『人間国宝』に謁見しました | ソコラ哲学。

『人間国宝』に謁見しました

突然ですが、「人間国宝」が通称であることを知っていましたか。
正式には「重要無形文化財保持者」なのですねー。

私は知らなかったですー。非常識ですみませんー。


さて、お会いしたのは村山明先生。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000149999990060

↑この笑顔の通りのお人柄。
でも50代で人間国宝って、すごいですよね…。
オイラが若いのもあってか、さんざんおちょくられましたー。

と、「ー。」なしゃべり方はここまでにして(そもそも何のつもりだったんだか…)


最近、立て続けに偉大な方々にお会いして恐縮至極です。
このお仕事をしてて良かったと思える数少ない瞬間。
みなさんの含蓄のあるお言葉を拝聴いたしますと、「うんうん、なるほど」と思うことばかりなのです。
名言ばかりなのです。

でも不思議なことに、頭で、言葉で理解したつもりでも実践できないんですよね。
つまりは理解できていないんでしょう。言葉として知識として知っているだけなのです。
「上杉謙信はあれこれこうして強い軍にしたんだ」とか「カエサルはこうして人心をつかんだんだ」ってわかってても同じことができないのと一緒なのです。

やっぱり志というのか、日々の心構えが違うのですね。

『一日の長』という言葉がありますが、あの方々は「万日の長」…いやいや、一万五千日の長くらいありますからね。
しかもただ過ごしているだけではなくて、日々考えながら時間を使っておられるのです。日常の何気ないところに発見やヒラメキを見出せるのも、そんな心構えだからなのでしょう。
なぜ葉っぱはくるくる回って落ちるんだろう…からあんな欅拭漆盛器とかつくってしまうんですから!


帰り道、本屋に立ち寄って思わず佐藤雅彦さんのプチ哲学』を買ってしまいましたよ。

いや、この、ね、「プチ」ってとこがオイラなんだけどもね。

「ちょっとだけ深く考えてみる、それがプチ哲学」


素敵じゃないですか!
やっぱさ、急にサルトルとかヤスパースとかニーチェとか、アレやん?


そういえば、村山先生は、ミケランジェロとか夏目漱石の運慶が「木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」という表現をしてるのと同じようなことを仰っていましたよ。

木の塊から、自分が作ろうとしている作品が見えてるんですって。
それを掘り出しているだけ、だと。
(てかまさに同じやん)


オイラのこの見えない仕事、収入、人生設計。



…あかん。