ショックなことがある。
しょうゆと信じて疑わなかったものが、しょうゆではなかったのだ。そこにはこうあった。
「にんべんの つゆの素」

なんということだ。それも、3倍に薄めて使うタイプなのだ。どうりで最近、妙に味付けが濃いわけだ。胸ヤケだってする。
いつから間違えていたのだろう。判らない。
9割使いきってから気づいた。少し、茫然とした。

認めよう。この文章を書いている人間は、味オンチだと。
それ以外にも色々とオンチだが、味もオンチだと。それがなにか!?

ブログのタイトルで「大丈夫な日々」とうそぶいたところで、これでは先行きが不安な日々である。
味がイマイチ判らないというこの能力(!)を、ポジティヴに考えてみようじゃないか。

全ての音を、ドレミの音階で捉えることができる、鋭敏な耳を持つ人のことを、「絶対音感」があるという。
それに倣って、ものすごく鋭敏な味覚を、「絶対味覚」と呼ぼう。

絶対味覚があると、人はどうなるか。料理を100%、味わう事ができるようになる。
調理人の技と工夫のひとつひとつを、その意図を理解しつつ、素材単体の持ち味と、それらが奏でるハーモニーの全てを、完璧に味わいつくせるだろう。
最高の料理を食する瞬間たるや、それは天上的な快楽ではないか。うらやましい。

しかし、その反面、マズイもんは相当マズく感じるんじゃないか?
そして、毎日3食、最高の料理を食べられるはずがないんだ。
普通の舌なら普通に満足な味でも、絶対味覚には受け容れられない。その料理に何が欠けているのか、正確に解ってしまうからだ。

絶対音感の人は、街の雑踏なども音階で聴こえるため、普通の人は気づかない、文字通りの「不協和音」に悩まされることがあるという。
風の音と、あの人の足音が合わさるとすげえ耳障り! みたいな感じかしらん。

絶対味覚の人にとっては、たいがいの料理が不完全品だ。食べながら、絶えず思って仕方がないのだ。
あれをこうすれば、もっと美味しくなるのになー・・もぐもぐ。
毎日3回、週に21回の不満足。
実に味気ない。それはもはや苦痛ですらあるかもしれない。

その点、味オンチは大丈夫だ。
たいていのものが、なんとなく美味しいのだから。なんという幸運だろう。味オンチでよかったー!
しかし味オンチは、食品が悪くなってるのに気づかずモリモリ食べて、うっかり食中毒で死にそうではある。

最高を知らず、薄ボンヤリとした中庸の味で、ただ空腹を満たし続け、あげく、うっかり死んじゃうのか。それなんて世界残酷物語?
やっぱり絶対味覚の方が、いいんじゃないのか。

人は無いものねだりをする生き物である。隣りの芝は、いつだって青い。
ひょとすると、絶対味覚の人も、思っているかもしれない。
「ちくしょう、味オンチのやつが、うらやましいぜー」
・・無いか。

突出した才能には、その裏に、同じだけの凹みがあるもので。
しかしその凸凹のどちらもが、才なのだと思う。