年が明けて、明ける前から、ほぼ毎日お出かけしている。
娘が了承してくれる場所じゃないと出かけられず、ずっと家にいるのも間が持たず。
日替わりでどこかしらのショッピングモールに行っている。
お正月のセールもやってることだし、ついでにアレ買おうかな、コレも買い替えたいから良いものないかしら。
と、思いますよね。
でも、何一つ買えません。
お店に入って物色することすらできません。
まず、片手は常に塞がれている。
娘と手を繋いでいないといけないから。
それから、これは何だあれは何だと娘がうるさい。
無視なんてしようものなら発狂するので余計に厄介なことになってしまう。
いちいち丁寧に答えて説明して。
手を繋いでいても落ち着きなく動く娘にひっぱられたり、娘が他の人や陳列品にぶつからないよう、ひっぱったり。
娘の制御と娘への説明に神経を費やしていると、何を買いたかったのかすら、よく分からなくなってくる。
落ち着いて品物を吟味して購入を決定することなんて、できやしない。
どんなに大きなショッピングモールに行っても、いつも、買い物をするのは食料品売場だけ。
食料品を買うことには娘も慣れているし、必要なものだけ選ぶ短時間で最低限の買い物なら問題なく付き合ってもらえる。
だから、結局、ネット通販での買い物が多くなる。
娘が寝たあとや幼稚園に行っている間に、落ち着いて選ぶことができる。
実際に手に取ってみたいこともあるけれど。
帰り道、大きな駅で電車に乗り込んだ時に、乗った車両の向こうの方で子どもの泣き声が聞こえた。
するとその直後に…きっと、降りるタイミングなのにお子さんが泣き喚いて移動してくれなかったのか…
お母さんらしき女性の
「いい加減にしてよ!!」
という、必死を超えて声がひっくり返るほどの叫びが聞こえた。
多くの人が行き交う喧騒の中、とてもよく聞こえた。
女性は、お子さんを強引に抱えて降りたようだった。
扉が閉まる直前にも、ホームから「いい加減にしてよ!!いい加減にしてよ!!」と悲痛な叫び声が何度も聞こえてきた。
その後ろで、かすかにお子さんの泣き声も。
娘と夫と3人で座席に座っていた私は、何もできなかったが、もし私が1人の時だったら…と想像した。
見過ごすことはできないかもしれない。
思わず電車から降りて駆け寄ってしまうかもしれない。
うちの娘も、その数分前に泣きじゃくっていた。
泣きながらもちゃんと手を繋いで移動してくれていたけれど、以前はそうは行かなかった時期もあったのだ。
あのお母さんの叫びは、きっと世の中の多くのお母さん達の心の叫びでもあるような気がした。
わかる、わかるよ。
私も何度も「いい加減にして!」と叫びたいのを、朝からずっと堪えていた。
明日はもっと笑ってあげられるかな。
食後に胃薬を飲み忘れないようにしなくちゃ。