わたしがノートを書き始めた理由。
それは、ずっとずーーっと感じていた
「変わりたい」という願いのため。
※長いなが~い自分語りになります。
※でもわたしを知ってほしいから勇気を出して書きます。
※苦手な方は回れ右。
こういう構図が好きなのかな旦那さんw
母子家庭へのあたりもまだ強い時代、
まだわたしが赤ちゃんだったころ、
おとうさんの浮気により、両親は離婚![]()
物心がついたわたしは、
「かわいそう」な環境でも
お勉強を頑張っている「えらい子」で、
「ママの自慢の子」になろうとしていた![]()
その頃のママは銀行員で、
赤いスポーツカーに乗ってバリバリ働く、
誰から見てもキラキラとしたバリキャリだった![]()
そんななか、大人たちは
「おとうさんは何をしているの?」かが気になるようで
わたしが「おとうさんはいない」というと
「かわいそう」とか
「聞いてごめんね」とかいうけど
別にわたしは平気だった。
最初からおとうさんはいないから、
わたしの中では「大好きなママがいる」だけで
それ(おとうさんはいない、とも認識していないこと)が普通なのに
何がかわいそうなんだろう![]()
と不思議だった。
と同時に、
「じゃああなたがしっかりしなきゃね」
「大きくなったらあなたがママを支えるのよ」
と言われることも多くて、
鵜呑みにしたわたしは
「もっとしっかりする。」を毎年の目標にしていた。
「もっとしっかりする。」ためには、
子供みたいに泣いたりしてはいけない![]()
あんな風に遊んでないで勉強しなきゃ![]()
はしゃいで喜んだりするのって子供っぽくてかっこわるい![]()
![]()
もっといつもしっかりしてなきゃ![]()
![]()
!!!
そうやって感情にふたをするようになって
ママに褒めてもらいたくて
塾に入ってお勉強を頑張ったけど
中学受験はあえなく失敗![]()
今でも覚えてる。
算数の問題を見た瞬間
頭が真っ白になっちゃって
なにも解けないまま終わったこと。
そのころ(小6)の家庭環境は最悪でw、
ママとおばあちゃんとおじいちゃん、
4人で生活していたんだけど
おじいちゃんが借金+浮気をしていたことが発覚、
親戚一同を巻き込んでの離婚訴訟をしていて、
夜中に借金取りが玄関のドアをガンガン叩いて
鍵のチェーンまで切ろうとしていたことまであった。w
こわかった~![]()
こわかったけど友達にも相談できないし、
だって「おじいちゃんが浮気してて借金取りもきて大変なんだよね」
なんて、小学校のおともだちに言える?w
泣いたら大人たちが心配するし、
心配させたくない・迷惑かけたくないって思って
ここでも平気なふりをして
ますます「感じない」「平常心」に磨きがかかった。w
おじいちゃんの大きな借金は
ママ一人が背負うことになった。
**
わたしの目標は相変わらず「しっかりする。」だった。
「しっかりして早く大人になってママを助けたい」。
しっかりするためには?
と、その頃から日記を書くようになっていた。
日記というか、自分への手紙
。
この日記は高校2年生くらいまで続くんだけど
日記を書くと
なんだかちょっと気持ちがスッとして
落ち着くような気がしていた。
でも、なんだか分からない。
自分のことは一番よく分かんないな![]()
と書いて終わることが多かった。
中学2年生の時
母校の小学校で無差別殺人がおきた。
亡くなった子は同じ町内の、知っている男の子だった。
このときテレビ局に取材されて、たしか
「どう思いますか」って聞かれたと思う。
何も答えられなくて
ただただ悲しかった。
逃げられないように壁に追い詰めて質問してくるなんて
酷い、とあとから怒った。
ちょっとだけ「なんで人は犯罪を犯すのか」が気になった。
そのころ読んでいた漫画に
「気持ちが人を動かす」と書いてあって
そうなんだ、と思った。
ママは朝から晩まで働くようになって
お家にいることが少なくなった。
**
高校受験までは
学校や親や塾のいうことを聞いていたら
なんとかなる人生だった。
それなりにお勉強もできて
まぁそれなりに「しっかり」もしていて
ママにも褒めてもらえて。
ママの希望通りの学校に行っていたら
問題ないでしょ、と思っていた。
でも、大学から先のことは自分で決めなきゃいけなかった。
自分で決めなきゃいけないのに
全然やりたいことがない。
同じクラスの子たちは
「〇〇学部に行きたい」とか
「デザインの学校に行きたい」とか
「先生になるのが夢」とか
将来の夢を持っているのに、わたしには何もない。
焦った。
どうしたらいいのか分からない。
急に目の前の道がなくなった気分だった。
本当は興味あることあったんだけどさ、
わたしがやりたいことって
日本文学(源氏物語)とか
心理学とか
だったので
ママに
「そんなので将来ご飯食べていけるの??」
「ママの言っていることで、間違ってたことないでしょう?」
と言われたことで
一般的に人気のあった「法学部」にした。
動機はあって「犯罪心理学」が学びたかった。
中学生のあの事件がきっかけだった。
ゼミも、
犯罪学の著書を書かれている先生のゼミに入った。
でも、いざ就職活動をする
!となったとき、
犯罪学を仕事にすることが難しい、と知ったわたしは、
「ロースクール」へ行くことを決意する。
