千本今出川を下がったところに、寂れた繁華街がある。
「西陣京極」と呼ばれるところだ。
京極と聞けば、四条から三条までの繁華街にある「新京極」を想像されるだろう。
しかし、戦後しばらくまでは、京極といえばこの界隈のことだったらしい。
上には西陣織の小さな工場や染物工場が立ち並び、この界隈は主に問屋さんと、大規模な花街があった。
染物工場は私が小さい頃は、上賀茂神社の近くにあったのを覚えている。
ちなみに上賀茂神社に対して下鴨神社と漢字は異なる。
私が小さい頃、鴨川でよく遊んでいた。「ゴリ」という小さなアンコウのような魚で、腹に吸盤が付いていた魚を取っていた。鴨川は浅瀬が多く、水の中に裸足で入る。
このとき、急に脇の疎水から真っ赤な水が流れてきて、小さくて意味が解らなかった私たちは、真っ赤な水を見て、この世の終わりが来たかと騒いでいた。
だから京都は、昔、上(北)のほうと鴨川沿いに染物工場、そしてその南や西に織物工場、そして京都の真ん中に問屋さんと繁華街や花街、色町があったのだと思う。
西陣京極は花街、五番町は色町。
このなかに、映画館が20件もあったらしい。
しかし、今の門とその中は寂しい限りだ。
ここに千中ミュージックというストリップ劇場があった。
しかし、20年前に火事で無くなった。
このストリップ劇場の話は、過去の記事を見てください。
西陣京極にある、全て木造の「京極湯」
華やかな頃の記憶をそっと暖め続けているのかもしれない。



