私が中学生の頃に入っていたクラブはバスケットボール部でした。
あだ名はヒョロ。
当時は細くて少しだけ背が高かったからでしょうか、いつの頃か先輩がそう呼び始めました。
私はこのあだ名があまり好きではありませんでしたが、私のことが少し頼りなくも映ったのでしょう。
仕方がないかとそのままにしました。というか、そんなことを考える余裕の無いクラグに入ってしまったのです。
中学校の体育館は放課後になると、すべてがバスケットボール部のものになりました。
バレーボール部などもすべて屋外に追い出して放課後の体育館は独占状態でした。
今から思えば、それだけ部の権力があったのかもしれません。
男子の部はそこそこ強くて練習も厳しかった方だと思います。
私が2年になってからからの試合は卒業するまでの間市内で一度も負けたことがありませんでした。
とは言っても地方の街なのでバスケット部を持つ学校は6校しかありませんでしたけれど(^^;)
そんなクラブなので練習は厳しかったです。
1年生の頃は、朝の7時か8時に来て授業が始まる時間までクラブボックスでボールの垢を擦り落とすのです。
勿論素手で。
親指の腹を皮のボールに強く擦りつけて垢を取ってゆきます。
布を使うと怒られましたので親指が火傷しそうなほど痛かったのを憶えています。
体育館の講堂の両端に男女に分かれてバスケット部のクラブボックスがありました。6畳ほどの広さです。
その中には体育の授業で使う跳び箱などもありましたが、その跳び箱は先輩の「ソファー」になっていました。
1年の私たちは真ん中の板床に胡坐をかいて、ボールを乗せて黙々と垢を落とすのです。
先輩はT定規を持って見張っています。
少しでも怠けていたら、
「おい!ヒョロ立て。もっと気持ちを込めてやらんかい!」
っと、私を一旦立たせて跳び箱に両手をつかせ、後ろからT定規で太ももの裏をペタン!ペタン!と5,6回叩かれるのです。
みなさんは経験がありますか、これは痛い!
体が伸びあがってエビぞりになるほど痛い。
それを毎日毎日やらされるのです。
私以外の同期はどう思っていたのでしょうか、少なくとも私は
「こいつら、いつかぶち殺したる!」
と思っていましたが、相手は先輩です。
そんな勇気はありませんでした。また先輩も同じ目に遭ってきたのだなと考えてしまうと反抗が出来なくなるのでした。
そして昼休みは掃除です。
1年生はさっさと昼食を済ませてクラブボックスに集まらなければなりません。
ボックスの中で1年生は横一列に並んで正座をします。
全員手には束子(たわし)を持っています。
「はじめー」
先輩の掛け声を聞いて、みんなは四つん這いになって束子で床を擦り始めます。
黒ずみかけた木の床は何度も束子で擦るおかげで新築の様な明るい色になってゆきます。
ただ黙々とひたすら擦っていると先輩が声をかけます。
「きれいになったかぁ?おい!どうなんやヒョロ、きれいになったか言うとんや」
私は下を向きながら
「はい、きれいになりました」(・・・チキショー)
と答えるしかありません。
そうするとお決まりの返事が返ってきます。
「きれいになったら舐められるなあ、そうやろ、きれいやったら舐められるわなぁ、舐めてみい」
私はしかたなく舐めるしかありません。
誰かが逆らったこともありました。
そうすると、先輩はT定規攻撃を仕掛けてくるわけです。
まあ、今で言えばタリバン武装勢力に拘束された捕虜みたいなものでしょうか(大げさでした)
タリバンだったら命は無いでしょう。
今ニュースになっているアルジェリア天然ガスプラント襲撃事件では、爆弾を腰にまかされて政府軍の盾にされたというではありませんか。
冗談ではないと言う感じです。
しかしまだ中学生の子供である私は、半分捕虜のような感じだったかもしれません。
逃げればいいのに・・・
やめればいいのに・・・
しかし、それが出来ないのです。
・途中でやめたくない
・先輩も同じ経験をしてきた
・鍛えるための手段なのだ
そんなところなのかもしれませんが、実際は漠然と把握しきれずにただ本能的に耐えていた感じもありました。
結局自分に対する葛藤なのかもしれません。
(いつか、殺したる)
私もなぜか部活は辞めずに、そんなことを考えてきました。
キャプテンのカズヤ、ジュントク、シンゴ、イッチャン、カズちゃん、マンノリ・・・・
たぶん、他の同期も同じことを考えていたと思います。
こういう毎日を送ると、個人の自由は当然奪われてゆき目の前にある現実に耐える、そして目標の為に鍛えるという思考の繰り返しになって行きますよね。
その中で結果が出なければ、部員はやめて行きその組織は崩壊してゆきます。
だから結果を出さなくてはいけません。
部員の思考には余裕が無くなり、耐えて頑張ることと目標とだけになって行きます。
そんな中で、応用を利かせる思考をつけさせるのはコーチや監督の責任でもあるでしょう。
