大河 麒麟が来る は、私の地元のお話。
世間一般には織田信長を殺した謀叛人としての印象が強い明智光秀。
日本を統一=平和な社会
と考えるならば、それを目指していたと思われる信長を殺し、再び戦国に戻してしまった光秀は、悪者だったのでしょうね。30年ほど前までは。
しかし、逆説の日本史、日光東照宮の桔梗、明智平、堺の明智光秀肖像画、天海僧正、光秀の家臣斎藤利三の娘である春日局と徳川家光など、徳川家と縁のある話がたくさん出て来て、昔とは印象が変わりつつあるのも、ご存知かと思います。
下の画像は光秀が丹波平定後に築城した、福知山城。
この時の善政の印象で、地元で光秀の事を悪く言う人は殆どいないでしょう。
その証拠に福知山城を築城するときに、石を運びながら歌ったらしい福知山音頭がある。
♫ドッコイセードッコイセ チョコチョイノーチョイノーチョイノーチョイ
トコドッコイ ドッコイ ドッコイセー
♫明智光秀丹波を拡め ひろめ丹渡の福知山
♫お前見たかや お城の庭を今が桔梗の花ざかり
地元丹波の私も、光秀が今の様な世の中で政治家になっていたら、素晴らしい結果を残すだろうなと思っています。
プロボクサーだった俳優の赤井英和氏の祖先にあたるらしい。
なんで苗字が二つ?
もともと黒井城は室町時代に御三家の一つである赤松氏の居城だったらしいが、その後荻野氏、つまり私の祖先の居城になった。
その荻野氏の人質養子になったのが、赤井直正。
しかし、当時の黒井城主だった荻野秋清を暗殺して城主になった。
その時は養子のままだったので荻野直正と呼ばれていたらしい。
荻野秋清暗殺の刺客が直正だったけど、それを指示したのは秋清の父さんだったから、そんなに揉めなかったのかも知れません。
この荻野直正は、第一次丹波制圧に乗り出した光秀を敗退に追い込んだ。
背後から波多野氏が光秀を裏切って三方から囲って攻撃を仕掛けた。
這々の態で逃げ延びた光秀を手助けした人物の中にも荻野氏がいたから、よくわからん。
波多野氏と言えば、皆さん下着で知っているグンゼの創業者が波多野鶴吉と言う人で、関係あるみたい。
ともあれ、当時は戦国の下剋上。
何があってもおかしくはない時代。
そんな事を考えながら見ていきたい
麒麟が来る
しかし、私は荻野氏の残党の子孫。
滅ぼされるところは、あまり見たくないなぁ💦