熊と一緒に住めばいい!  |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

(イラサポフリーより)

 

秋田県議会議員の宇佐見康人氏が公開した抗議メールの全文

▼問い合わせフォームの入力内容(全文)

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【姓】野蛮人どもへ

【名】クソ野郎

【ヨミ】クソヤロウ

【住所】でたらめの数字と複数の都道府県名が記載

【電話番号】虚偽の番号が記載

【備考欄】

「熊を虐殺して楽しいか? お前ら秋田県人の野蛮さを可視化できた! 次の選挙は絶対に落としてやるからな! 熊を絶滅させて楽しいか? 熊の棲家を奪ってるのはお前ら人間だろ! 何で一緒に生きていこうと思えないんだ? だから野蛮民族なんだよ! お前も自民党も全員落としてやるから楽しみにしてろよ? 送りたきゃ送ってみろよ! いくらでも共生してやるよ? お前らと違ってこっちの人間は賢いからな?」

これに対し宇佐見氏は「わざわざWEBの問い合わせフォームから送るより、他に労力を割いた方が熊も貴方も幸せですよ」と返答。さらに「アレなので理解出来ないと思うけど、絶滅狙ってないし、種の保存はしてるし、秋田の森林面積変わってない」と説明を加えました。

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(MMS記事引用)



熊って各都道府県に、500~800頭生きています。
どこの条例でも、ある一定の頭数を超えると、子ずれの熊出なければ射殺して間引いても構わないというような規定が設けられています。

近年過疎化が進んできて、熊の方が人間の住処に入ってくることが増えてきましたよね。
私の家も、人がいないので家の裏にある畑の手入れがなかなかできなくなってくると、最近は毎年畑の柿木に成った柿を熊が食べに来ます。ちょうど実った絶妙ののタイミングで、一晩で1本の柿木に成った柿を全て食べて、黄色い大きな糞を土産に残して立ち去ってゆきます。

皆さんの家でこっそり貯めたタンス預金を泥棒が盗んでゆくような感覚です。(1日で数万円)

熊は大体は夜に出てきて、食べ物を明後日朝早くに山に帰ります。
その時にバッタリ出くわそうものなら、人間の方が襲われて大けがを負います。

たとえ2,30メートル先に熊を見つけても、銅像のようにじっとしていない限り「どうしよう」と考えている数秒の間に感覚を詰められて襲われるでしょう。もし、何かを持っていて振り回して反撃をしたとしても、一旦は10メートルほど離れるでしょうが、そのあと必ずもう突進してくるでしょう。
熊は相手が熊同士であろうが人間であろうが、動けなくなるか完全に戦意を喪失したと思うまでは、もう突進してきます。あの太い腕と爪でひとかきされるだけで大怪我になるでしょう。

「一緒に生きてゆく」??? 朝方に熊に出くわした時の恐怖はわかりますか?
この人は、一緒に檻の中でも小屋の中でも住んでみればいいのですよ。

まして、動物や人の肉を食べた事のある熊はお手上げです。
そんなクマが人里に現れると、生きるか死ぬか・・・・自分は大丈夫でも女性や子供を襲うとどうしようもありません。

今回もマーケットの冷凍庫にある肉を食べて味を占めた熊は、例え山に帰っても餌が無くなると必ず戻ってきます。

ある程度の境界線は敷けても、フライングしてくる熊は、ましてや血肉の味を覚えた熊は処分するしかないのですよ。

今は熊の棲家を奪っている時代ではなく、人間の住処を奪われている時代ですよね。

秋田県だけではありません。私は京都ですが、京都にも500頭以上の熊が住んでいます。
最近は昼間でも高野川や賀茂川には、水を飲む鹿がいたり、夜は岩倉でも道路の真ん中に鹿が立っています。
比叡山や鞍馬山などにはわからないだけのことで沢山の熊が住んでいます。

鹿だって京都には800頭以上も住んでいます。
葵祭でも使われる三つ葉葵の葉っぱなんて、一晩で全部食べてしまいます。
車とぶつかったら、十中八九自動車が廃車で、意外と鹿は大丈夫です。
ぶつかった鹿は、気絶して固まっていますが、大概は我に返って立ち上がり走って逃げてゆきます。
車の方が柔らかいのでフロントが大破したりラジエータが壊れて動かなくなったり。
私も買い換えた経験があります。

夜中になると、天井裏にはハクビシンやイタチがやってきます。
小動物は、人里の民家の天井裏が安全なのでしょうね。
ドコドコとうるさくて眠れませんし、おしっこするので天井板に紋が出来ます。
たまに、ネズミがイタチに追い詰められて「キャー」という絶対絶命の断末魔が聞こえたりして・・・。
動物同志も大変だなーと思います。

「あほ―!じっとしとれー!」と夜中に怒鳴って下から棒で天井を突いて黙らせて・・・・。

人間と動物もぎりぎりのところで生きているのです。

人間も動物同志も生きるか死ぬかの境界線があるのです。
それをどちらかが超えると・・・・どちらかが死ぬしかないのですって。