弁護士になったら、今度こそママを助けられる。
それに、法律を知らないと、「悪い人」に食われる。
早めに相談してもらえれば、
手持ちのカードが多い状態で解決策を提案できるから、
選んでもらえる選択肢も増える。
だから「人の役に立ちたくて」行くことを選択した。
このとき、ママはガンを患っていた。
まだまだ元気だった。
**
ロースクールに入った。
ここで初めて一人暮らしをした![]()
初めて自分の家庭環境を外から見ることができて
(他人の家庭と比較することは初めてだった)、
ママを神格化していたことに気付き、
めちゃくちゃ遅めの反抗気が始まった。w
ロースクールにはいろんな人がいた。
お金が欲しいから弁護士になりたい人、
純粋に人助けをしたいから弁護士になりたい人、
裁判官や検察官、研究職につきたい人もいた。
そこでもわたしは
「自分のしたいこと」が見つからなかった。
みんなのような、たいそうな目標があるわけでもない。
ただ「役に立ちたい」=弁護士かな、と思っただけだった。
今まで自分で決めてきてなかったからだ、となんとなく気付いていた。
それでも自分で始めたことだから、と
4年に渡り3回目の受験をしようとしていた冬、
自宅に付されていた土地・建物上の抵当権が実行されて
住むところがなくなった。
いきなり引っ越しせざるを得なくなって
持っているものも全部捨てないと住めないような
小さな小さなアパートに
ママとおばあちゃんと3人で住むことになった。
ママは、物を捨てられない人になっていた。
病気も重くなっていて入退院を繰り返すようになっていた。
わたしはもう、働くしかなくなった。
全部、ママのせいだ。
ママなんて大嫌いだ、と思った。
**
もうこの時、見える人全員、敵に見えていたw
ほんとのわたしは、こんなところでくすぶってるやつじゃない!!
ほんとのわたしは、こんなもんじゃない!!
ほんとのわたしは、もっともっとすごいはず!!!!
って、もうすっごい拗らせていた。w
本当に恥ずかしいけど、わたしの人生の前半は
そんな感じで
しっかりせな。
こんな自分やったらあかん。
もっともっと頑張らなあかん。
と、ずっと自分を否定し続けるものだった。
「好きなことがある」ことへのあこがれも強くて
好きなことさえ見つかればキラキラできるんだ!
好きなことさえ見つかれば天国になるのに!!
好きなことをしている自分になれたら(変われたら)幸せになるのに!
っていう想いもあった。
でも同時に、この気持ちたちはすごくヒリヒリしていて
眉間にしわが寄るような痛さ、
呼吸が浅くなるような辛さ、
があることにもうっすら気付いていた。
その時から、かな。
なんかおかしい、と思い始めた。笑
やっと、
自分に自信がなくて、
自己否定が強くて
「このまま人生が終わるのか?」と
漠然とした不安があることに気付いた。
でもね、「変わりたい!!」のベースが
ほんとのわたしは、こんなところでくすぶってるやつじゃない!!
ほんとのわたしは、こんなもんじゃない!!
ほんとのわたしは、もっともっとすごいはず!!!!
という、焦り・不安だから
何をやっても
その焦り・不安だけが増大するような現実創造となっていて
全然変われなかった。笑
酷いお話です。笑
それでも、
ちょっと考えを変えてみたり
自分で自分の機嫌を取る、みたいな事をしていくうちに
ちょっとずつ職場の仲間たちと仲良くなっていって
仕事終わりに飲みに行くということも増えていた。
☆←このあたりの記事。
生まれてきたことが疑問だったこと、
どうしてこのお家を選んで生まれてきたのか、不思議だったこと。
変わりたい、変わりたいと思いながら
全然自分のこと信じていなかった。
自分のことが信じられないから
当然、「自分の中に正解がある」なんて思い至るわけもなく、
常に外側、とりわけ
ママの正解を探しにいっていた。
無意識だけどさ、だって神だったからね。
神格化してるって気付いても、
反抗期をむかえても、
大嫌いだと思っても、
なお、まだ神だった。
そんなママが、2018年、お空に帰った。
もうわたしは結構な大人で、
ひとりで歩けるようになっていたはずだった。
もう、ママの正解を探さなくてもいい。
もう自由にしてもいい。
そのはずなのに、
その時にはもう、自分で何かを決めるなんて、
出来なくなっていた。
ママのお葬式の準備をしているとき
お顔を見に来てくださった方が泣いているのを見て
「きれいなお顔でしょ、生きてるみたいですよね」って
一番ニコニコしていた。
感覚も感情もドロドロに濁っていて
何がしたいかなんてさっぱりだった。
でも、そのとき
将来の夫となるパートナーに寄り添ってもらって
初めてちゃんと泣いたの。
さみしい、悲しい、逝かないでほしい
大嫌いだった
大好き、愛してる
全部全部、いっしょくたになって
わんわん泣いた。
**
今も記事を書きながら泣いてるんだけどw、
ちゃんと言葉にしたら
これが、「どんな感情も対等」ということなんだろうな、と今わかった。
全部愛おしいわたしの想い。
大嫌いも大好きもどっちも混在していて
全部まるっと愛しています。
本当にママの子で良かった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回はノートのことまでたどり着けるといいな。笑
