おはようございます
中山美穂さんショックが
まだ多くいらっしゃるとは思います、
どうぞ安らかに、
今日は年に一度の(当たり前です)
ジョン・レノンの命日です
あるブロ友さんの記事で日本時間では
12/9とお聞きしまして、
教えて頂きありがとうございます、
ただやはりジョンはの命日は
12/8だと、9日と分かってるとはいえ、
8日だという方が多いんではないでしょうか、
オイラがビートルズを好きになったのは
中2の冬でした、
理由はバカらしいものです、
そもそもがオイラ兄弟は音楽好きで
ラジオをよく聴いてました、
ただ邦楽中心でしたねー、
そんなある日、
ベイシティローラズってのが
大人気、ブームだということで
オイラんとこは町に一つの小さな中学、
全学年でも300人に満たないとこ、
そんな田舎でもベイシティローラズの
波はやってきて、田舎だけにみんなそれに
乗っかって、いつもその話題です、
特に女の子が誰が好きとか、
オイラ兄弟は弟はまだ小6でしたが、
天邪鬼で、ビートルズ2世とか騒ぎ立ててるし、
その時にピンと来たのがベイシティの嘘っぽさ、
は見抜いてました、エラソーにごめんなさーい、
ビートルズもポールしか知らない、
イエスタデイしかろくに知らないのに、
ビートルズは本物だと何か意識がありまして、
なら、ビートルズを聴いてみようと
まず手に入れたのがアルバム「レット・
イット・ビー」ジャケ買いでした、
まずジャケットの左上の
丸メガネのロン毛のカッコいい人は
誰だ!
それからアルバム聴きまして、
もういいに決まってると決めてましたから、
これこそ本物だと思いましたね、
思い込みでもなく演奏とか雰囲気とか
サウンドの良さ歌のうまさとかそして曲の良さ、
そっから一気ですよ、
友達がこぞってビートルズを聴きに
うちによくくるよーになりましたが、
まーいいと思った友達はいなかったみたい、
で、しばらくして
ヘイ・ジュードを聴いた時の感激は
忘れもしないです、情景も目に浮かびます、
間違いなく聴いたことあったし、
これがビートルズの曲だったとは
の感激、曲の素晴らしさ、もうたまんなかった
です、
と、ここまではビートルズの話、
とにかくね丸メガネのジョンを見た時から
イチコロでした、その頃はパソコン、スマホ
なんてなし情報があまりに少なくて、
LPのライナーノーツを読んだり、
中学生でも分かるビートルズの本を買ったり、
していくうちにジョン・レノンって
凄いんだと、ポールよりも凄い人なんて
いたんだと、まあそれは好き好きですけど、
しかもビートルズを結成したのは
ジョン・レノンで圧倒的リーダーでは
ないかと、オイラにとっては見た目も
1番カッコよかったですね、
そんで歌がメチャクチャ上手いと思った次第で
す、ただまだその頃はジョンは生きてたんです、
訃報を知ったのは高3で下宿してた頃
でした、当時の高校生の下宿にテレビなど
あるわけもなし、いつものよーに弟と
、あ、弟も同じ高校で入学した途端下宿
だってんですよ、まあヤンチャな奴で
目立つ部活はどこと聞かれてラグビー部
かな、あそこは悪ばかりいるからってたら
翌日からラグビー部でした、
ラジオのNHKの7時のニュースを
聴いてたんですよ、
そしたら信じられない言葉が、
元ビートルズのジョン・レノンが射殺
されましたと、間違いなく射殺と言ったんです、
オイオイ、この人何言ってんだ?
とそして同時に射殺って事はジョンのことだから
なんか悪さして警察にでも撃たれたのかなと
思いました、射殺って言葉はそーいう時には
ふさわしくないですね、
いやもうそれから弟とラジオに張り付いてました、
悲しいよりとにかくピンとこなかった、
しばらくしてあのジョンはもういない、
ということが現実として理解して、
何でだよー、有名税あまりにも高くないかと
泣いたのを覚えてます、
それからもジョンが1番ですね、
お袋と同い年なんですよね、
友達であってくれよー、
ちなみに親父はヨーコさんと同い年です、
ヨーコさんはまだ逝がないよ、
ジョンに出会えて、ビートルズに出会えて
もうそれだけで俺の人生はハッピーです、
今からもよろしくお願いします、
ジョン、いつまでもありがとう、
追悼曲いきます、
まずは、
ポール・マッカートニーの2年前の
ライブですかね、ポールもかなり歳取ってますが
元気です、
ビートルズ時代の「レット・イット・ビー」
収録のポールが作ったパートとジョンが作った
パートを組み合わせたオイラにとっては
名曲です、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」
映画でも見たけど有名なゲリラライブ
ルートップコンサートでやった曲です
このポールのライブ、
ファンであれば後半に震えがくるほど
素晴らしいサプライズ演出が待ってます、
この動画初めて見ましたねー、涙でそう、
これ生で見たら腰抜けそう、
ありがとうポール、
忌野清志郎がライブでジョンの曲を
歌った、清志郎らしいアレンジで歌詞で
怒りが伝わる素晴らしい追悼歌だと思います、
最初に笑いが起こるのにはそこ笑うとこじゃ
ないとは思いましたが、
ジョンによる70年代後半の
「ナウ・アンド・ゼン」
ライブでのマザー、まだ70年代初期かな、
初めて見た映像です、
最後の曲はジョンの最後のライブらしいです、
75年ということ、
初めて見ました、ひじょーに良いです、
何十度目か目かのサヨナラ、ジョン・レノン、
でも永遠なんですよねー、
ずっと1番は間違いなしです、
お袋も親父もです、