こんな1年生のクラブ活動が続きました。
練習中は体育館の端に寄り、体を「く」の字に曲げて立ち両手を両膝に乗せて支える恰好で、顔は前を向いて
「ファイトー」
とひたすら大声を出しながら先輩の練習を見るだけ。
私たちの練習は、体育館の周りを回ったり学校の裏の丘に行って坂道をうさぎ跳びしたり、あとはドリブルの練習や二人でパスをしあうチェストパスの練習ばかり。
そんなクラブでも先輩は直接殴ったりはしませんでした。
殴る代わりにバスケットのボールを至近距離から顔にぶつけるのです。
ある意味殴るよりこたえます。
鍛えられましたが暗いくらい一年生の部活生活でした。
なんでこんなクラブなんだろう。
あとで解りましたが、どうも前任の担任が弛んでいると暴力を振るうタイプのスパルタ先生だったみたいです。
それがクラブのスパルタ精神として受け継がれてきたみたいですね。
その先生は、私が3年のころ、隣町の中学校S校のバスケ部を指導していました。
S校の先生は元国体の選手だったそうです。
見ていると事あるごとに生徒を叩いていました。
私が見る限り生徒は委縮してしまって、試合をやっているのではなくてやらされている感じがしました。
(そんなことをしても上手くはならんって)
私はそんな気持ちでS校の試合を見ていました。
そしてS校と試合をすることになりました。
実力は互いにわかりません。
背番号6だった私はパスカットが得意で、相手への当たりも強かったので、S校との試合ではいわゆるインターセプトの連続でした。
右45度。パスをする側の人の心理を読んで、私はその人に背中を向いて守ります。
視線が合っていないので相手は私が守っている目の前の相手にパスが出来ると思ってパスをしてきます。
実はそのタイミングを私は待っているので、突然振り返ってさっとパスをカットしてしまいます。
私の前に居る選手に向けて放たれたパスの70%はカットしていたでしょうか。
すこしパスに工夫をするとパスカットは難しくなりますが、先生の暴力に委縮していたS校の選手は、なんとも単調なパスしかしてきませんでした。
それを見かねた例の先生は
「6番をマークしろー、ロクバンや!」
と大声を出し始めました。
そしてタイムをかけてS校の選手を並べて一通り頭をペンペンと叩いた後に、(申し訳ないことに)いつも私の前で攻めている選手に対してほっぺたに何度も平手打ちをくらわせていました。
その光景を見ていて、(これが私たちのクラブの前任の先生で、T定規も束子もすべてこの先生の名残なのか・・・)と思うと腹が立ってきました。
(生徒がこれだけ委縮しているのを気づかずに選手の頭を叩きまくるS校の先生はアホとちゃうか)
そして試合が再開されました。
当然私へのマークは厳しくなってきました。
私をマークして私に敵が群がってくるという事は、他の選手ががら空きになる訳です。
私は相手をひきつけておいてからパスをするだけで十分でした。
私は試合をしながら、相手の選手を気の毒に思っていました。
S校の選手はみんな下を向いて試合をしていました。
相手の目を見て表情を見て、時には下から相手の目を覗き込んで笑ってやるくらいでないとダメだと思います。
しかし同情はしたくなかった。
だから何度も相手を出し抜きました。当然試合結果は楽勝。
相手の選手がどんどん叩かれるのはかわいそうだったけれど。
わたしなりにその先生に「お見舞い」をしたつもりでした。
気合を入れるということ、叱咤激励をするということは大事なことでしょう。
しかし暴力を振るうことが効果的なのか。
とんでもない、現に相手の選手は叩かれるという恐怖で委縮してしまっていました。
先生は生徒に気合を入れてはいましたが思考を潰してしてしまっていたのです
私はその先生に向かって
どんなに生徒を叩いたって俺達には勝てないよ!
という事を見せつけたかったのです。
その後もS校の先生は生徒を殴り続けたかどうかはわかりません。
最近になって先生の暴力がひどいクラブのニュースが出ていたのでこのことを思い出しました。
生徒が落ち込んで自殺してしまうまで、相手の気持ちや心に注意することなく殴りつづけるというのは、教師としては下の下の教育ですね。
一年に一回や二回、ついつい手が出てしまう事ならあるでしょう。それは仕方がないと思います。
それでもお尻をひっぱたくとか考えないとダメです。
力が無いのは生徒ではなくて先生だったのではないでしょうか。
生徒は結局自分に対して戦っていたのだと思います。
先生はそれを叱咤激励するわけです。いろんな手段で。
ところが暴力の度が過ぎると、生徒は「なんでこんなになぐられなきゃいけないのだ」と思うようになります。
そう思った時に、生徒は自分に対して戦っていたはずなのに本当はどうなのかわからなくなってしまう。
教育の度が過ぎた時、不幸になるのは先生ではなく生徒。
先生はプロとしてその度合いを常に考えていてほしいです。