犠牲を払うという決断 | ソコラ哲学。

犠牲を払うという決断

今、将棋が密かにマイブームです。
でも毎日ゲームするわけにいかないので、一日4問くらい詰将棋を解いてます。

奥が深い!

なんせ初心者なんで、一手詰からやってるんですが、一手であっても難しい。
全ての駒の動きを考えて、ここに動かせばどうなる、ここならば、と全てを検証せなあかんのです。
きっと三手詰やったら一日2問やろなぁ。

一手詰で、たとえ同じ正解であっても、解答は自分が考えている以上に深いところまで練っている。
普段から自分がしっかり考えつくせていない証拠やなぁと感じる次第。
とにかく、無意識に自分は「いかに無傷で勝つか」を出発点にしているんですよ。
視野が狭くなる。

歩くんを、香ちゃんを、飛車角さんを犠牲にしてでも王手のときがある。
それがなかなかすぐに見出せない。

今年の目標の1つは「切り込み隊長ではなく殿(しんがり)」

勢いで突撃するのはイノシシの特技だが、
最後尾として犠牲を払ってでも「核」を守りぬく―
そして攻める

そんな殿になる。これが目標の一つ。

猪突猛進の自分の年だからこそ新たに。
12年前よりも大人にね。

スケールは違うけども、イーヴォ・ポゴレリチのピアノ・コンサートに誘っていただきました。
その節はありがとう。

仕事の後19時ということもあり、シンフォニーホールの座席に座った瞬間、睡魔のスィーちゃんが。

しかし、1曲目を爆睡したおかげで、あとの曲はよく聴けました。
これってある意味、犠牲をはらったってコト?