『会ったことのないおばあちゃん』の母親、しろみちゃんにとってのひいおばあちゃんは、まだご存命。
『会ったことのないおばあちゃん』の同県に暮らす、『会ったことのないひいおばあちゃん』だ。

しろみちゃんのパパ=私の夫、仮にその名前をシロスケとすると、シロスケの祖母である彼女は、大正から昭和に移り変わる頃の生まれで、90代後半の年齢。
いくつかの持病を抱え、年相応に少しずつ弱ってはきていたものの、変わらず元気に暮らしていると聞いていた。
先月までは。


今月、9月の頭にシロスケの母と連絡を取った際に、おばあちゃんが昨日から入院している、と聞かされた。
入院の理由は、特にこれといった病気とか、今すぐ命に関わるものではなかったが、この年齢で入院と判断される状態ということは、これをきっかけに急にガクッと体が弱まり、寿命を迎える可能性もあるだろうということは、私の頭をよぎった。

3年前、私の祖父がそうだったから。

お風呂場で転んで、大丈夫かと思って寝たのだが、翌朝に体が動かず家族が病院へ連れて行くと骨折があり、入院し、そのままあちこち内臓にもガタが来て、あれやこれや併発し、帰宅することなく1ヶ月後に亡くなった祖父。
当時、しろみちゃんは0歳。
存命かつ会って抱っこしてもらうことのできた、唯一のひいおじいちゃんだった。




義母と連絡を取った日の夜、帰宅した夫に、おばあちゃんが入院したらしいと伝えた。
近いうちに…有り得るかもしれないね、とは、夫もサラッと言っていた。





それから約半月。
私がしろみちゃんの寝かしつけに苦戦していた、ある晩。
壁の向こうから、夫が珍しく電話で長く話す声が聞こえた。

ウトウトしながらもその声に気づいたしろみちゃんが、「パパ何でお話しようと思ったの?」と私に言ってきた。
パパはお電話でお話してるんだよ、電話が終わったらパパもお部屋に戻って寝るから、しろみちゃんはママと一緒に寝ようね。

長めの電話が終わると、夫はまたすぐ別の人と電話をしていた。
そういうことかな、と察しながら、なかなか寝かしつけの終わらない私のもとに、隣の部屋で電話を終えた夫からラインが届いた。
おばあちゃんが危篤らしい、と。


最初の電話の相手はシロスケの母、次の電話の相手はシロスケの兄だった。
シロスケの実家はかなり遠方だが、兄家族は私達と同じ県、隣の隣ぐらいの市町村に暮らしている。

兄とシロスケの二人で帰省し、入院中の祖母を見舞うということだった。
皆で勢揃いしても泊まるどころか座るスペースもないほどなので、それぞれの妻子は同行せず。
おばあちゃんが亡くなって通夜葬儀が行われても、あまりにも遠方なので参列はせず、今回のお見舞いをもって最期の別れとする。




ついに、おばあちゃんにひ孫であるしろみちゃんを会わせることは叶わなかった。
私と夫が夫の実家を訪れたのは、5年前が最後だった。
その翌年は私が妊娠し、年末年始は安定期ではあったものの、私の体が弱いこと、高齢出産であることを心配した義母が、無理しなくていいと言ってくれて、帰省を見送った。

しかし、年が明けるとコロナ禍となり、娘が生まれても、1歳になっても2歳になっても3歳になっても、帰省できないままだった。
兄家族は昨年末に3年ぶりの帰省を果たしたので、今年こそ行こうかという話は私達夫婦の間でも出ていた。
年齢的に、おばあちゃんが生きてる間に会えるうちに行こうよ、と私は強く主張したが、夫は、金銭的な面と、ギフテッド&ASDのややこしい娘を連れての飛行機もしくは新幹線での長旅で予想される苦労を懸念して、難色を示していた。


写真だけは、たくさん送っていた。
スマホすら持っていないアナログなシロスケの両親へ、アルバムにしたり印刷したり、こまめに定期的に、しろみちゃんの写真を送り続けてきた。
義母は頻繁におばあちゃんの家へ通って世話をしていたので、私が送った娘の写真をいつも持っていって、おばあちゃんにも見せてくれていたそうだ。
ただ、今年は3歳の誕生日の写真を最後に、私の体調不良が悪化して余裕がなかったりして、写真すら送れずにいた。


シロスケと兄が帰省した日。
夜遅くに現地に到着したシロスケから、こんな報告があった。

「おばあちゃん、孫たち(シロスケのいとこ達)の顔を見ても、誰が誰だがよくわからない状態らしい。
だけど、母が今日の昼間に『明日はシロスケと兄が来るよ』と話したら、『しろみちゃん…』と、3回も言ったんだって。
写真を見た記憶が少し蘇ったのかな…。
他の(会ったことのある)ひ孫の名前は口にしていないのに…不思議だね。」

まどろむ意識の中で、しろみちゃんの名前を3回も口にしてくれた、おばあちゃん。
写真で3年間の成長を見ていたものの会えずじまいだったことを、気にしてくれていたのかな。

翌日、夫と夫の兄は、病室のおばあちゃんを見舞った。
夫の兄にも二人、既に10代になった子どもがいる。
義母(夫の母、おばあちゃんの娘)がおばあちゃんに、兄の子供二人には何度も会ったよね、と話しかけると、おばあちゃんはウンウンと頷いた。
次に、「しろみちゃんは?」と聞くと、ゆっくり首を横に振ったそうだ。



私が初めて夫の実家に行った時に、おばあちゃんも来てくれて、初めてお会いした。
方言が強くて、私はおばあちゃんが何を喋っているのかほとんどわからず、夫に通訳してもらうような状態だったが、おばあちゃんは終始ニコニコとお話してくれた。
おばあちゃんが帰りの車に乗り込んだとき、ドアが閉められるまえに覗き込むようにしてお別れの挨拶をした私の手を両手で強く握り、
「シロスケをよろしくね」
と言ってくれたことが、忘れられない。



危篤の知らせから1週間。
おばあちゃんは亡くなった。



娘を連れて会いに行けなかったことは悔やまれるが、せめて夫だけでも間に合って良かった。