こんにちは
都市部では分かりませんが、
田舎の方では市と呼ばれるとこでも
ロックバー、ジャズバー、ブルースバー、
もう絶滅かもしれませんね、
個人喫茶店もオイラんとこではもう
あまり見かけなくなりました、
ハッキリ言います、
オイラは長崎県佐世保市に居ます、
自衛隊と米軍基地の街です、
オイラはまた商売してたこともあるから、
米軍基地が佐世保にいるのは絶対に賛成
です、それは歌の反戦歌とは思想とは
別の問題です、生きていく問題ですから、
オイラが高校生ぐらいの時は
街にロックバー、昼は喫茶店、の
「トゥデイ」って名前のセンスはあまり
よくないバーがあったんですよ、
昼は友達とよく通いましたよ、
ほぼコーヒー、たまにミルクセーキ、
不良というか音楽が好きでしたからね、
何百枚もある
レコードブースがあってリクエストすると
そのLPの片面だけをかけてくれました、
だけんリクエストする時はA面?B面?と
必ず言ってましたねー、
店の方も気のいい方ばかりで、
よく、音楽の話を教えてくれましたよ、
音楽の本だけでなくそこでも生きた
音楽の事を勉強しました、
時代は前後しますけど、
オイラは福岡の大学卒業後、
地元佐世保で半年だけ働いてました、
自宅ではなくアパート住まいでした、
自宅は会社にあまりに遠かったんです、
その頃もよくスナック通いしてましてって
それはまた別の話しですね、
ペーパードライバーでしたけど、
会社から与えられたスクーターを乗ってて、
スナックに行っては毎日飲酒運転😖👎
そして
そのロックバー「トゥデイ」にもよく行ってて
その頃1番安いバーボン、ホワイト?
かなんかをキープしてて、安かったです!
その店のチャージ代もクソみたいに安かった、
そしてある日、
1人テーブルで静かに飲んでると、
2つ空けたとこのテーブルにいた
俺より3つ上くらいの綺麗なお姉さん2人、
えと俺は当時23です、
特に誰もリクエストしてないのに
ニール・ヤングの「ズマ」という
アルバムのB面が鳴り始めます、
鳴ってるアルバムは分かるよーに
カウンターに飾ってました、
そこで覚えてるのは
そのアルバムの最後の曲、
「スルー・マイ・セイルズ」のフレーズ、
そのお姉さん2人が笑顔で見つめ合い
その曲のラストを歌ったこと、
今でも覚えてます、
歌詞は
「ノウミー、ノウミー、
ショウミー、ショウミー」
今のオイラが訳すとすれば
「私を知って、私を見て」かな〜、
そのニールの曲はこちらです
この曲を知るまでにかなり苦労はしましたよ、
そして時代は前後、
オイラは福岡の大学1年生、
叔父さんの結婚式、あるということで
ある時帰省、
弟は高校2年生でラグビーも頑張る、
下宿生、
俺ん時との下宿先変えまして、
離れのブレバブに1人、
これは碌な事はないのは事実、
親父がそこを訪れた思わず微笑む
エピソードがひとつ、
プレハブの縁側に2人座って、
親父もあまり話すタイプではありません
でしたから、
弟に一言、
「お前、一服くれんか」、
そして2人でタバコ吸って、
帰り際に申し訳程度に親父が
「吸い過ぎに注意しろよ!」だと
弟は親父も大好きでしたね、
そんで帰省した時に、
遠く離れていた弟のプレハブ下宿にも
泊まりました、ゴールデンウイーク中、
学校はやすみです、
そん時に夜遅く行った先は
ロックバー「トゥデイ」
弟と奥のボックス席に座り、
「兄貴、まずこれを聴いてんよ?」と
リクエストしたのはジャクソン・ブラウン、
アルバム「孤独のランナー」の2曲目、
「ロージー」もちろん他の曲も
いかすもんばかり、
でも「ロージー」その時のその雰囲気、
店の雰囲気がそーさせたのか、
ジャクソン・ブラウンはとてもとても
最高でした、
帰りは流石に酔ってスクーター二人乗りは
やばいというか死ぬんで、
タクシーで帰りました、
そこからまたブルース・スプリングスティーン
何度も聴かされたり、
それが嫌でも何でもなく楽しくて仕方ない、
しかも弟は夜中にラグビー部の後輩まで
呼びつけて3人で楽しい話をしましたよ、
もうひとつ、
もう本当に自慢げですみませんが、
弟は高一の時にその学年1番と言われるほどの
可愛い
テニス部の女の子と付き合います、
森尾由美さんにそっくりと言われてましたね、
写真見せられても可愛すぎる、
オイラは高3の時、
その子からお兄さんと呼ばれるの、
凄く嬉しくてたまりませんでした!
それでは
ジャクソン・ブラウン
「ロージー」
さっきもニールの曲やったから
それも聴いてください、