岩清水八幡宮。今の大分県の宇佐神宮にある八幡神を、空海の弟子が男山の岩清水の社に移して来た。源氏の氏神となり弓矢、戦の神として信仰されている。
(岩清水八幡宮)
頼光一行は、京都の南西にある岩清水八幡宮まで戻ってきた。
源氏の氏神でもある。宮司が奥から出てきた。
「おお、頼光様。皆様もお揃いで。」
「今日は戦勝祈願に参りました」
「戦勝祈願とは、今度はどちらでございますか」
「ご存知であろうか、大江山の妖怪共を退治せねばなりません。」
「ああ、大江山の鬼でございますね」
「そう、陰陽師殿(安部清明)はご存知ですか、何でも都の北西は鬼門にあたるらしい。清明殿が申されて、帝からの直々のご命令です。酒呑童子という鬼の名はご存知でしょうか。」
「もちろん、毎年大晦日の鬼やらい神事では、見物の方からその名前が飛び交うほどの鬼の名前でございます」
「ほう、そのように名が知れ渡っていたのか」
鬼やらい神事とは、岩清水八幡宮の行事である。もともとは平安時代初期に宮廷の大内裏で行われた儀式で大内裏の庭を行く鬼に公卿や殿上人が弓や太鼓で追い払うものだった。貴族というのは飽きやすいのだろうか、宮廷ではこの行事も寂れてきたが、これが各地の神社に引き継がれて大晦日に豆で退治する行事になる。現在でも旧暦正月でもある2月に「鬼は外、福は内」(地域によって逆の場合もある)と、節分行事として引き継がれている。
「うわさによりますと、酒呑童子は魔術を使い豪腕とも聞いております。くれぐれもご用心を」
「今回は私もそう思っております。それで、熊野と住吉にも参ってまいりました」
「おう、そうでございますか、なにか神のお告げでもございましたかな」
「熊野では八咫烏(やたがらす)というものが山伏になれと、住吉では宮司が不思議な酒をくれた」
「おお、八咫烏。神の使いとして熊野を守る者と聞いております。して不思議な酒とは」
「なんでも鬼妖怪の魔力を削ぐ酒とか。宋(そう)の国の酒と聞きます。」
「魔力を削ぐ。それは心強い酒でございますね。」
「おかげで酒呑童子を倒す道が見えてきたように思います。」
宮司は手をたたいた。すると巫女二人がやってきて、手に持っていた者を宮司の傍に置いた。
「これは、ここに代々引き継がれている兜でございます。この兜は剣ごときでは割れない兜として、昔は八幡太郎様も使われておられたもの。このようなときにこそ必要なものと思い持ってまいりました。どうかお持ちくだされ」
「これは、すばらしい兜。この兜があれば酒呑童子の剣など怖くもなかろう。かたじけない。」
こうして、一条戻り橋にある頼光邸に戻ってきた。
邸に戻り、渡辺綱以下四天王に指示をだした。
「綱(つな)よ、私と四天王は山伏の姿で大江山に向かおう。残りのものは馬借し(うまかし:運搬、室町時代はバシャク)や旅の姿で5人ずつに分けて、篠山方面より迂回してかけつけよ。綾部、福知山の境にある三和(みわ)の大原神社にて伝令を待つよう。その連中は場合によっては大江山ではなく鬼ヶ城を攻めてもらう。よいか」
「篠山でございますか」
「老ノ坂と三戸野峠を避けるのでございますな」
「そうだ、出発は明後日朝。皆の伝えておいてくれ」
(大原神社。国道173沿いある。安産の神様。同時に魔よけの神様が祭られている。江戸時代に再建されてはいるが、藁葺きの屋根で、山中とても神秘的なところだ。ちなみに大原神社の「鬼やらい」は、「鬼は内、福は外」らしい)