こんにちは
ここんとこ昔から持ってた音楽の本を
パラパラではありますが読み返してて、
もう完全に忘れてたことばかりですし、
新たな発見とか、あーそうだったのかと
思ったり、今頃気づいたりしたことや、
へーと目から鱗なこととか、
そんな考え方もあるんやとか、
もちろん事実関係技術的なこと、
感情的なこととか、
時代的な事とか、その音楽の背景のこととか、
もう洒落にならないぐらいの情報が、
まだまだ俺の部屋には埋まってました、
ということで野球の話題も少ないですし、
ちと専門的な音楽話になってる事、すみません、
てか謝る必要もないですが謝るの好きなんです、
先ほど忘れてたことと申しましたが、
音楽そのものは忘れるもんではないですね、
好きになったり嫌いになったり、
どーでも良くなったりはしますが、
ボブ・ディランの傑作中の傑作、
66年2枚組の「ブロンド・オン・ブロンド」
とんがってますが前作ほどではないかも、
先ほども言いましたが
オイラは彼は詩人と言うよりも言葉の壁を
超えて分からせることができる唯一の歌手
だと思います、
それは歌詞を分からせることはできなくても、
その何と言うか伝わる空気、伝える空気、
分かるその空気みたいなもの、
言葉を超えて伝えることができる全能の歌手
だと思います、
そして凄いのただその歌詞を歌うんではなくて
悲しい歌にも楽しい歌にもプロテスタントな
歌にも、他にもその他のいろんな感情が含まれてる
そんな凄い歌手です、
悲しさの中にも楽しさ、楽しさの中にも諦観や、
彼が生まれ持った才能だと思います、
でも決して暗くはならないし辛くはならない、
先ほどのブログ記事でも書いたことですが、
文学的歌詞が認められての
ノーベル文学賞だけではなくその存在、
歌う事の素晴らしい文学性が認められての
受賞だと思ってます、
ジョン・レノンとはまた違う歌唱、
人への発信力が素晴らしい歌唱力といいますか、
ジョンは人へより自分への発信力が
並大抵ではなかったと思ってます、
それも凄かったです、それを共有させるんですからねジョン・レノンは、
ディランは自分への発信はほぼしないかな、
人へ社会へ向けたものばかりだと思います、
アルバム「ブロンド・オン・ブロンド」
前々作ぐらいからフォークギターを
エレキに持ち替えてバンドを従え、
ロックをやり始めたんです、
それまでのトラッドフォークのディランファンが
怒る怒る、ライブのたびに大ブーイング、
それで持たずに去っていったメンバーもいます、
でもディランは続けました、どんなにブーイング
を浴びようとエレキは変えなかった、
そりゃ曲によってはアコースティックギターも
弾きますけど、それまでのディランとは
違い始めたんです、
話し変わりますけど12年前、
親父が亡くなる前に入院してた頃、
弟夫婦が見舞いに帰省してきました、
その時の弟の格好がボブ・ディランの
「ブロンド・オン・ブロンド」の
ジャケットの服装そっくり!(◎_◎;)
真冬でしたからね、
髪型は全然違いましたけど、
俺がいきなり「ディランやん!?」と言うと
照れたように、ああ真似したばいと、
俺もしたかったよ!
それから4年後お袋の入院の時、
真夏だったんでディランではなかったですが
ジェイムス・ブラウンのスゲーかっこいい
高そうなTシャツとジーンズ、
妹は仕事で早く帰ってて俺と弟、
それまでオイラとも仲の良かった看護婦さん
2名、弟にしか話しかけないでやんの😡
そんでしまいには「いつ東京へ戻られる
ですか?」とかそんな話ばかり、
俺は?とか、思わないですよ😊
まあ普段無愛想な弟も仲良くしてくれてありがとで
した、
ではディラン「ブロンド・オン・ブロンド」
から単調ではあるけどタイトルもすげーイカす
名曲「メンフィス・ブルース・アゲイン」



