もう11月・・・!

更新する度、月日の流れるはやさにおののきます・・

どうも。ゆりです。

 

 

2021年10月末。

あの頃のわたしは、

 

業務量が多いのに

誰も手伝ってくれなくて、

 

そもそもわたしのやってる業務は

誰にもわかってもらえないし

わたしがやらな誰もわからん

 

でもあれもこれも全部中途半端で

どうしようどうしようと

気をもんだ結果

 

分かりやすく鬱になったのでした。

 

 

 

そこから2年。

やっとやっっっっと!!!

鬱のお薬を辞めることができて

 

なんなら同じ給与計算の仕事をしていて

当時の10倍の人数の従業員の給与計算をしながら

年末調整の受け答えもしつつ

でも残業少なめで帰宅し、

 

プライベートでは編み物に励み

編み友達まで作って

外出先でも編み物する日々を送っております。

 

 

しかも!

あんなに人に頼れなかった私が

(だって誰にもわかってもらえないと思い込んでた)、

 

自ら

「ごめんやけどちょっと手伝ってほしい」って

頼みに行けるようになって

 

10分調べて分からなかったことは

誰かに聞いてみることを覚えて

 

しんどいなーって感じたら

トイレに逃げたり

ドリップコーヒーを淹れに席を立ったり

 

 

そういうことを許せるようになった。

 

 

そうしたら

なぜか自分から頼みに行かなくても

「手伝うことありますか?」って聞いてくれる

仲間ができた。

 

「ランチ行きましょう~」って

誘ってくれる子ができた。

 

 

 

これ、なんでか?

 

 

 

それは

「期待している自分に気づいて、期待をやめる」

をしたから。

 

 

 

めっちゃネガティブに聞こえますかね?笑

 

 

 

ええと。

たとえば、上司だと思うから

期待しちゃうことってないですか?

上司なんだからちゃんと調整してよ!みたいな。

 

でも上司としてみるんじゃなくて

Aさんとして見てみたらどうでしょう。

 

なんか、、Aさんだったら仕方ないか・・・

ってなることないですか?w

 

 

自分もおんなじ。

「私の役割はこうだから」って

役割で評価するとしんどくなるんですけど

 

「ゆり」だもんな。

 

って見てみる。

 

 

わたしの会社での役割は

給与担当かもしれないけど

 

でもさ「ゆり」の部分は変わらないんです。

 

 

だから「給与担当たるもの、こう!」と

勝手に自分の力量を期待している自分に気づいて

 

「ゆりはこうだった」って期待を辞める。

「ゆりの限界はここ」って許してあげる。

 

 

で、たぶんわたしのブログ読んでいる人は

そういう傾向あると思うんですが

 

「あーあ。ゆりはできないな~」って

評価を辞める。w

そこの評価いりません!w

 

 

「なんでできないと思ってるんだろう?」

って深堀しようとしても

「わたしはできないんだ」って世界を採用してるから

としか言いようがなく、

それに自分で気づく必要がある。

 

この部分って言葉では伝わりづらくて

もう体感するしかないんですが

 

 

出来なくてもよくない?w

 

 

どうして「できないとだめ」って

思っているんですか?

 

「できない」とどうなっちゃうんですか?

 

自分に聞いてみてください♡

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました♡