神から「さばきづかさ」に任じられたオテニエルは、その寿命を迎えた。「さばきづかさ」として歩んだ四十年の歳月は騒乱も無く、穏やかなものだった。イスラエルの民はその死を悼み、神と共に歩むことを誓った。
 しかし、民の誓いは長くは続かなかった。
 

「それじゃ、行って来るぜ」
 ベニヤミン族のゲラは言った。
「お父さんも一緒に行きましょうよ」
 ゲラの妻が言った。
 二人ともバアルへの崇拝のために集まりに出かける所だった。
「……」父と呼ばれた老人はじろりと二人を睨んだ。「……わしは行かん!」
「お父さん……」
 妻が溜め息をつき、夫の顔を見る。
「あのな、父さん」ゲラが妻の肩を抱きながら言う。「裁き人オテニエルは死んだけど、その後はどうだい? 特に変わっちゃいないだろ? 戦さもない、作物の不振もない、極めて順調じゃないか。我らの神は、我らの行ないをお認めになっているんだよ。心の広い神なんだよ。その証拠に、ほら、何の咎めも無いだろう?」
「馬鹿者が!」老人は吐き捨てるように言った。「その慢心が災いを呼んだのだ! 神がオテニエルを立てた時と、今は全く同じじゃ!」
「全く同じか……」ゲラは苦笑いを浮かべた。「仕方ないんじゃない? 親子は似るからさ」
「ゲラ!」
 老人は持っていた杖を振り上げた。ゲラは笑いながら外に出た。
「……すみません、お父さん……」ゲラの妻は老人の傍らにいる少年を見た。「今日こそは、その子を、エフドを連れて行きたのですが……」
「馬鹿者!」老人は家全体が揺れるような大声で怒鳴った。「わしに謝るのではなく、この子をバアルの集まりへ、糞どもの集まりへ、連れて行こうとぬかすのか!」
 老人は杖を投げつけた。妻は慌てて出て行った。
 エフドは左手で杖を拾い、開け放しの戸を閉めた。
「じじ、そんなに怒ってると、倒れるぞ」祖父に杖を渡しながらエフドは言う。「でも、どうしてそんなに怒るんだ? 毎日特に困ったことも起きてないじゃないか」
「……よいか、エフド」祖父は孫の頭を優しく撫でた。「神は、お前の父さんや母さん、周りの者たちの勝手なふるまいを許しておるわけではないのだ」
「でも、何も罰は与えられていないよ」
「神は見ておられるのじゃ。わしらがどのように歩むのかをな」
「どのように歩む、って?」
「そうか、ちょっと難しかったか……」祖父は優しい笑顔を孫に向けた。「ヨルダン川を渡り、このカナンの地へ入ってから、幾度も神に助けられたというのに、結局は神を悲しませることばかり行なってしまった。神と共にあるためには神の道を歩むことなんじゃ。道を逸れたら、神はもうそこにはおらん……」
「……じじ……」エフドは祖父を見上げた。「そんな昔のことを知ってるなんて、じじはいくつなんだ?」
「そうさなぁ……」老人は含み笑いをした。「九十から先は数えたことがないな」

 

 それから間もなく、モアブの王エグロンがアンモンとアマレクと同盟を結び、イスラエルに攻撃を仕掛けてきた。イスラエルになす術はなかった。そして、やしの木の都市と言われるエリコを占拠し、その東の都市ギルガルを居城とした。イスラエルの民は重税、苦役、さらには貢ぎ物などを強要されるようになった。

 

 孫のエフドの手を引いて老人は外に立っていた。
 エフドは祖父と共に、異国の兵たちに鞭打たれ、嘲笑され、罵られ、それでも何もできず、暗く硬い表情のまま行き交う人々を見ていた。
「神のお怒りじゃ……」
 祖父はつぶやいた。
「じじ、痛い……」
 エフドの手を握る祖父の手に力が込められていた。 

 

 

(裁き人の書 3章12、13節をご参照ください)