1950年の今日6/17 | Toshitadaのブログ

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1950年の今日6/17
山路 芳久 生誕

音源
↓★人知れぬ涙
https://youtu.be/GT_ucXhsyJo?si=m44nlzfZHm-q3OOR

本日は他に
シャルル・グノーの誕生日(1818)[仏]
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イーゴリ・ストラヴィンスキーの誕生日(1882)[露→米]
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大沼哲の誕生日(1889)[日]
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1532272920218052&id=100003060756147

ハーバート・オーエン・リードの誕生日(1910)[米]
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4900154433429867&id=100003060756147

ドン・ギリスの誕生日(1912)[米]
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エイナル・エングルンドの誕生日(1916)[瑞典→芬→瑞典]
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ガリーナ・ウストヴォーリスカヤの誕生日(1919)[露]
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ジェリー・フィールディングの誕生日(1922)[米]
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ロムアルト・トヴァルドフスキの誕生日(1930)[波]
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マルコ・アンブロジーニの誕生日(1964)[伊→独]
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オラツィオ・ベネヴォリの命日(1672)[伊]
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マルク・アントワーヌ・ド・ダンピエールの命日(1756)[仏]
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ピーター・メニンの命日(1983)[米]
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4812553422189969&id=100003060756147

山路芳久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山路 芳久
生誕
1950年6月27日
出身地
日本 三重県津市
死没
1988年12月19日(38歳没)
日本
学歴
東京芸術大学
サンタ・チェチーリア国立アカデミア
ジャンル
クラシック音楽
職業
声楽家(テノール)
オペラ歌手
音楽教育者

山路 芳久(やまじ よしひさ、1950年(昭和25年)6月17日 - 1988年(昭和63年)12月19日)は、1970年代から1980年代にかけてヨーロッパの歌劇場で活躍した日本のテノール歌手、音楽教育者。

生涯[編集]
三重県津市に、警察官の四男(末子)として生まれる。中学生の頃より声楽を学び始め、三重県立津高等学校を経て1969年(昭和49年)東京芸術大学音楽学部に入学した。伊藤亘行、疋田生次郎に師事[1]。
1976年(昭和51年)同大学院を修了した後は二期会に所属した。翌1977年(昭和52年)にイタリア政府給費留学生[1]としてローマ サンタ・チェチーリア国立アカデミアに進学。1978年(昭和53年)ミラノ・スカラ座研究所に入る[1]。マニヨーニ、ファヴァレット、ブラスキに師事[2]。イタリア各地の声楽コンクールでも優秀な成績を収めた。さらにスカラ座のオーディションに日本人男性として初めて合格し[1]、1979年(昭和54年)にロッシーニ『モーゼ』での端役ながらスカラ座にデビュー[1]している。
同年にはウィーン国立歌劇場の専属歌手[3][4]となり、ヴェルディ『椿姫』アルフレードやドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノを歌った。世界の著名歌劇場で日本人テノール歌手が専属として主役を歌うのはこの山路が最初であり、日本声楽界にとっての快挙であった。
その後も山路は、上記レパートリーの他、ロッシーニ『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵などリリコ・レッジェーロの諸役を中心にウィーンで活躍。1982年(昭和57年)からはミュンヘン国立歌劇場と専属契約[3]し、ヴォルフガング・ザヴァリッシュやカルロス・クライバーらの指揮のもと[5]に世界的な歌手として活躍し、将来を嘱望されていた。
日本にもたびたび帰国し、所属の二期会の公演やリサイタルなどでその美声を聞かせた。1986年(昭和61年)からは二期会を退団、フリーとして藤原歌劇団の公演にも参加した。特に例年、年末12月から1月にかけては日本に戻り、12月はベートーヴェンの『第九』を各都市で歌い、1月に『NHKニューイヤーオペラコンサート』に出演の後ヨーロッパに戻るのを恒例としていた。
元東京芸術大学音楽部声楽科講師[5]。門下生に吉田浩之[6]、榛葉昌寛などがいる。
1988年(昭和63年)は11月12日に津高校同窓会主催で鈴鹿市文化会館の「山路芳久テナーコンサート」に出演。12月 - 1989年1月は例年通りのシーズンとなるはずであった。胸に若干の痛みを訴えていたともいう山路は、12月に組まれた全17回の『第九』の過密スケジュールをこなしていたが、10回目の公演を終えた12月19日、午前中のリハーサルから自宅に戻ったのち、医者に行って診察を受け、薬をもらい、「ちょっと晩御飯ができるまで横になってくる」と二階に上がったのが、その最後の言葉だったという[7]。死因は心筋梗塞であった。38歳没。その唐突な死は日本声楽界にとって衝撃となった。
2004年(平成16年)2月29日午後9時NHK教育テレビの『思い出の名演奏』で山路の歌うドニゼッティ『愛の妙薬』のハイライトが放映されている[8]。
2013年(平成17年)5月にも津リージョンプラザお城ホールにて「山路芳久メモリアルコンサート」が開催された[9]。

