グローブ | 伊藤修二 「黄昏シンドバッド」

伊藤修二 「黄昏シンドバッド」

 ・・・仙台市在住。東北大学経済学部卒業 放送作家(日本脚本家連盟会員)  詩集「ひとり荒野」 小説集「明日。」 「セクシードラゴンの夏」などを出版。アマゾンの「伊藤修二」から購入できます。寄せられたコメントは公開していません。フォロワーも求めていません。

   グローブ  


   あの時

  君がまだ小学五年生で 

  行商を営む母親と二人暮らしだった時

  あまりにも貧しくて

  二人で農家の粗末な物置に住んでいた時

 

  友だちと群れることもなく

  母親と二人で

  大量の豆腐と油揚げを背負いながら

  十キロあまりの山道を歩いて

  行商に廻っていた時

  あの時も

  君の投げるボールは速かった

 

  君が時々

  ボクの家にご飯を食べに来た時

  君の母親が顔を輝かせながら

  君が百三十キロのボールを投げて

  隣町の野球チームに誘われたのと

  言った時

 

  でも

  グローブもないし

  ユニフォームも買ってやれないと

  君の母親の表情が一瞬、曇った時

 

  ボクの母親が

  そんなの何とでもなるわよと言って

  ボクのグローブを君にあげ

  選挙が近かった町議会議員から

  ユニフォーム代をせしめ取った時

  ボクたち四人は大きく笑ったよね


  大人のチームも

  君のボールは打てなくなり

  将来はプロ野球選手になれると

  地元の小さな新聞に書かれた時

 

  働き過ぎで

  君の母親が倒れ

  君がその日を境に野球をやめた時

 

  その半年後

  君たち二人が突然、町から姿を消し

  ボクの家の玄関に

  君にあげたグローブが

  風呂敷に包まれて

  そっと置かれていた時

  ボクは涙が止まらなかった

 

  あの時からしばらくして

  君は

  日本のプロ野球を代表する

  ピッチャーになり

  今、ボクの目の前で投げている時

  ボクは

  古いグローブを入れたリュックを

  膝で抱えながら

  また涙が止まらなかった

 

  あの時・・・

  お金より大切なモノがあった

  「あの時」は

  あなたにもあるよね

 

 詩集「ひとり荒野」より。Amazonで購入できます。