2016年に発表された第三者委員会の報告書やマスコミで報道されている内容を年表形式でまとめてみました。
こうすると、いつ頃何があったかがよくわかります。
紫の字の部分は不適切な取引。
そして青い文字は大東元社長が清算したものです。
1967 | 王将1号店 京都 |
1977 | 創業者加藤朝雄氏が同郷の上○○一郎氏(部落問題解放家)と面識 |
1980 | 福岡に九州1号店 |
1988 | 王将大坂戒橋店で従業員の失火により建物所有者らが死亡。上○○也氏に土地建物の買収交渉を依頼、土地建物の代金として9億円、買収工作資金として上○○也氏に1億円支払(取締役会を通さず) |
1993 | 2006年まで「経済合理性が明らかでない取引」(主に上○○一郎氏の異母兄弟の上○○也氏と加藤朝雄氏の次男加藤欣吾氏) |
1993 | 創業者加藤朝雄氏亡くなる |
1995 | 祇園の不動ビル5億3,000万円で購入 |
1995 | ハワイの土地を18億2900万円で購入 |
1995 | ハワイの土地を子会社キングランド(社長は大東氏)に売却(金額不明) |
1997 | 京都伏見店隣接土地の買付資金33億円交付(買付は実現せず使途不明で返還されず) |
1998 | 王将フードが子会社キングランドを通じて上○○也氏関係会社に185億円を貸し付け。9月までに95億4,000万円は返済 |
1998 | 前渡金 仕入先業者に前渡金10億円を振り込み、仕入業者は振り込まれた金額を王将FSにただちに返金、返金された10億円は行方不明 |
1998 | キングランドに対し仮払い勘定で25億円を振り込み。キングランドは同金を創業一族である加藤欣吾氏の口座に振り込み。返済の一部に仕入れ業者の10億円が使われる。 |
1999 | ゴルフ会員権の購入 B1社のゴルフ会員権10口を2億7,100万円で購入 |
2000 | B1社とB5社から、ゴルフ倶楽部のホテル棟を31億円で購入 |
2000 | ゴルフ倶楽部のホテル棟購入代金のうち26億2,400万円はキングランドのB1社に対する貸付金債権と相殺 |
2000 | B1社にゴルフ倶楽部のホテル棟を月額500万以上で賃貸する賃貸借契約を締結 |
2000 | B5社から福岡県うきは市の「ヘルスケアー原鶴」の建物を4億円で購入 |
2000 | 福岡市福岡・赤坂のビルの9階建てビルを12億3700万円で購入。購入代金のうち8億5,700万円はキングランドのB1社に対する貸付金債権と相殺 |
2000 | B5社からB1社クラブの隣地・福岡県甘木市を合計27億9,100万円で購入。買戻しは実現していない。購入代金のうち6億4,000万円はキングランドのB1社に対する貸付金債権と相殺。 2000 B5社から養鶏場施設の土地(福岡県朝倉郡三輪町)を3億5,000万円で購入 |
2000 | B5社から養鶏場施設の土地(福岡県朝倉郡三輪町)を3億5,000万円で購入 |
2000 | B5社とB7社から福岡・高宮のマンションを合計2億2,000万円で購入 |
2000 | 加藤潔(創業者長男)責任を取り3代目社長退任(会長から現在相談役)、代わりに大東氏就任 |
2001 | B5社から雲仙旅館の土地建物(長崎県南高来郡古浜町雲仙)を合計20億円で購入 |
2001 | 452億円の有利子負債で倒産危機 |
2001 | B6社に福岡・高宮のマンションの一部を売却 |
2002 | 福岡市赤坂のビルを5億2000万円で売却 |
2002 | 2002年3月期に44億8,100万円の貸倒引当金 |
2002 | 創業者の次男加藤欣吾氏王将の専務退任 |
2003 | 大東社長 不透明取引の清算を宣言 |
2003 | B5社に雲仙旅館の土地建物を合計2億8,700万円で売却 |
2003 | B6社に福岡・高宮のマンションを2001年と合計7,000万円で売却 |
2003 | ハワイの土地を第三者に5億9,800万円で売却 |
2005 | ゴルフ倶楽部のホテル棟賃貸の未払い1,900万円を債権放棄 |
2005 | B7社に「ヘルスケアー原鶴」の建物を5,000万円で売却 |
2005 | B7社にゴルフ倶楽部のホテル棟を7億7,000万円で売却 |
2005 | 1998年の185億円残債を債権放棄(40億円)9月には貸金残高40億8,800万円を全額債権放棄 |
2006 | B7社に養鶏場施設の土地を5,000万円で売却 |
2006 | 祇園の不動ビル8000万円で売却 |
2006 | B7社にゴルフ会員権を2,000万円で売却 |
2006 | 回収不能となった170億円についてすべて処理 |
2008 | 加藤潔氏の長男加藤貴司氏ウクライナ人妻との離婚直前に3歳の息子を連れて計画失踪 |
2013 | 社内調査報告書完成 |
2013 | 大東社長暗殺 |
2015 | 第三者委員会設置 |
2016 | 大東社長暗殺事件で王将フードサービスは第三者委員会の調査報告書を公表 |
