実は本物の映像も残ってます
それを
何度か言ったことがあるんですけど
オイラは高校の頃からディランは
聴いてましたが、マジでよく分かんなかった、
歌詞は分かるはずもないし、曲も何かパッと
しないなーと思ってました、
何か感情を置いてきてるよーな曲ばかりだな
と思ってんです、
弟は1発でディランにノックアウト、
「兄貴にもいつか分かるよ」と言われる始末、
「ディランを聴け!」を書いた中山康樹さん、
2000年発刊なのでそこまでのディランの
全曲の解説、1作1ページ⭐️数で評価も
つけてました5個の⭐️で満点、
ただ半分の星もあってよーするに10点満点
の評価ですね、そこまでで全513曲、
海賊盤はマイルスみたいにはなかったですが
未発表やら別バージョンの3枚組とかも
オリジナルとは別の評価で解説されてました、
その中山さんにはまだディランの本がありまして
それどっかいっちゃったんですけど、
ディランは何も考えてないが褒め文句
の方でしたが、
弟と同じことを書いてました、
直ぐにはとっつきにくいかもしれないけど、
いつかストンと何もかもわかる日がきますよ、
と、そしてオイラにもストンが落ちてきたんです、
一瞬で持ってたアルバム全曲に取り憑かれたんです
その意味はうまく説明できないのが歯がゆい
んですが、確かに何も考えてないかもしれない、
売れよーなんて少しはあったでしょーけど
それよりも湧き出る思いと言葉と曲を
とにかく吐き出したかったと思います、
それが雷が落ちてきたごとくオイラにも
感じ取れました、歌詞は和訳読んでも
ほぼわかんないし、あまり読んでません、
ただ文学であることは間違いありません、
もちろんメッセージ性もありますが
思いのまま自分が何者であるのかさえ
分かってなかったと思います、
オイラなりの解釈ですけどたぶん違う
でしょうけど、それが「名もなき者」
フォークからロックへ
は計算があったかもしれません、
元々はエルヴィス大好きなロックンロール
大好きな少年であり、たまたまフォークが
当時の流行りでしたのでそこにまず乗っかって、
尖り具合が頂点🔥に達した頃合いで
アコースティックをエレキに持ち替えたのかも
しれません、
オイラの話に戻すと40超えてからぐらいですよ、
一瞬でディランが分かったと思った瞬間は、
それからその頃はカセットデッキが
壊れてててかカセットテープの時代は
終わってたのかな、
今はなきMDラジカセをディランだけのために
買ってきて80分ぐらいのMDソフトを6枚、
ディランはその頃はほぼ全部揃えてましたから、
曲目を選び時間をきちっと計算して
そしてランダムにでも順番もちゃんと考えて
倍速で録音できましたから、
80分の6枚組が完成ですよ、
コンビニやってた頃はそのビルの上に住んでたんで
昼休みも録音に没頭しました、
そして3ヶ月はほぼディランしか聴けない
状態になりました、ディランしか耳が
受け付けないんですよ、
そしてその前にですね15下の彼女から
振られてて、やはりディランしか慰めては
くれませんでしたね、
このヤローの尖りと何か振られたぐらいで
落ち込むなよ、まだやることあるだろーと
悟らせてくれたよーな気がします、
ロッキングオンという有名な音楽誌が
ありますが4月号がこの映画の特集みたいで
Googleの記事に端的にいろんな読者の
感想が書かれていて、もうこれ以上ない
絶賛ばかりです
その雑誌⤵︎
そしてその頃のディランの写真⤵︎
映画のポスターはこの前も貼りましたけど⤵︎
上のジョーン・バエズとのデュエット
で歌われていた「悲しきベイブ」を含む
64年の段々とロックに近づいてきた
傑作
「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」
ジャケット⤵︎
❶ トゥ・ラモーナ
❷ マイ・バック・ペイジズ
❸ アイ・ドント・ビリーブ・ユー
❹ 悲しきベイブ
原点に帰る、シリーズの一環ですけど
もうこーなったら次もディランです
とにかくあのジョン・レノンが魅了された
のはポール・マッカートニー、オノ・ヨーコ、
そしてボブ・ディランだと何かに書いてました、
もちろんジョン・レノンに魅了されたアーチスト
オイラみたいなファンは無限大でしょうが、
それとその記事によると2009年にディランは
ジョンの子供時代の古い家を訪れたそーです、
何か感慨深いです、
では曲を
そして「悲しきベイブ」
まあ、名曲です❣️





