------------------2015/9/15-------
私が元少年A(以降「彼」と書きます)の出版した本を読み、サイトを見て感じた事を書いてみたいと思います。
【今の彼とその後の事】
まず、彼の本「絶歌」について言えば、執筆以前から自分自身の本音を抑えながらも、過去をなんとか冷静に描き纏めて、社会に戻ってから仕事をしてゆくうえで、自分が「生きる」ということがどういうことかが徐々にわかってくる反面、彼自身が他人の「生きる」を消し去ってしまったジレンマに気づき、それによって自分は「どれだけ取り返しのつかないことをしたのか」と言うことを認識し、遺族にも申し訳ない気持ちを持ったということが書かれていました。(文面通りなら)
(遺族から見れば黙って本を出すこと自体許せないことではありますが、その点を横に置いておいてです)
つまり、過去を見て、現在を見て、自分の過ちの度合いが認識できて、罪の重さを思い知り、被害者や遺族に申し訳ないと思ったと、少なくとも本人は思っていた(と信じたい)。
しかし、この本の中にも彼が潜在的に持っている(一般の人から見れば引いてしまうような)印象や意識がところどころに現れていたし、出版社への提出原稿にはとてもではないが書けないような部分がカットされていたという。
私が感じたことですが、彼が出したこの本の内容でキーワードになる部分は「生きる」という言葉だったと思うのです。
彼の脳裏には生きる意識が芽生え、それによって新たに様々な悩みや欲望・葛藤が湧きあがってきていることは事実ではないかと思います。
しかし世間一般から見れば、これは当たり前のことで、彼にとっては衝撃的な事でも、世間では当たり前の事を何も評価はしない訳です。
それどころか、おまえは殺人者で世の中に存在すべき人間では無いという声を浴びせて来るでしょう(既に浴びせられているでしょう)
彼はそのうちに、世間と自分の認識の違いが大きすぎることと、自分には未来が持てないのだという絶望感を味わうときが来ると思います。
私が心配しているのは、その時に彼がどういう精神状態になり、再び人を殺めるという挙動に走らないだろうかということなのです。
【サイトを立ち上げた心境は】
私は、絶歌を出版した後、彼がどうなっているのだろうと思っていました。
その矢先、彼は私の知らぬ間に自身のサイトを立ち上げて、そこには今の彼の本音ともとれる心境を書いている(描いている)ように感じました。
(サイトの表紙)
私はそのサイトを最初から最後まで見終わって、「彼は自分に負けている」と感じました。
その要素となるものを列記しますと
①なめくじのイラスト、ナメクジの画像、ナメクジの作品
②自分自身の肉体の披露
③佐川一成に対する意識
④すべてに置いて視野が狭い思考範囲
⑤回帰的な印象
⑥世間に認められたいと言う悲鳴
というものです。
彼の今の心境は一言でいえば⑥でしょう。
彼は身の回りに友達を作れる環境があるわけではありません。
名前を伏せ、本音を言えず、人とは親しくなれない環境で生きているわけです。
(サイトより引用)
まともな人であれ殺人者であれ、気を許せる仲間や本音を話し合える友がいなければ耐えられなくなってくるはずです。
もともと彼は世間に対してアピールしたがる部分がありました。
しかし名前や顔がばれると死活問題であることくらいは、勿論本人はわかっているはずです。
それで自分自身のブログを立ち上げた。
ブログを立ち上げて自分の気持ちを世間に知らせる。
SNSを使って、緩い友達を作ることもできる。
これらは、昔と違って現在ならではの癒しの方法なのでしょう。
①のナメクジは彼が小学校の頃から興味を持っている生き物です。今に始まったことではありません。
ただ、心配な要素は④で政治経済娯楽に関心を持てずナメクジを見つめ、狭い範囲で自分の存在について強く意識していることや過去と同じ生き物を意識し始めるなど⑤の回帰的な精神状態になってきてはいなかと言うことです。
ひょっとすると「もうだめだ」と思いかけているのではないかと言うことです。
彼は③の佐川一成について強く意識しており、佐川氏を嫉妬したり同調したりしています。
パリ人肉事件の佐川氏が人殺しをしても世間で堂々と?生きていることが気になるようで、同じような境遇にもかかわらず佐川氏が本名を公開出来てエッセイを出版しテレビにも出たことがあるのに、彼の場合は名前を公表できず本を出版しても世間から佐川氏の様には相手にされなく偽名で生きる身でもあり表に出られないことが非常に不満のようです。
彼は「絶歌」の印税が入る事により、今までの苦しい生活から抜け出て、つかの間の自由を味わっていることでしょう。しかしこのままではいけないとも感じており、自身のサイトを開設したり、その中で「本を買え」とまで書いています。
生きることと自由をいつまでも続けたいと焦っている部分もあるわけです。
そんなことで自分が生きることに必死になっている彼の現在の状態では、遺族に気を遣う暇などないのでしょう。
要するに彼は束縛されない自由と、名前を公表しても生きて行ける生活が欲しいわけです。
【彼の運命を想像】
これから先の運命は見えるように感じます。
彼は今の状態をどう頑張っても維持できなくなる。
名前は偽名のままだし、世間は絶対に彼を認めない、次に出す本は売れない事間違いないし、やがて印税で入った収入も無くなってしまう。
その時になってようやく現実は甘くなく夢や希望をもって生きることを許されないと悟り(いや、今もわかっているから必死にもがいている)、そして絶望に中で打ちひしがれることでしょう。
何か月先か、何年先かはわかりませんが、問題はその後です。
彼が再び日雇いのような仕事につけるとは思えず、世間に顔を出しても認めてくれない訳だから、「その後」の彼は家に籠って憂鬱で無気力な毎日を送るのでしょうか。
私が心配なのは、そんな時になって昔のスイッチが入るようなことが無いだろうかと言うことです。
私は、彼が自分の本が売れなくなり生活に窮しても、ふたたび以前のような苦しい仕事には戻れないと思っています。
かと言って殺人までは仕出かさないだろうとも思っています。
今では自分の人生をこんなにしてしまった汚点だから避けようとするはずです。
追い詰められた時、彼はどうするでしょうか。
私の想像では、彼は自ら自分の名前を公表するという暴挙に出る気がします。
佐川一成のように、世の中に認められずとも、世間のなかで生きて行く。
つまり世間からコソコソ隠れて生きたくないという思いが強いからです。
それが事実となった時、果たして世間はどうするでしょうか・・・。
彼が出版社から見放された時の選択肢は三つでしょう
・生活保護で静かに生きるか
・再犯をして監獄で生きるか
・自殺するか
勿論彼のことを心配しているのではなく、再犯を心配して、あれこれ想像しているのです。
