退院して4ヶ月がたった。
周りの景色もようやく秋色に染まりかけてきた。
しかし、私の体は相変わらず思うように動かなかった。
内臓をやられると、回復には時間がかかる。
大阪駅に近い、淀屋橋の客先を終えた。
秋らしい夕暮れの中で、御堂筋を南に向かってトボトボ歩いた。
希望や目標、楽しみがないときは、仕事を終えた直後がつらい。
疲れが体を襲ってくる。
通りは仕事を終えたサラリーマンがビルからあふれ出てきていた。
自分だけが、他の人間と違う透明なカプセルの中にいた。
音は・・・聞こえているが、あるような・・・ないような・・・。
ネクタイを緩めて楽しそうに話しながら歩いてくる人。
アベックで歩く二人。女性の目が楽しそう。
スーツを着て、光物のアクセントを見事に着こなした女性が通り過ぎる。
女性ばかりで楽しそうに歩いていく集団。
車道では、忙しそうに走り行く車。
誰を見ても、何をみても、
みんな、活き活きと生きているように見えた。
(人間なんて、アリだな・・、地球から観れば肌を蝕む害虫だな)
(その害虫の中の、どうしようもない一粒か・・・)
従業員すら守れなかった。
好きな人すら守れなかった。
自分すら守れなかった。
残ってるのは、借金だけ。
「いつも綺麗な取引、ありがとうございますぅ・・」
・・・・・・うまく言うものだ。
褒められてるのか、馬鹿にされているのか・・・。
サラ金の金額はみるみる300万を超えていた。
保障協会とクレジットを合わすと800万。
事業での800万は大したことはない。
個人での800万はおそらく、一番どうしようもない額。
借金というのは、少なければ返せる。
多き過ぎるとチャラになる。
これくらいの金額はとことん追いかけられる。
自分では頑張ったほうだ。
頑張って仕事をした結果、借金が残った。
実業者の器ではないことは解った。
月々の返済が20万を超えていた。
この状態でサラリーマンには戻れなかった。
頭の中は・・・
(どうやって返そうか・・・・)
毎日毎日・・・思考の中心はこのことから始まった。
おそらくここで、人間の心を失った。
週中は仕事をした。
個人で仕事をしているので、
足元を見られ、舐められた。
しかし、働いた金額を妥協することはなかった。
このことだけは、借金が逆に支えになった。
週末が厳しかった。
一挙に返したかった。
日曜になると、昔のプロ野球の南海の本拠地、難波球場跡に向かった。
410円の白い新聞を握り締めて・・・。