昨晩今朝のニュースで女性に糞尿をかける事件(読売新聞) が報道されていました。
埼玉県に住む31歳の男性らしいですが・・・こんなクサイ事をして・・・。
私はこんな時に相手の立場ならどんな感じだろうと考えてしまうほうなのですが、考えるとクサイので考えるのが辛いです(笑)
自分の糞尿をコップに入れて持ち歩くだけでも、厭ですね。
以前には道行く女性の胸をムンズとわし掴みにして捕まっているし。一度や二度こんなことがあると、慣れてくるに従って羞恥心やモラルやプライドが下がって来るのでしょうね。
人の死に目を沢山見ると、心が乾いてくるし、殺人犯や窃盗犯が事件を繰り返すのも同じ理由なのかもしれません。
性的なコンプレックスが強いのでしょうか。一種の強い女性不信なのでしょうか。
きれいに化粧をして身なりをおしゃれにして歩いている女性に自分の一番汚いものをかけて、そのリアクションに興奮する。あるいはもっと深いところまで想像して興奮しているのでしょうか。
【20年ほど前の話です】
京都に岡崎動物園がありまして、そこにチンパンジーが居ました。(もう生きていないだろうなぁ)
チンパンジーの房は、半分は屋外で半分は屋内になっていて、観光客は屋内でのチンパンジーの様子も見れるように窓は大きなガラス張りになっていました。
私が動物園に行き、そのチンパンジーさんを見た時、彼は部屋の奥で猫背になっておとなしくしていました。
かわいいな
そう思って立ち止っていた私をチラッと見たチンパンジーは突然手に何かを持って私のほうに向かって走ってきました。
バシッ
ガラスにかかったものは、なんとチンパンジーの糞でした。
彼はまた元に戻ってうずくまります。
そして次の見物客が覗き込むと
バシッ
また走ってきて糞をかけました。
私はもちろん驚きましたが、彼の気持ちになってみようと考えました。
毎日毎日ガラスの向こうで知らない者がやってきては歯を見せて笑ったり手を振ったりバカにしたり・・・
人間のタレントさんなんかもそうなのかもしれません。
「もういやや!うんざりや!」
そう思って生きていたのでしょうか。
かわいそうに思ったのかその時のチンパンジーの顔を今でもよく覚えています。
この事件の男も何かの大きなストレスやコンプレックスがあるのでしょうね。そしてそれに対して戦う事も避ける事もやめて投げやりになってしまう。
人と話したり、本やテレビを見たり、そんな中に世間に対して自分が主観的か客観的かを判断する物差しがあると思います。誰とも会わずに自分だけで生きてゆくと客観的判断が出来なくなって、その内に自分のひねくれ具合が解らなくなる。
この事件はただただあきれた事件ですが、人間の持つ歪みを感じた事件でした。