受賞歴[編集]
1976年 第7回イタリア声楽コンコルソ・テノール特賞[2]
1976年 第12回日伊声楽コンコルソ第1位[10]
1976年 第45回日本音楽コンクール声楽の部第3位[11]
1976年度 海外派遣コンクール特賞[2]
1978年 レッジョ・エミリア国際音楽コンクール第1位[3]
1978年 ベミアミーノ・ジーリ国際コンクール第2位[1]
1978年 エンナ国際音楽コンクール第1位[3]
1978年 マリオ・デル・モナコ国際音楽コンクール第1位[3]
1978年 ヴィオッティ国際音楽コンクール第1位[3]
1979年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位[1]
1984年 ヴェルディ国際声楽コンクール第2位[2]
1985年度 第13回ジロー・オペラ賞大賞[12]

日本でのオペラ演奏歴[編集]
昭和音楽大学オペラ情報センターの記録[13]による。
1982年1 - 2月 二期会・モーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッターヴィオ
1985年8月 欧州音楽年日本実行委員会・マスカーニ『イリス』(日本初演)オオサカ
1986年6月 二期会・ドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノ
1986年11月 藤原歌劇団・プッチーニ『妖精ヴィッリ』(日本初演)ロベルト
1987年6月 民主音楽協会・ロッシーニ『シンデレラ』ドン・ラミロ
1987年10月 二期会・ロッシーニ『セビリアの理髪師』アルマヴィーヴァ伯爵
1988年2月 藤原歌劇団・ヴェルディ『椿姫』アルフレード

放送[編集]
※注記のないものはNHKクロニクルによる[14]。
1976年11月3日 NHK-TV 第45回日本音楽コンクール演奏部門受賞者演奏会
1980年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
1981年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート チレア『アルルの女』第2幕から「ありふれた話(フェデリコの嘆き)」
1982年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
1982年8月15日 NHK-TV 芸術劇場 ハイドン『天地創造』指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ NHK交響楽団
1983年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』から歌手のアリア「きびしさに胸をよそおい」
1984年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」[15]
1984年1月3日 NHK-TV ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』1981ウィーン国立歌劇場で録画(オーストリア放送協会制作)指揮:ネルロ・サンティ 演出:オットー・シェンク ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団 タイトル・ロール:プラシド・ドミンゴ 修道院長(修道僧):山路芳久
1985年12月15日 NHK-TV 芸術劇場 マスカーニ『イリス』1985年8月 欧州音楽年日本実行委員会 日生劇場 指揮:井上道義 演出:粟國安彦 新日本フィルハーモニー交響楽団 タイトル・ロール:松本美和子 オオサカ:山路芳久
1986年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート(曲目不明)
1986年8月31日 NHK-TV 芸術劇場 ドニゼッティ『愛の妙薬』1986年6月 二期会 新宿文化センター 指揮:佐藤功太郎 演出:ヤコボ・カウフマン[13] 東京フィルハーモニー交響楽団 アディーナ:番場ちひろ ネモリーノ:山路芳久
1986年12月21日 NHK-TV 芸術劇場 プッチーニ『妖精ヴィッリ』1986年11月 藤原歌劇団 新宿文化センター 指揮:星出豊 演出:粟國安彦[13] 新星日本交響楽団 アンナ:東敦子 ロベルト:山路芳久
1987年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート ヴェルディ『リゴレット』より「風の中の羽根のように」[15]
1988年1月3日 NHK-TV NHKニューイヤーオペラコンサート(曲目不明)
1988年3月6日 NHK-TV 芸術劇場 リスト『ファウスト交響曲』NHKホール 指揮:ベリスラフ・クロブチャール NHK交響楽団 独唱:山路芳久 早稲田大学グリークラブ
1988年5月15日 NHK-TV メラニー・ホリディ・イン・トウキョウ 指揮:湯浅卓雄 東京フィルハーモニー交響楽団 メラニー・ホリディ 山路芳久
1988年9月15日 NHK-TV N響演奏会 リスト『ファウスト交響曲』(再放送)
1997年4月21日 NHK-FM クラシックサロン(曲目不明)
1997年4月22日 NHK-FM クラシックサロン(再放送)
2000年8月13日 NHK-TV 20世紀の名演奏 第八夜・ニッポンの巨匠たち-拓かれた世界への道(曲目不明)
2001年1月1日 NHK-TV 20世紀の名演奏 第八夜・ニッポンの巨匠たち-拓かれた世界への道(再放送)
2001年7月6日 NHK-FM おしゃべりクラシック(曲目不明)
2001年9月23日 NHK-TV N響アワー(収録日不明)新宿文化センター 指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ NHK交響楽団 ドニゼッティ『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」
2004年2月29日 NHK-TV 思い出の名演奏 -テノール歌手山路芳久の「人知れぬ涙」
2011年5月22日 NHK-TV N響アワー -生誕200年 フランツ・リストの魔術- リスト『ファウスト交響曲』(1988年の再放送)
2013年6月7日 NHK-FM DJクラシック 錦織健 の『しゃべくりオペラハウス』ー『愛の妙薬』
ディスコグラフィー[編集]
CD『君を求めて-1977年デビューリサイタル・ライヴ』(1977年3月30日録音、音楽之友社)[3]
CD『アヴェ・マリア/人知れぬ涙』(1985年1月録音、音楽之友社)[3]
DVD・ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』(ウィーン国立歌劇場、修道僧役、1981年4月30日収録、2017年9月6日発売、ドイツ・グラモフォン)[16]

伝記[編集]
日本人歌手ここに在り! -海外に雄飛した歌い手の先人たち 江本弘志著 2005/3/1 文芸社 ISBN 978-4835589220[17]