道中でバラクは幾つかの部族に声をかけた。エフライム、ベニヤミン、マキル(マナセ)、イッサカルなど協力的な部族たちもいた。
 しかし、中には、神の民が血生臭い戦さなどできるわけがないと、誇りのために戦いに加わろうとしない者、ヤビンと通じているのか、ぜいたくな生活を好む者、面倒に関わりたくないと、楽をしたい者などがいた。さらに、ルベン、ダン、アシェルのように、自分の生活に重きを置く部族などもいて、統一が図れなかった。

 

 デボラとバラクはケデシュに着いた。
 ケデシュはヨシュアが定めた避難都市のひとつで、レビ人の都市だった。
「預言者デボラの名を出したのですが……」
 都市の門の前で、バラクは残念そうに、悔しそうに言う。
「そうですか」デボラは答える。「……それで、神の命であることも主張しましたか?」
「……」バラクはうつむいた。「申し訳ありません。それはしませんでした…… 美貌のデボラと共にいたので、つい……」
「そうですか」デボラは答える。晴れ渡った空に、うっすらと雷鳴が聞こえる。「バラク、この戦いは神がお命じなったものであることを、ゆめゆめ忘れることの無きように、心にしっかりと刻みなさい」
「申し訳ありません!」
 ……まったく、男という者は…… デボラは溜め息をついた。
「それはそうと」恐縮し、頭を垂れているバラクを見ながらデボラが言う。「ナフタリとゼブルンには声をかけましたか?」
「いえ、まだです……」
「今、何と言いました?」
「……まだ、です……」バラクの声は消え入りそうだ。「神の声を聞いたのに、躊躇していたせいです……」
「そうですか」デボラは答える。雷鳴が先程より大きくなっている。「では、どうすればよいのか、わかりますね?」
「こ、これから行ってまいります!」
 バラクは踵を返し、走って行った。
 デボラはその後ろ姿を目で追いながら、大きな溜め息をついた。……まったく、男という者は…… 
「……おや、あなたは?」
 門の内側から声がかけられた。デボラが振り返ると、都市の年長者が穏やかな笑顔で立っていた。
「あなたのようなお美しいお方が、意図せず人を殺めてしまわれましたのか?」
「そうではありません。わたしはデボラ、神の預言者です」
「おお、あなたが……」
「今は火急の時です。神はシセラとヤビンを我らの手に渡されると約束なさいました。その準備をバラクがしております」
「おお、あのバラクが……」年長者は何度もうなずく。「あの者は、頼りがいのある良い男です。あの者が救い手となるわけですな。さもありなん、さもありなん……」
 デボラは微笑んだ。雷鳴が轟いた。年長者は驚いて空を見上げた。雲一つない晴れ渡った空に、空耳だったのかと首をかしげていた。

 

 数日後、デボラが宿舎としていた家に、バラクが戻って来たと、年長者から連絡があった。
 デボラは都市の門から出て、一万の男たちを見た。どの顔にも命をかける覚悟が見てとれた。その中から、バラクが歩み出た。
「デボラ、時間がかかったが集まった」バラクが得意げに言う。「神のお命じになったことだと言うと、率先して集まってくれた者たちだ」
「バラク……」デボラがバラクの顔を見て言う。「大分、良い顔つきになりました。救い手として申し分のないようです。神も喜んでいらっしゃいます」
「ありがたきお言葉……」
 バラクは涙を浮かべ、頭を垂れた。
「では、次に何を行なうべきか、わたしが言わなくてもわかりますね?」
 デボラは微笑みながら言った。
「もちろんです!」バラクは控えている一万の男たちに振り返った。「さあ、タボル山の山上に! 預言者デボラも共にある!」
 一万の男たちが雄叫びを上げた。
 それをかき消すように雷鳴が轟いた。男たちは驚いて空を見上げた。空は晴れ渡っていた。
 ……まったく、男という者は…… デボラはさらに大きな溜め息をついた。

 

 バラクの動きを知った者たちが、将軍シセラに注進した。
 直ちにシセラは、自分のすべての戦車九百両を呼び集め、また自分と共にいるすべての民を集め、宿営のあるハロシェトを出て、タボル山のあるキションの奔流の谷に向かった。

 

 

(裁き人の書 4章10節から13節、5章9、10節及び14節から18節をご参照ください)