王将の歴代社長と現社長
初代社長 | 加藤朝雄氏 |
2代目 | 望月氏(元アサヒビール副社長)歴代と血縁関係なし |
3代目 | 加藤 潔氏 |
4代目 | 大東氏 |
5代目 | 渡辺直人氏 歴代と血縁関係なし |
大東前社長の義理の兄が福岡県出身の加藤朝雄氏。
この人が京都に1967年に王将1号店を出した。
だから王将は九州と関係がある。
80年に福岡市に九州1号店をオープン、同市内に食材を製造・加工する「セントラルキッチン」を設立。
この加藤朝雄氏が同郷の上○○一郎氏(有名な部落問題解放家)と面識を持ち、その異母兄弟の上○○也氏が、社長の用心棒のようなことをやっていたらしい。(各紙)
元同和関係の人物を後ろ盾にして店舗展開を行うと、ある意味繁華街の一等地にでも店舗がもてるでしょうから便利だったのではないかと思います。
一方、工○会という組は野○悟組長をトップとした非常に団結力の強い組で、その凶暴性が異常なほど強い暴力団。
何が卑劣かというと、各所のマンションに武器を隠し、そこには手りゅう弾は当然ながらロケットランチャーなども持っているといいます。(実際に摘発されている)
それをつかって、民間企業や堅気だけではなく堂々と警察官に対しても攻撃を仕掛けてくる。
思想的なものが政治や宗教に関係して来たら完全にこの組織はテロ組織と言われても何の不思議でもありません。
そういう意味で日本でも唯一特定危険指定暴力団に指定されている組織。
加藤朝雄氏が亡くなるまでは、互いに認め合ってやっていたのではないでしょうか。
亡くなった後に息子が三代目社長になると、どこの会社でもそうですが、父親のブレーンを断ち切って自分の思うようにしたいわけですよ。
しかし、それでは上○氏は収入源が絶たれてしまう。
だから特に陥れやすかった専務である弟のほうに、脅しめいたことをやって弱みを作り、取締役会を無視してどんどん王将の金を搾取していった。
その間に上○氏自身が下手を打って、工○会に弱みを握られて企業舎弟化していたのではないでしょうか。
詐欺師には詐欺師が集まる世界なので、話はもっと複雑なのかもしれませんが、概ねの流れはわかってきました。
この組織の組員が、捨てられたたばこのDNAから大東社長殺害事件と関係があると指摘するのは京都府警。
とはいってもそのたばこの吸い殻は、事件現場から約1キロ離れた場所で、犯行に使われたバイクの乗り捨て場所に落ちていたものだとか。
私は工○会そのものが大東社長殺害に直接関係するとは思っていません。
大東社長が行った黒い取引を断ち切る大改革において、だれが一番不利益を被ったか・・・を考えると、すでにその人物は明白ですよね。
どうみても上○○也氏ということになってしまいます。
つまり、私の想像では上○氏はゴルフ場のトラブルあたりから、工○会の企業舎弟のような関係に陥っていたのではないかと思います。
この人物にとって大きな収入だったのが王将で、それを大東元社長によって断ち切られてしまったわけで、上○氏から見れば
「大東め、あれだけ面倒見たったのにどういうことや、おまえもキングランドで関係あるから同罪やろ」
という感じなのだと想像します。
それで工○会に殺してくれと頼んだ。
大東元社長は、不適切な取引の内情までわかっているわけで、いつ上○氏の実態を公表されるかもわからないから殺害するしかなかった。とも考えられます。
だって上○氏とすれば、大東元社長が亡くなって、本当は三代目の加藤潔元社長の息子が継ぐようなら、また利用できる可能性があるわけで・・・ところがそれも先を見越してなのかどうか・・・私の想像ではありますが、エジプトで失踪したことにしたのではないかと。
長男が失踪したときに、一部週刊誌では身を守るためと書いていましたが、こうやって考えてみればつじつまが合うような気がします。
しかしいくらイケイケの工○会だって、上○氏の先にあるの王将なんて直接関わり合いがないからどうでもいいですよね。
しかも直接関わると改正暴対法に引っかかってややこしくなる。
だからおそらくはヒットマンを紹介した。
紹介した限りは実行を見届ける必要場あるのでバイク乗り捨て現場で待機して犯行結果を確認してから車で京都南インターから名神高速に乗って九州に戻った。
というのが流れなのではないでしょうか。
京都府警は王将事件で福岡県警がなかなか動いてくれないので、けしかけるためにも王将事件と工○会の関係を公表したような気がします。
福岡県警としては2年前のに工○会のトップである野○悟氏を18年前の漁協殺人事件で逮捕して、その間に組織を崩そうとしている最中なので京都府警には入ってほしくないのですが2016年になってやっと王将事件にも協力するということになって来ました。
こうやって考えてみると、王将が不適切な取引を行っていたころに、子会社の社長をやっていたのが大東元社長。しかもその会社は迂回融資などに使われていたわけで、闇の王将を知っていたのは当の大東元社長。
その状況でと適切な取引をすべて清算したのは、相当な勇気がいったと思います。