------------20160605-2-----18:10----------
大和君の行動につぃて「バンキシャ」で検証していました。
検証を見ていると、やはり予想した通りに19時過ぎから暗くなり19時30分には真っ暗になっていました。
途中の砂利道の交差点で東の方向にわずかに建物が見えていました。
大和君はそちらの方向に進んだ可能性が高いですね。
19時には夕陽が照る中で、速足で進んだはずです。
もうすぐ真っ暗になるくらいはわかったでしょう。
よく自衛隊施設にたどり着けたものでした。
金沢県でも小学二年生の男の子が母親に車から降ろされて一時行方不明になりかけた事件もありました。
どちらの事件も、警察は児童相談所に報告をしたそうです。
虐待まではゆかないと思います。
子供にかまってやれていたか
そこのところが、今後いろいろと議論されるのではないでしょうか。
------------20160605-1-----0:33----------
大和君ら家族は2016年5月28日、北海道七飯町東大沼の山林にある公園に遊びに行った帰り、「人や車に石を投げた」などのことから、躾のために林道で父親の田野岡貴之さん(44)が大和君を車から降ろして置き去りにしたことにより、大和君(7歳)が一時行方不明になる事件が起きました。
父親は一度大和君を車から降ろして、追いすがる大和君を車に乗せましたが、言うことを聞かない大和君を再び降ろし、立ち去るふりをして約5分後に元の場所に戻りましたが、すでに大和君の姿が無く、その後大々的な捜索をすることにまでなりました。
貴之さんは当初本当のことを言えず「山菜採りに来て行方不明になった」と道警に説明。まあ、これは仕方がないかもしれませんね。
大和君が置き去りにされた時刻は午後5時ごろ。
その日から捜索は行われましたが見つからず。
6日後の6月3日17:30頃に、行方不明現場から北東に直線で約5キロのところにある、陸上自衛隊駒ケ岳演習場の宿泊施設で無事に見つかりました。
大和君の話では行方不明当日に移動したといいます。
夕方からの深い山林を一人で歩くと3時間以上はかかったと思われます。
よくクマに襲われたり、方向がわからずに深い森に入ったり、崖から落ちたりしなかったものだと思います。
発見現場に着いたときは真っ暗だったはず。
頼りは月明りのみで、気温も10度を切っていたはずですし、相当怖かったのではないかと想像できます。
私の想像ですが、大和君は元のキャンプ地に戻ろうとしたように思います。しかし左前方が山の頂上になるので、直感的に砂利道の交差点を右へ右へと選んでいったのではないでしょうか。山の方に行くと遠くなるという感覚は直感で感じるはず。
夏の五時はまだ明るい。
6月の函館の日没時刻は19時過ぎです。
歩きだして2時間は明るかったはずです。
街中で2時間歩くと約5キロではないでしょうか。
つまり、想像するに日没前に自衛隊の演習場区域内にまではたどり着けていたのではないでしょうか。
晴れていたので星明りの中を、自衛隊の車両の轍(わだち)が残る砂利道を泣きながら歩いたと思います。
月明りで黒く大きなシルエットのように見えたであろう森林の中から少しでも離れようと歩いたはずで、少しづつ東へ東へ歩いて行ったのがよかったのだろうと感じました。
(演習場までくると道がたくさんある)
夏で日没が7時までだったこと
本能的に東の方向へ歩いたこと
クマが出なかったこと
途中で歩くのをあきらめなかったこと
道が行きどまりになっていなかったこと
自衛隊の施設のカギが開いていた事
泣きながら小走りに早歩きをしていたのではないでしょうか、日没までの自衛隊演習場の比較的森が少ない場所まで来れていたのだと思います。
この事件で、外国では親の躾について問題視され、イギリスをはじめいろんなところでニュースになっていたそうです。
どうでしょうか、私が親だったら、または本人だったら。
息子が人や車に石を投げつけたとしたら、やはり相当に怒ると思います。
自分の息子として情けなくも感じ、自分の躾が悪かったのだと責めもするかもしれません。
この事件の前から、こういう躾になってしまった経緯はあったと思います。
なぜ、子供が親の言うことを聞かなくなったのか。
なぜ子供が人や車に石を投げるようになったのか。
私も息子がいますが、7歳だと結構素直に親の言うことを聞いていました。
子供は愛情を注ぐと、結構素直に育つはずなのですが。
家族の事情はわかりませんが、今一度子供に注ぐ愛情について考えてみる機会ではないかと感じはしました。
私も昔は家に蔵があって、言うことを聞かなかったときに、思い土の扉を開けられ、そこの奥に放り投げられて戸を閉められたことが何度かあります。
蔵なのでどれだけ必死で泣いても、ほとんど外には聞こえません。
近所迷惑にならないのです。
何度目かで蔵に放り込まれたときに、例のごとく泣き叫びましたが、二階にある鉄格子の小窓からきれいな月が見えました。
そのとき私はその月と明りを見て安心して、二階に上って蔵の中を恐る恐る探検することにしました。
急に静かになったものだから、親が逆に心配して蔵の戸を開けに来た時に、逆に物陰に隠れて出てやるものかと思った記憶があります。
このころの私は、こんな酷いことをする親は、ひょっとしたら私の本当の親ではないのだとまで思っていました。
今から思えばアホなことです。
大和君はどう思っていたのでしょうか。
なにはともあれ、無事でなによりでした。