士になれ。一流商社に入れ。

そんなことばかり言われて育ちました。

誰からも愛情を受けた事はありません。


幼稚園の頃は劇団セントラルという劇団に所属する子役でした。同時に小学校受験を控えてる受験生でした。

小学校入試は過酷でくじ引き外れると受験資格を与えられません。外したら最後、母親に殺されます。

えーまー外しました。暴行とご飯抜きの刑に処されました。ちなみに桐杏学園という塾に行かされました。

見事に小学校受験は失敗して普通の小学校に行きました。

友達と遊んだ事がないので友達ができませんでした。

小2から小4まで桐杏学園に行き、小4から日能研に行きました。

ずっと勉強。日曜日なんか朝5時から0時まで勉強してました。

当然友達はいません。親からすると必要ない。みんな敵だと思えだそうです。変わった親です。


親が親なもんで小野寺は8歳から精神障害を発症しました。

自傷、首吊りコンパスでズタズタに刺すとかやってました。

塾のテストが悪いと半殺しにされ、ご飯は抜かれる。塾に行きたくないって言ったらハサミで刺された事もあります。

家はこんな感じだし、毎日塾で勉強、帰ってきたら勉強、朝は5時から勉強。

つもりにつもったストレスや怒り、精神障害の悪化である日、自殺未遂をしてしまいました。

国道に飛び込んで車にはねられました。左足首から下がどっかにいってしまったので拾って救急車で日赤病院に運ばれて緊急手術になりました。


入院生活が始まり、母親は参考書を大量に買ってきました。リハビリ以外ずっと勉強生活でした。


入院中に菊池という子と仲良くなりました。初めてできた友達かもしれません。

学校の生徒からお見舞いや手紙などはありませんでした。


いよいよ退院して次の日からまた日能研に通う日々が始まりました。


雨の日も雪の日も松葉杖で通いました。

小学生なのに22時近くまで授業がありました。


いざ、受験当日。頭は良かったので偏差値63の中学に無事合格できました。


受験も終わり、進路が確定したので母親は友達と遊んでこいと言いました。

友達いるわけないじゃないですか。

でも小野寺はいい子なので誰もいない朝の6時くらいから1人でサッカーをしてました。

誰かくると逃げるように家に帰ったのを覚えています。

卒業アルバムは白紙だったのですぐ捨てました。


この続きなんですが中1から中3の壮絶ないじめの話を書きます。胸糞悪くしたらごめんなさい。


じゃーまたね。


小野寺