数日が過ぎ、デボラは外に出た。神から告げられていたことがあったからだ。時を違えずにラピドトが戻ってきた。上背のあるがっしりした男性を伴っていた。
 ラピドトは馴れ馴れしくデボラに手を振ってみせ、小走りに駆け寄ってきた。
「デボラ、こちらがケデシュ・ナフタリのバラクだ」ラピドトが上機嫌で男性を紹介した。「バラク、こちらが…… 預言者様のデボラだ」
 デボラは忌々しそうな顔でラピドトを見る。人がいると妻が文句を言えないのを知っているこの卑屈な夫は、にたにたしながらデボラを見返していた。
「これはこれは、預言者デボラ」バラクは二人の心中には無頓着に、あいさつをしてきた。「あなたの御高名は北の果てのナフタリにまで聞こえております……」
「あいさつは結構です」デボラはバラクのあいさつを遮った。「バラク、お話があります」
「おいおい、デボラ。わたしもバラクも長旅だったんだよ」人前では優しい夫を演じるラピドトが微笑みながら声をかける。「道中が大変だったんだ。少しは休んでもらった方がいいんじゃないのかい? わたしもバラクもくたくただし……」
「バラク!」デボラは夫の言葉を遮り、バラクに話しかける。「あなたも聞いたのではありませんか?」
「……聞いているのか、は、わたしのせりふだ。デボラ、今言っただろう? 少しは休ませろよ」
 ラピドトは笑顔のままだが、少しいらついたような口調で割って入る。
「あなた……」デボラは冷たい視線を夫に向ける。「もう用は済んだわ。ありがとう」
「え?」ラピドトは妻の冷たい声に笑顔をひきつらせた。「用が済んだって…… 一休みして、道中の話でも聞かないかい?」
「ありがとう、って言ったでしょ!」
 デボラが言った途端、晴れ渡った空に雷鳴が轟いた。ラピドトは飛び上がった。バラクも空を見上げ、不思議そうな顔で腕組みをした。
「『オレは預言者デボラの夫だ。優先的に話を聞いて来てやるから、少し包め』と言いながら、道中で小遣い稼ぎをしたわね。……神はお怒りよ」
 再び雷鳴が轟いた。ラピドトは走り出した。悲鳴を上げ、右に左にと飛び跳ねながら去って行った。
「あれは……」
 バラクがラピドトの後ろ姿を見送る。 
「夫にしか見えない落雷を避けながら走っているのです」デボラは冷たく言い放った。それから、まっすぐにバラクを見つめた。「……先ほども言いましたが、バラク、あなたには神の声が聞こえなかったのですか?」
「……」
 バラクは押し黙った。デボラの視線を避ける。
「イスラエルの神はこのようにお命じにならなかったでしょうか」デボラは続けた。「『行って、タボル山上に散開するように。あなたは、ナフタリの子らとゼブルンの子らの中から一万人を連れて行かねばならない。そうすれば、わたしは必ず、キションの奔流の谷で、ヤビンの軍の長シセラおよびその戦車と群衆をあなたのもとに引き寄せる。わたしは彼をあなたの手に与えるのである』と」
 バラクはそれを聞くと、その場に片膝を付き、頭を垂れた。
「正にその通りです。わたしはその声を聞きました。しかし、正直恐ろしい話です!」バラクは顔を上げ、デボラを見つめた。その瞳には恐れの色しかなかった。「相手は戦車を駆使します! 逃げ惑うしか無いわたしたちには満足な武器も防具もありません! しかも、この僕に一万人もの人を集められる自信も知恵もありません! どうしていいのか、わからないのです! できれば他の者に替わってもらいたい……」
「何を弱気な事を言っているのですか!」デボラは一喝した。「オテニエルも、エフドも、シャムガルも、神の命に躊躇しましたか?」
「だが、あの頃の圧政よりも、今はまさに狂気じみています!」
「バラク、あなたには、神への信仰が無いのですか! 神よりも人を恐れるのですか! ケデシュからの道のりを神が守って下さったと、どうして思わないのですか!」
「ならば、デボラ、あなたが共にいて下さい! 預言者ならば、わたしよりも遥かに神に近いはず! そうでなければ、わたしは行きません!」
「ええい! この軟弱者が!」
 デボラは怒りに任せて怒鳴った。晴れ渡った空に雷鳴が轟いた。バラクは平伏した。デボラはその無様な様を苦々しく睨み付けた。
 それからデボラはふと空を見上げた。目を閉じ、そのままの姿勢を続ける。しばらくして視線をバラクに戻した。
「……わかりました。共に参りましょう」デボラはいつもの穏やかな口調に戻っていた。「神もそれをお望みです。……ですが、美となるもの、誉れとなるものは、あなたの行く道であなたのものとはならないでしょう。女の手に神はシセラを売られるからと、神は仰せです」
「共にいて下さるとは心強い限りです!」バラクは笑顔を取り戻した。「誉れは神のものです。わたしはそれで構いません」
 デボラは大きく溜め息をついた。……まったく、男という者は……
 意気揚々なバラクと憂い顔のデボラという対照的な二人はケデシュへと旅立った。

 

 

(裁き人の書 4章節から6節、5章8節をご参照下さい)