主は死にたいと思う人間も死にたくないと思う人間も両方いて、それを固定も否定もしません。でも「死」を選ぶ人の多くはもうこれ以上逃げられないし誰にも頼れる人がいないから死を選ぶわけだと思うんです。でも主は幸いなことに頼れる人もいたし、周りがものすごく助けてくれから死なずに生きてこれてます。
まず最初の難問は小学校、中学校とつづいた壮絶ないじめですね。こればかりは子供ながら辛かったですね。今はいじめについて多少の理解があることが多いです。昔は昭和の考えを持つ人も多かったりするので「いじめなんて怠けだ。お前が悪い」とか「学校に行かないと周りに恥ずかしい」、それといじめはなかなか見抜けません。だからじわじわ人を追い込むものです。
何度も主は言っていますが守るとか撲滅とか見つけるは当人が勇気を持って言わない限り無理。至る所に防犯カメラがあって、SNSの監視があって、それで制御できるならまだ良い方です。でも結局先生もグルになるでしょ。意味ないのよね。
ただ主の場合、周りに何人かいて、さらに大人にも話はできた。それに自分の好きなことがあったり、運がよく、親が60万円月収があって、私立高校にいけるお金の余力があったことかな。せだから3年間必死に我慢したし、自分でも反撃はした。反撃できない人もいると思うし、背負い込む人もいると思う。間違った親はそれを否定するし、肯定もしないわけ。仕事優先で子供の変化を見ないと。それで失った時初めて気づくわけ。
だから自分の息子には常に「友達と遊べ」「強く生きろ」「痛みを知れ」とか「万一の時には引っ越すし、日本に連れてく」とか自分も仕事の中で仲間を見つけては子供に紹介して、なるべく子供の周りを固めていくことに注力しています。ただやっぱり仲間はずれはあるけど、自分がその痛みをよく知ってるからそういうときは仕事を放り出して子供を見たり、どこか連れて行ったり、1人でも楽しめるようなことを教えます。でも、やっぱり私の口癖は「友達と遊べ」。そうしないと周りのことはわからないし、変な行動をするなとも言っています。行動1つでもいじめられることは多いわけです。
主の第二の関門は社会人生活、やっぱり馴染めないんですよね。それで完璧主義になってミスばかりして結局責められると。主は案外運が良い。
でもこれは忘れてはいけない。
一度でも人生を諦めたらそこからは落ちるだけです。
なので筆者は死ねとか、クソ野郎とは思うけど
頑張る気持ちや絶対解決できるという気持ちは常に持っています。そうすると自然と周りが助けてくれて何回も解決するけどやっぱり同じことの繰り返しです。それが8年。
ただ今年はものすごかったなー。
取引先に遊ばれてキャンセルされて心が折れるぐらい詰められて警察も来て、それでも負けじと頑張って、社長を味方につけては助けてもらって、それでも詰められても負けず、他で頑張って、さらに助けてもらってとそんなこんな・・・。
そんな折、そんな質問をマジでいただいた。
死にたいと思わないのか。
正直思うことは多々あるけど、死ぬぐらいなら人生を変えます。
それは次の話題です。
乞うご期待