こんにちは
オイラの頭の中に浮かんだ
リトル・フィートちと長くなりそーなんで、
❷までいくかなーと、雑談も含めてね、
まずはオイラの熱意が伝わった喜びから、
熱心に日本人にもヴァン・モリソンは
受けるはず、とずっと本気で申し上げて
来たんですが、
ブロ友の音楽仲間のjbbbさんが
オイラの名前を出してくれて、
、音楽仲間と言って頂いことが
もう嬉しいです、
で、
記事を投稿してくれたんです、
jbbbさんは東京で音楽カフェを開いてる
ぐらいの音楽通です、
その方にも熱意が通じたと嬉しいです😊
もちろん、ヴァン・モリソンの事も
オイラより詳しいと思います、
jbbbさんいつもお優しくて
優れた音楽通ですね、
でもオイラと同じ音楽の時間は止まってる
みたいです、
ご本人へ余計なことをすみません、
その紹介いただいたアルバムの
タイトル曲「ヒーリング・ゲーム」97年、
この曲を聴くといつもなんか泣きそーになります、
まずそれからいきます、
まだまだヴァン・モリソンの
魅力、ずっと熱意を持って
伝えるつもりですいいんです、
日本では無名、イギリスでは
音楽で勲章🎖️
まだまだオイラ自身研究して1人でも多く興味を持たれればと
ヴァン・モリソン書き続けますよ
ー!
いやそのヘンテコな音楽やってる
わけではない、逆にオーソドックス、俺には彼に熱意をもって
今からも書き続けます、
いや、他の方にも熱意はあるんですが、
ヴァンはその中でも1級なんです、
これは俺の意見でなく、
事実のことですから、
話は恐ろしいほど変わりますが、
この前ですよ、ジョニ・ミッチェルの
話しをしましたよね、
これはその辺の怖い話とかでなく
オイラが尊敬する中山康樹さん
この文庫本で真面目に音楽を語る上で余談ですがが、ゾッとはします、
語ったこと、これはジョニが証言したんで
しょーね、
この前取り上げた「コート・アンド・スパーク」
74年作ですけど
その後、ジョニの邸宅の近くにテントを張り
住み着いた男がいる、
ジョニは危害を加える様子もないので
ほっといて2年が過ぎ3年、4年、
やがて5年が過ぎ、
80年12月8日、ジョンが殺害された
その直後、その男とテントは跡形もなく
消えたそーです、
オイラには何とも分かりませんが
ジョニの証言がホントだったとしたら、
なんでしょーね?よくわかりません、
でも中山康樹さんの取材ですから
嘘っぽさはないです、
あのーリトル・フィートなんですけど
語りたいことは山ほどあります、
元々のフランク・ザッパのとこにいた
ローウェル・ジョージかリーダーで
結成されたバンド、
とにかくアメリカを訪れた
その当時の日本のはっぴいえんどが
演奏風景見て驚いたと言います、
それは次回に、
ただこれはちょっと細野晴臣さんと
ギターの鈴木茂さんがスタジオ見学
いって、ギターの鈴木さんが、
目の前でロウエル・ジョージが弾く
スライドギターを目の当たりにして
ビックリしたと!つか腰が抜けるよーな
感覚でしたと、
リトル・フィートの傑作は
ほぼ全部ですけどこれは超傑作、
ニューオリンズに近づいたサウンド、
パーカッションが効いてもはや
ニューオリンズと洗練された南部音楽、
ロウエル・ジョージ、
若くして亡くなりましたが
覚えて欲しいです
73年の「ディキシー・チキン」
から1番有名な彼らの曲
とんでもなくニューオリンズサウンドに
近づきました、
ホント素晴らしいスライド弾くし
ボーカルもソングライターとしての
この当時のローウェル・ジョージ
目の前で見た鈴木茂さんあの体格からも
かなりの衝撃受けたと思います、
鈴木さん、このアルバムそっくりの
アルバムだしてますから、
「ディキシー・チキン」
シンコペーション、そのなんと言うか
普通のリズムでは通さなくて裏をいったり、
つっかかりもっかかりのナイスサウンド、
パーカッションを入れたのがサウンドを
変えていきます、
リトルフィートはこんなもんじゃオイラは
語れません、なぜオイラがハマったのか、
今ではねーベスト10には入るほど好きです、
アルバムジャケットも含めて
はっぴいえんど、だけはないものすごい
影響を受けたバンドがいます
サザン・オースターズです、
「いとしのフィート」
テキトーにいとしのえりーにかけたんやろけど
初めからはとるフィートやんとは
ジャケットですね、
でもこの似た具合大好きです、
では本家からサザンへ
そしてねこれ言い忘れちゃいけません、
シンコーペーションきいたはじりから
もうリトルフィート、特にやはり
ローウェル・ジョージ、
サザンの
「いとしのフィート」
今からリトル・フィートつか
もちろんこんだけではすみません、
推しまくるよー!
熱意を持って、
つか❷をお待ちください、

