そろそろこんばんは!!
日光白根山に登り瀕死状態田中です。
眠るにも極度の疲れで目が冴えてしまって眠れないので、ブログを書いています。
日光白根山は日光といいつつ群馬県にあり栃木県ではないのであんまり立地が良くありません。
皆さんもそこだけは気をつけてください。
(今回は前回書いた通り書くつもりがなかったのですが、暇なのでつい書いてしまいました)
今回は奥多摩シリーズ第3段、奥多摩ロープウェイの三頭山口です。
廃墟に興味がある人なら誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
1963年から67年までしか使われず、そこから放置されているロープウェイのことを!
さて、百聞は一見に如かずです。(ちょっと違うような)本編へGOです
鴨沢小中学校から東京に戻った。
深山橋を越えた駐車場の向かいに何やら階段が…
木々の中に独り取り残されたような廃墟が!
くすみ具合が年季を物語っている
それに落書きの多さは人気の証、期待が膨らむ
(実際にはこの写真の位置では登りきっているが)階段がなくなってもそのまま進むと凄まじい急斜面となっていて危険なので、一旦建物の方に迂回した方が良い
こりゃすごい!
卍とかドラえもんとかくだらない下ネタとかそういうのでいいのに、落書きの禍々しさと来たら一線を超えている。
壁は骨組みだけとなり、下に侵略的外来生物のレッドワカメ?も生えている。
ここでちょっとした事件があった
入ってすぐにざざっと土が落ちる音がした。
続いてすぐに草が擦れる音がした。
!?誰かいる?
すかさず音の方に行くとゴンドラの乗り場の奥にある斜面からだった。
近づくと今度は目の前で落ちる土くれに緊張感が走る
この上には遺構が残っていたはずと思い出し、見上げたが誰も見えなかった(斜面が急で危険なので行きませんでした)
誰かいるのか、それとも幽霊的なサムシングなのか?黙り込んだ私
突然友達が「誰かいるんですか?」と問いかけるが返事がない。
(私と同じチビなのに)友達の勇気に私は唖然とした
よく見るとどうやら遺構の一部が定期的に崩れて、それが草を擦って落ちる音らしい。
人はよく確認したがいなかったし、遺構自体が小さく隠れられそうな場所もなかった。
それがわかると構わずに探索を続けた。
重ねられた落書きは古い廃墟のあるあるだ
色々ツッコミどころのある写真
1足許とは「あしもと」のこと
2奥の心理テストのように荒ぶる落書きというか線
3下の黒いモヤは友達です
4上の落書きはどうやって書いた?まさか登ったのか?
写真を見返すまでわからなかった
変わり果てたゴンドラ。
何者かに塗り直されたのは最近らしいが残念でならない
もちろん何かにも入ったが少し揺れて怖かったので写真は撮ってない
いつかブチンと切れそうだ
駅名はプレゼント会場となっており、ギャグが寒い
現役でも見たくないロープウェイの歯車
暗い上に威圧感がすごい
壊されたヒューズ。
スイッチは破壊されているが通電はしているみたい
ゴンドラを動かす歯車の部屋
暗すぎて上手く撮れなかった
足元見えない暗さにビビる私を差し置き友達はスタスタと上まで行った。
いつ壊れてもおかしくない錆びた梯子など雰囲気は抜群だ
目視ではアンパンマンだったが実際はピカチュウだったが、丸が重なるとアンパンマンに見えるのは○ッキーと同じか
イギリスからの刺客
廃墟の句:またなのか・トイレはいつも・壊される
夏井先生「まず季語が入ってませんねえ…」
あまり有名じゃないが屋上がある。
入り口の側に階段があり、登るとたどり着く。
どこからか降ってきた土によって完全にジャングルと化していた。
どこにも通じていないはずだがよく見るとわずかに道がある。
奥多摩ロープウェイ、正式名称川野ロープウェイは小河内観光開発株式会社の運営していたロープウェイである。
(小河内貯水池=奥多摩湖のことである。小河内村はダムの建設で沈んだ集落として有名である)
1962年から1966年まで運行後、冬季休業という名目で休止したまま1975年に正式に休止した。
2007年までは休止状態の索道として鉄道要覧に載っていたが、現在は削除されている。
わずか4年しか運営しなかったことには理由があり、湖上を横断するおそらく橋?(後述)ができて、利用価値が急落した(とされる)
平坦で景色に乏しく600mしかなかったためそれ自体観光で利用されることはなかった。
もう一つの駅、集落に近い川野駅は続く道が閉鎖されており侵入を止められたという先駆者もいる。
管理しやすかったからか川野口の方が保存状態が良かっただけに残念だ。
考察
実は存在を脅かしたとされる橋が何を指しているかは不明である。付近の橋は二つあるが深山橋は1957年に竣工で、三頭橋は1968年着工であり時期がズレる。(小河内地区(奥多摩湖周辺)にかかる5つの橋は麦山橋は1957年に、他はそれ以前に名前などの差異はあれど既に架かっている)私の推測では橋は関係ない。乗客は東京統計年鑑には開始した62年の記録はないものの、他の年は特別減少していないうえ、最後の年は増えている。つまり最初から赤字でそのまま消滅したということだ。背景としては三頭山の周りの山の人気にある。そもそもこのロープウェイは三頭山と遊覧船用のロープウェイである。ちなみに統計では一貫して「三頭山登り口駅」となっていて、「三頭山口」は略称である。単純に当時から高尾山や御岳山にもロープウェイがあり、知名度や立地的にもそっちの方が良かったのだろう。ロープウェイの乗客も1963年で高尾86000、御岳51000、三頭山が一桁減って6000人と段違いである。ちなみに突っ込まれがちだが、値段は現在の価格で1500円で高尾山や御岳山は500円前後なのでそれらと比べると高い。しかし日光白根山や那須岳ロープウェイなど冬は経営していない系の高い山と比べると安い。(橋のせいで売り上げが減ったのはwikiの情報なのだが、そもそも橋の名前を挙げていないのがおかしいのだ。もしかしたら記憶違いの現地住民に聴いた漠然とした情報かもしれない)
おまけ
ついに2人までしか乗れなくなった橋。
どこまで続いてるのかわからなかったので行ってみることに(最近植えられたと書いてある植林がたくさんありました)
見えない川底に怯えて大股で歩く私を後ろでこっそり撮る友達。
謎の彼氏ムーブに流石に注意した
土台のみ残った小屋。
意外と土台は簡単な造りをしているのだと驚く
板が禿げてしまっており、崩落の可能性がある
これを見つけたときは私はロマンを込めてこれは橋だと主張したが、今見ると木の生え方などから友達の言う通り家っぽい。
評価
4.5/5これぞ廃墟と言える王道の一品。荒らさら過ぎ、崩壊し過ぎているのはご愛嬌、はーと
行き方
奥多摩駅からバスで深山橋下車
深山橋を渡り、駐車場の向かいの狭い階段を登る
もう一度書くが階段が途中で途切れているが、無理にそのまま進むと急斜面過ぎて危険である。建物側に迂回すべし
23/10/17 一部加筆修正